1365 「地這」
「はーっはっはっは! このザァコ共め! オラトリアムの真の英雄の威光の前に平伏せ!」
そう叫んで地動の塔を蹂躙している存在の名はマルスラン。
オラトリアムの中ではかなりの古参で、実力も確かなのだが相手を見下し侮るという悪癖のお陰で定期的に大きな失態を演じては上から罰を受ける問題児だった。
マルスランは上機嫌で自らの愛用機体であるコン・エアーⅪを駆り掃討戦に参加していたのだが、名目は汚名返上であった。 元々、前回の戦い――オラトリアムへ侵入してきた者達の処理を任されていたのだが一部を取り逃がし、結果的に居住区画への侵入を許すといった大失態を侵したのだ。
流石にこれは誰も擁護できず大抵の事はまぁまぁと許してくれる首途ですら「こればっかりはお前が悪い」と重い罰を受ける事となった。 生まれてきた事を後悔する程の激痛を与えられ、給与をカットされた彼の脳裏にあったのは反省ではなく怒り。 自分がこんな目に遭っているのはコスモロギア=ゼネラリスの連中の所為だと。 一応、間違ってはいないのだが、そもそも取り逃がしたお前の失態が原因だろうと周囲は思っていた。
何も言わないのは怒らせると面倒だからだ。
特に部下や後輩は触らぬ神に祟りなしといった様子で彼に接しており、問題行動を起こせば話が通じる相手に通報というのがマルスランという男の取り扱う上での基本だった。
さて、そんな評価ではあるがマルスランの総合的な戦闘能力は高い。
今となっては武装に依存している部分が多いが、何だかんだと元々は騎士と言う事もあって何をやらせてもそこそこ器用にこなすので能力面では決して低い訳ではないのだ。 ただ、その才能も圧倒的な慢心から来る油断によって台無しになっているが。
友軍は巻き込まれたら敵わないと早々に彼から離れ、そんな事にも気が付かないマルスランは気持ちよく武装を前方に撒き散らしている。 地動の塔の者達とマルスランは戦闘の愉悦に浸ってはいるが、オラトリアムの者達は逆に冷めきっていた。 温度差に気が付かない者達だけが不毛な殺し合いをしていく世界。 ある意味、マルスランはこの地動の塔に相応しい精神性をしていたのかもしれない。
――ど、どうすればいいんだ。
ヨチークはコソコソと隠れながら戦場から離れている最中だった。
今この瞬間にも同胞がダース単位で死んでいるが彼にとっては心の底からどうでもいい事だ。
大事なのは自分が生き残る事、次に大事なのは胸に抱えた存在が生き残る事だ。
一メートル前後の芋虫。 彼女こそがこの地動の塔の巫女――地動の巫女だ。
名前もなく従順な性格なのでヨチークからすれば付き合いやすく、付き合いも長いので妹のように感じている相手だった。 地動の巫女はキューキューと変わった鳴き声を上げて体に付いた吸盤のようなものを用いてヨチークの体にしがみつく。
敵が強いのは理解していたが、ヨチークの想定を大きく上回っており、このままいけば全滅は目に見えていた。 当初の予定としては多少なりとも膠着した状況を作って投降を条件に傘下に入れて貰おうと画策していたのだ。 他者に阿るのは好きではないが、何事も命あってこそなのでくだらないプライドは捨てる。
そんな事よりもこの窮地を逃れる方が先だ。
一番確実な手は次元転移で逃げる事だが、何らかの手段で封鎖されているので不可能。
見た所、世界回廊は閉ざされていないので現状で彼に思いつく手は他の塔に逃げ込む事ぐらいだった。
だが、これほどの相手がヨチークが思いつく程度の事を理解していない訳がない。
つまり、行けば確実に殺される。 八方塞がりだ。
何の手立ても浮かばないヨチークは巫女を抱えてコソコソと戦場を離脱する事しかできなかった。
今は逃げるのだ。 そして何か思いつくまでの時間を稼ぐ。
そんな一念で彼は全力で気配を消して物陰から物陰へと移動して距離を稼ぐ。
今この瞬間も彼の同胞達は死んでいっているはずなのだが、ヨチークには全く理解できなかった。
ヨチークはいつも考える。 自分と他の考え方の差異について。
地動の塔だけでいうのなら彼の知能は抜きんでているといっていい。
特に知能の低さが顕著なこの地動の塔では異常とさえいえる。 そんな彼の存在があったからこそこの地動の塔はコスモロギア=ゼネラリスの一部として組み込まれる事が出来たのだ。
その時も彼が必死に交渉を行う事で事態は丸く収まった。
今回もそうなればいいと思っていたが、明らかに殺しに来ている連中相手に交渉は不可能と判断できるほどに敵の対応は苛烈だ。 このままいけば捕まるのは間違いない。
巫女に尋ねたが力なく首を振るだけだ。 つまり明るい未来はない。
少なくとも観測できる範囲では存在しないとの事。 地動の巫女の予知は個人レベルの細かい未来ではなく、この世界で大雑把に何が起こるかを読み取れる程度の代物で精度はあまり高くない。
その為、明るい何かが見えてもヨチーク達の未来を保証する事にはならないのだ。
どうしよう。 どうすればいい?
ヨチークは必死に思考を回転させるが、逃げる以外の選択肢は生まれない。
どうしよう。 どうすればいい?
ぐるぐると渦を巻く全く同じ思考は――
「おや、いないと思ったらこんな所にいたのかい?」
――不意に響いた声にかき消された。
ヨチークが弾かれたように振り返るとそこには二人の人物。
片方は服の上からでも分かるはち切れんばかりの筋肉に覆われた巌のような男で額からは立派な角が二本生えており、手にはハルバードを持っている。 その視線には油断はなく、鋭い眼光でヨチークを射抜く。
そしてさっきの声の主は男と同じ軍服のようなものを身に纏った女。
赤い髪を束ねており、表情にはからかうような笑み。
少し高い位置で身を屈めてまるで珍しい虫を見つけたかのような表情でヨチークをじっと見つめていた。
ヨチークは本能的に悟る。 終わったと。
見た目の印象では男の方が強そうだが、得体の知れなさでは女の方が上だ。
そして男の立ち位置から女の方が立場が上だという事も分かる。
「うーん。 そっちの地動の巫女は分かるとして君も記憶にあるなぁ。 確かここの代表のヨチーク君だったかな?」
女は合ってる?と首を傾げる。
ヨチークは戦慄した。 何故この女は巫女の存在だけでなく、自分の事まで知っているのかと。
同時に恐怖を覚えた。 相手の得体の知れなさに。 彼は高い知性を持っているからこそ想像力という力を得ているが、それは彼自身を縛る鎖となる。
ヨチークは恐怖で震え、動けなくなってしまったのだ。
思考は真っ白になり何も考えられない。 ただただ、狩られるのを待つだけの小動物のように彼は震える事しかできなかった。
女はそんなヨチークを見て僅かに目を細める。
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