1356 「幸福」
それをペッレルヴォが知ったのは部下からの報告を受けてからだ。
サブリナ達と対峙しているにもかかわらず慌てた調子だった部下にただ事ではないと察していた。
詳細を聞いて徐々に顔色が変わる。 内容は住民達が次々と異形の怪物と化して街で暴れているとの事。
住民だった怪物達は群れを成して住んでいたはずの街を蹂躙し、こちらに向かっているようだ。
ペッレルヴォはそういう事かと目の前の者達を睨みつける。
「抵抗できない無辜の民を怪物に作り替え、故郷を襲わせるなどと恥を知れ!」
アルヴァーやギュードゥルンを視れば住民達がどのような姿になったのかいうまでもない。
あんな狂った状態で自分は幸せだと言い切れる精神状態にさせられるのだ。
正気でできる事ではない。 少なくとも目の前の者達はペッレルヴォ達とは相容れないだろう。
ペッレルヴォの並の人間ならそれだけ卒倒しかねない怒気を受けても三人は涼しい顔で薄く笑う。
残りの二人――黒髪は早く斬っていいかと言わんばかりに刀の鯉口をならし、オッドアイの女はからかい混じりの笑みをペッレルヴォに向けている。
「恥? はて? 何か恥じ入る事でもありましたか?」
サブリナは不思議そうに首を傾げた後、ややあってあぁと思いついたようにこう言った。
「もしや自国の皆様が我が教団に改宗した事にご不満があるという事ですか? だとしたらその憤りは見当違いというもの。 彼らは我が教団の教義と神の素晴らしさに心を打たれ、我々と共に歩く道を選択したのです」
「何が心を打たれただ! アルヴァーもギュードゥルンも明らかに正気ではなかった。 それにあの姿はなんだ? 異形化させる事で貴様らのいう教義とやらを無理やり刷り込んだだけだろうが!」
ペッレルヴォの怒りを受けサブリナは――ふっと鼻で笑う。
「何がおかしい!?」
「いえいえ失礼。 あなたは随分と不思議な事を仰いますね。 正気と狂気の線引きは人それぞれで異なるもの。 少なくとも彼らは間違いなく正気でしたよ? ――少なくとも彼らの中では。 仮にそうでなかったとしても何か不都合があるのですか?」
不都合しかないだろうと至極真っ当な反論はサブリナの薄い微笑みの前で無駄だと悟る。
本気で行っているのかそうでないのかは分からないが、狂人の思考を理解しようなどと土台無理な話だったのだ。 サブリナはペッレルヴォの反応に笑みを深くする。
「もしかすると皆様、こちらの生活にご不満があったのかもしれませんね? 御覧なさい、彼らの幸福な表情を。 全ての苦悩から解き放たれた彼らの幸福度は全ての世界を見渡しても最高峰といえるでしょう。 ――つまりそういう事なのですよ」
言わんとしている事は察しており、意図も理解しているが念の為になんだと聞き返した。
「このコスモロギア=ゼネラリスという世界はその程度の幸福しか民に齎さない劣った世界という事ですよ」
ペッレルヴォは筆頭守護騎士として大きく構えるべきだと自分に言い聞かせて生きてきた。
少々の中傷は軽く流して器の大きさを見せつけてやれ。 そんな心構えでいた。
だが、この地平の塔、延いては世界そのものに対して侮辱を受ける事は初めてで、ここまで不快になったのもまた初めてだった。
もしかしたら知らず知らずの内に怒りを溜め込んでいたのかもしれない。
平和だったこの世界に争いの種を撒き、同胞の矜持を踏み躙った上で捻じ曲げ、無辜の民を何の躊躇もなく襲い、怪物に作り替えて嬉々として隣人を襲わせる。
言葉では形容できないほどの悪辣さ。 見た目が美しいだけでこいつらの本質は邪悪だ。
他者を虐げ、自己の悦楽と利益だけを追求する利己の塊。
総体宇宙にこんな悍ましい生き物が生息する世界があるなんて信じたくなかったが、目の前にその住人が存在するのだ。 認めるしかない。
同時にこんな連中をのさばらせる訳にも行かないと強く確信する。
「奮起せよ!」
ペッレルヴォは怒りを言葉に乗せて戦場全てに響き渡る大声でそう叫ぶ。
「この者達は罪なき民を手にかけるばかりでは飽き足らず、その意思を捻じ曲げ望まぬ行動を強いる悪辣、邪悪という言葉ですら括れぬ化け物共だ! この者達を放置する事はこのコスモロギア=ゼネラリスだけでなく数多の罪なき世界を危機に晒す事と同義! 我ら地平の塔の守護騎士はこの世界だけでなく、未来に続く数多の世界の為にこの邪悪な侵略者を打ち破り、過去に踏みにじられた安寧、現在に脅かされた平和、そして先に存在する未来を守る為、我らの持つ全ての力を用いてこの者達を粉砕する! 奮起せよ! これは守る為の戦いであると同時に未来を創る為の聖戦である!!」
最後にペッレルヴォは大きく吠えるような雄たけびを上げて拳を突き上げる。
それに呼応するように次々と守護騎士達が叫ぶ。
サブリナは相変わらずの薄い微笑み。 隣のオッドアイに至っては小さく拍手すらしていた。
「いい感じじゃったのう。 広報担当に雇ってみるか?」
「そんな事よりも斬っていいですか?」
サブリナは小さく頷く。
「ではこの場はハリシャ、あなたにお任せします。 筆頭守護騎士でこの程度なら私は不要なので手筈通りに白夜の塔へ向かいます。 ロヴィーサ教皇は――」
「うむ。 予定通り国王とやらに挨拶に行くとするかのう」
各々動き出そうとしていたがペッレルヴォが剣を向ける。
「行かせると思っているのか?」
サブリナはご縁があればまたと言って踵を返し、オッドアイ――ロヴィーサは転移か何かを用いたのか姿がかき消えた。 そしてその場に残ったのは黒髪のハリシャと呼ばれた女だけだ。
「アルヴァーという方とも剣を交えたのですがあまり歯応えがなかったので、筆頭守護騎士のあなたには期待しても良いのですか?」
「そうか。 貴様がアルヴァーをあんな姿にしたのか」
「捕えたのは私ですね」
ハリシャは他人事のようにそう言うと腰の刀は抜かずに何もない所から闇を凝縮した刀を生み出すと軽い動作で構える。
ペッレルヴォも応じるように構え――ハリシャが動かなかったのでそのまま斬りかかった。
王城は混乱の坩堝ともいえる状況だった。
住民が襲われているという情報が真っ先に入ったのはここで対処が求められているからだ。
ランヴァルドは戦場を一瞥するとペッレルヴォが敵の幹部らしき女との交戦に入った所だった。
誤字報告いつもありがとうございます。
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