1346 「答迷」
――どうすればいいのだ?
マドハヴァは誰もいない――さっきまで会議をしていた場所で一人瞑想を行っていた。
件の世界に突入した者達は誰一人として生きて帰ってこなかった。
状況的に生存は絶望的、つまりは皆殺しにされたのだ。 これが白夜の塔だけの話であるならまた違った見方ができるだろうが、今回に関しては他の塔の者達も一人残らず帰ってこなかった。
三千万の先遣隊が全滅したのだ。 大半が後方支援要員ではあったが、世界を滅ぼす為の剣、その切っ先として送り込んだ者達がこうも容易く敗北するのはマドハヴァにかなりの衝撃を齎す。
特にこの白夜の塔で屈指の実力者だったルーホッラーまでもが敗北した事は信じられなかった。
彼は「大河」との接続法を高い水準で使いこなしており、戦闘において彼を圧倒する存在はまず現れない。
そう確信できるほどの実力者だ。 そんなルーホッラーですらあっさりと敗北するあの世界は何なのだ?
マドハヴァの額から汗が滲む。 この白夜の塔の熱気を涼しく受け流す彼が汗をかく姿は非常に珍しい。
これは内面の動揺から来る汗だからだ。
マドハヴァは恐ろしかった。 巫女であるアーシュリアも今の段階では敵の詳細が見えず、不気味さだけが際立つ。 情報が一切なく、全滅したという結果だけしか分からない。
こうなってしまうと想像だけで敵の姿がどんどん大きくなっていく。
もしかしたらルーホッラー達が敗北した理由は敵の本拠という地の利による不利を強いられて負けたのかもしれない。 仮にそうであるならばこちらに攻め込んできたところを迎え撃つ場合は有利に戦える。
そんな材料を集めて気持ちを落ち着かせようとしたが、心に広がる波紋は静まらずに激しさを増すばかりだ。 どうすればいいのか? 考える事すら馬鹿らしいと思える疑問だ。
攻めてくるなら迎え撃つしかない。 だが、本当に勝てるのだろうか?
地平の塔や天動の塔では一部の者達が避難するという話もある。
負ける気はないが、負けた時に備えてこのコスモロギア=ゼネラリスの種を蒔いておこうと考えたようだ。 全てではないだろうが、他の塔の者達も今回の戦いに不穏な物を感じている事は間違いない。
マドハヴァは他の塔の者達にも話を聞いてみたいと思っていたが、軽はずみな事をして士気を落とすようになった場合は目も当てられない。 場合によっては他からの心証が悪くなる。
同じ勢力に属する同胞ではあるが、友人という訳でもないので気軽に話を持って行けないのだ。
――何故、ここまで心が乱されるのだろうか?
これまでに異世界間戦争は幾度となく繰り返した。
滅ぼした世界の数も一つや二つではない。 その際に犠牲も出た。
この世界にも死者を悼む風習はあるので、失ったものに対して涙を流し、悔やみもする。
普段であるならルーホッラー達の死を悼み、仇を討つべきだと奮起を促す場面のはずだ。
マドハヴァ自身も彼等の弔い合戦だと周囲に発破をかけるべきだと思っていた。
だが、今回に限っては全滅したという情報共有のみで、後は詳細な予知ができるまで戦に備えよといった簡素なものとなってしまっている。
マドハヴァの反応に訝しむものも多かったが、彼自身にあまり余裕がなかった事もあってそれに気づいていない。 ルーホッラー達が全滅した事は大きいが、コスモロギア=ゼネラリスの精強さをよく理解しているのもまた自分自身。 自らの生活を守る為に戦わなければならない。
そう、悩みはしたが結局の所、やる事は変わらないのだ。
マドハヴァは消えない不安を握り潰すように立ち上がるとこれから訪れるであろう戦いに備えて歩き出した。
「――本当にこれでよかったのか?」
博は藍子にそう尋ねた。
「うん。 私は博とこの世界で生きていくって決めたし、折角慣れてきたのにこの生活を手放すのもちょっと、ね」
二人が選んだのはこのコスモロギア=ゼネラリスに残り、勝利を信じる事だった。
ただ、戦闘には志願せずに避難して終わるまで隠れているつもりだ。
彼らが居るのは街のあちこちに作られたシェルターで、地下に隠す形で作られている。
住民の半分までは問題なく収容できる規模の地下都市ともいえるそこに二人は引っ越す為に準備をしていたのだ。 今日明日ではないと聞いていたが具体的にいつかがはっきりしないので早めにシェルター内のいい部屋を借りてそこに引っ越していた。 通勤などはかなり不便になったが安全には代えられない。
何だかんだと日本からこの世界に転移して半年以上の時間が経過していた。
馴染んだとはいい難いが、多少は慣れたとは思う。 昼間に働いている分にはいい。
ただ、帰宅の道を歩いている時、一人になるとふと考えてしまう。
――本当にこれで良かったのだろうか?
こんな事になったのはそもそも心霊スポットで神隠しの検証をしようなどと言い出した事が原因だ。
藍子はそれに巻き込んでしまった形になる。 それに関しては博は申し訳ないと思っていたが、彼女は笑って許してくれた。 彼女の寛容さに感謝しつつも博の中にはいつまでも後ろめたさのようなものが残る。
――本当にこれで良かったのだろうか?
コスモロギア=ゼネラリスでの生活に不満がある訳ではない。
ここの住民は基本的に善良だ。 得体の知れない余所者をあっさりと受け入れてくれている点からも懐の深さが窺える。 こうして生活が成り立っている事を考えれば博達は幸運だった。
ただ、傑達はそうではなかったようだ。 傑、暢、そして影沢。
あの三人はこの世界に馴染めなかったのだろうか? 彼らは物見遊山ではなく、日本へ帰る為の手段を探しに異世界へと向かった事を知っていただけにそう思ってしまう。
影沢の事は良く分からなかったが、傑は単純に帰りたかったのだろう。
そして暢は映像を持ち帰りたいという欲望ありきの行動。 長い付き合いだったので二人が何を考えているのかは理解していた。 ギュードゥルン達も一緒だったので大丈夫だろうと思っていたが、こうなるのならもっと必死に止めるべきだったと博は後悔していた。
戦争。 言葉の意味は理解しているつもりだったがこうして友人、知人を失ってみると認識が甘かったと言わざるを得ない。
博は初めて人の生き死にに直結する選択が存在する事を知った。
だから思ってしまうのだ。 この選択は本当に正しかったのだろうかと。
誤字報告いつもありがとうございます。
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