1359 「運無」
その瞬間、ハリシャの周囲に存在したあらゆる物体が血煙に変わり、彼女を中心として血のドームが形成される。
ランヴァルドに認識できたのはハリシャが何かしたと同時に彼女の周囲が赤く染まり、次の瞬間には真っ赤な血の池へと変わった事だけだ。 何をしたのかさっぱりわからないがペッレルヴォが死んだ事だけは分かった。
文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経
現在、ハリシャの扱える最大の一撃で、未完成の技でもあった。
能力は特定の空間を斬撃で埋め尽くすといった剣呑なもので、攻撃範囲内のありとあらゆる物体は形がなくなるまで切り刻まれる。 あらゆる物を切り刻みたいと願った彼女の理想とする斬撃の世界。
欠点としては制御ができていないので敵味方の区別ができないどころか、自分まで切り刻んでしまう事だ。 事実、制御に失敗してハリシャの全身にも傷が刻まれていた。
それも徐々に修復されているが、明らかに実戦で使うには適切ではないといえるだろう。
「あーあー、あの愚か者め。 楽しくなって使いおったな」
不意に聞こえた呆れたような声にランヴァルドは弾かれたように振り返るといつの間にか室内のソファーにロヴィーサが腰掛けており、どうやったのか保管されていたランヴァルドの酒を瓶から直接飲んでいた。
ほんの一瞬、取っておいたお気に入りの酒がと思ったがそんな事よりいつの間にここまでこれたというのだといった疑問に塗りつぶされる。
「……貴様、どうやって入った」
「ん? そこの扉からじゃが?」
「警備の者達はどうした?」
「下で人間を辞めて気持ちよく暴れておるな」
彼女の言葉を肯定するかのように下で奇妙な鳴き声とも咆哮とも取れない声が上がり、戦闘音と衝撃が響き渡る。
ランヴァルドの護衛を務めていた近衛はペッレルヴォほどではないが、実力者揃いだ。
そんな彼らがこんな短時間で無力化された事実はランヴァルドの心を折るには充分だった。
諦めてロヴィーサの向かいの席に腰を下ろす。
改めてみるととんでもない美貌だった。 結い上げた金髪に星のようなオッドアイ。
起伏のはっきりとした肢体に全身から放つ蠱惑的な色香。 こんな女に言い寄られたら大抵の男は狂ってしまうだろう。
「向こうてくるなら遊んでやろうかと思ったが、終わるまで暇になるしこの年寄りの話し相手にでもなってくれるかのぅ?」
――何が年寄りだこの化け物め。
ランヴァルドは内心でそう思ったが、この状況ははっきり言って詰んでいる。
頼みの綱のペッレルヴォがあっさりとやられている時点でもうどうにもならない。
恐らくこの城も制圧されており、街々では今も住民が異形に怪物に変えられて恐ろしい事になっているだろう。
「一応、聞いておきたいが、降伏すると言ったらこの侵攻を止めてくれるか?」
「無理じゃな。 儂よりも権力を持ったお方が大層お怒りで、生まれてきた事を後悔させてやると息巻いておられる」
「……何故だ? 我々はそこまでそちらの怒りを買うような真似をしたのか?」
意外な返答にランヴァルドは思わず聞き返す。
単に接触した世界を片端から襲っているのではなく、明確にここを狙ってきたというのなら話は変わってくるからだ。 ロヴィーサはこれ美味いのぅと言いながら冷蔵ケースを勝手に開けて追加で酒を飲みながら答える。
「あぁ、その事か。 ほれ、ちょっと前に異世界人をどこぞに捨てたじゃろう」
「捨てた?」
首を捻りかけたが途中で思い出した。 少し前に保護した異世界人の内、一人を送還した事だ。
まともに観測出来ない場所だったので命の保証はできないと前置きした上で本人も同意したとの事だったがそれが一体――
「それにしても運がないのぅ。 他所の世界だったらなーんも起こらんかったのによりにもよって我々の世界に飛ばしてしまうとは。 お陰であの方はカンカン、ゴミを不法投棄されたと怒り狂っておったわ」
そう言ってロヴィーサは無邪気に笑う。
対照的にランヴァルドは愕然としていた。 それだけ、それだけの理由で自分達はこんな目に遭っているのかと。 とんでもない話だ。
ランヴァルドには理解できなかった。 たったそれだけの事でここまでやれる者達の精神性を。
いやと思い直す。 外の有様を見れば何となく察する事が出来た。
恐らくは圧倒的な強者である自負から来る行動なのだろう。 だとしたら何という傲慢か。
最大の問題はその傲慢を周囲に押し付ける事ができる力だろう。
「それは我々が頭を下げればどうにかなる問題か?」
「無理じゃな。 いや、儂としてはどちらでも良いのじゃが、ここ――地平の塔に限っては実行犯なのでどうにもならんのう。 それ以上に我らの神がこの世界をご所望じゃ。 まぁ、神の視界に入った時点でお主らの命運は尽きたという訳じゃな」
そう言ってロヴィーサは残念、残念と他人事のようにそう付け加え酒を呷る。
「……つまり我々は全員、死なねばならないと?」
「全員ではないな。 何人かは体を調べて能力を解析すると言っておったぞ」
「解析?」
「えーとなんじゃったかな? ――あぁ、あれじゃ。 巫女の予知能力。 こちらにも似たような事ができる者はおるが精度を高める一助になるかもと期待されておるな」
――アンヌッカの事か。
逃がしてやりたいがこの状況では――
「あぁ、逃がそうとか考えても無駄じゃぞ。 とっくに捕えて移送済みじゃ」
「……私はどうなる」
「死ぬ事になるのう」
無情にもあっさりと告げられた現実にランヴァルドは肩の力を抜いた。
もう諦めるしかなかったからだ。 今自分が生きているのも目の前の老婆のような口調で話す女の気まぐれによるもので、気が変われば即座にランヴァルドの人生は終わる。
だからと言って騎士達に勝ち目はないから諦めろという事も出来ない。
その為、彼は自身の無能を呪いながらも何もできずに座っている事しかできなかった。
もう泣く事も笑う事も出来ずに項垂れるランヴァルドに構わずロヴィーサが壁に手を翳すとスクリーンのようなものが複数現れ、何か映像が現れる。
「それは?」
「他を攻めている者達の様子じゃな。 折角だし酒の肴に良いじゃろう」
ランヴァルドは特にやる事もなかったのでぼんやりと画面の向こうへと視線を向けた。
そこではこの地平の塔とは違った惨劇が繰り広げられており、ランヴァルドの諦観がより深くなっていく。 だが、目を逸らす事はできそうになかった。
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