1340 「着終」
傑が影沢の指差す先を見て――口をぽかんと開く。
何故ならそこには別れたはずの暢が居たからだ。 暢は最後に見た時と全く変わらない姿でそこに居た。
「暢、お前、無事だったのか? いや、それ以前にどうやってここまで……」
彼がここに居る事には違和感しか存在しない。
暢が居るのは傑達の前方。 つまりどうやってか先回りしていたのだ。
この深い森の中で人間二人を見つけるだけでも困難なのに、先回りする事など可能なのだろうか?
――不可能だ。
いくら魔法があると言っても限度がある。
熟練の術師なら可能なのかもしれないが、暢には間違いなく不可能だろう。
だったら何故、ここまで来れたのだろうか? 再会できた事よりも疑心が強く、どう対応すればいいのか分からず近寄る事も離れる事も出来ずにいた。
「よぉ、傑。 また会えて嬉しいぜ! お陰で、俺は、お、れ、はオレハオレハオレオレオレ」
傑は最初だけいつもの口調だったがすぐに言動が怪しくなり、その体がメキメキと変形を始める。
身に着けていた装備を破壊しながら下半身がカマキリか何かを連想する昆虫のようなものに変わり、上半身は毛むくじゃらで熊のような太い腕。 元々あった暢の頭部が胴体へ移動、そして虫と獣が混ざったような奇妙な形状の頭部が形成された。 体自体も巨大化し全長は五メートルを超える。
あまりにも唐突に始まった悍ましい変化に傑も影沢も固まる事しかできない。
「スグルぅぅぅぅう!」
暢――いや、暢だった存在は傑の名前を叫びながらガシャガシャと派手な足音を立てながら迫って来る。 反応が僅かに遅れたが傑は影沢の手を掴んで走り出す。
少し後に暢の一撃が地面を大きく抉る。 明らかに人間が喰らえば即死の一撃だ。
暢は傑、傑と名前を叫びながら太い腕を振り回しながら追って来る。
「暢! 正気に戻れ!」
無駄だと思いながらも傑は暢に呼びかけながら木々が密集した場所を狙って通る。
暢にまともな思考能力は残っていないのか、真っ直ぐに追跡を行い、木の隙間に引っかかった。
今の内だと影沢の手を引いて必死に走る。 走っている内に距離が開いたのか暢の声が徐々に遠ざかっていく。
十数分ほど走り続けた所で体力の限界が来たので、息を切らしながら足を止める。
「あぁ、くそ、暢。 畜生、何でだよ……」
傑は近くの巨木にもたれかかり、顔を覆いながら座り込む。
暢が死ぬ可能性に関しては覚悟はしていたが、化け物に変えられるとは思っていなかったのでショックは大きい。 付け加えるならわざわざ傑達の目の前で変異したのは差し向けた者達からのメッセージだろう。 お前達を捕捉している、逃げても無駄だ。 そんな悪意と嘲るような悍ましい意志が透けて見える。
暢と二度と会えない、もう馬鹿な話をできない。 そんな悲しみと変わり果て、怪物となった暢から逃げなければならない現状とで傑の脳は状況を処理しきれずに途方に暮れる事しかできなかった。
暢との付き合いが浅い影沢は比較的ではあるがショックは少なかったが、動揺していたのは同じだ。
自分も怪物に変えられてしまうのだろうか? そう考えると恐怖に身が竦む。
その未来を回避する為にも今、この瞬間に動かなければならない。
「気持ちは分かるなんて無責任な事は言えないけど、今は逃げる事を考えましょう。 ほら、立って」
影沢は傑の肩を叩くが彼は蹲ったまま動かない。
「――俺はもういいよ。 一人で逃げてくれ、幸か不幸か暢は俺にご執心みたいだから囮ぐらいにはなる。 その間に距離を稼いでくれ」
「ちょっと、何を言ってるの? ここに留まると死ぬのよ?」
普段は控えめな彼女ではあるが、傑の投げ遣りな態度に僅かに声を荒げる。
それでも傑は動かない。 彼はもう疲れていたのだ。
最初は帰還の可能性を探るだけの物見遊山だったが、当てにしていたギュードゥルン達はあっさりと窮地に陥り、暢は怪物に変えられてしまった。 ああなってしまえば死んだようなものだ。 この時点で彼の心はぽっきりと折れてしまった。
――もう死んで楽になりたい。
今の彼を支配しているのはそんな弱気と現実逃避だった。
影沢は両手で傑の顔を掴むと強引に自分の方へと向かせる。
「確かに私達が生き残れる可能性は低い。 でも、私達はまだ生きてる。 分かる? まだ生きてるの。 だから、最後の一瞬まで頑張りましょう」
可能性は低いがゼロではない。 影沢は傑の目を見て真っ直ぐにそう言い放った。
傑は僅かに目を逸らしかけたが、彼女の真っ直ぐな視線から逃れる事はできず自然と見つめ合う形になる。 傑は彼女の瞳を少しの間、見続け――
「…………分かった。 もう少し頑張ってみよう」
ややあってそう言った。 彼女はまだ諦めていない。
だったら男の自分がさっさと諦めるのは格好が悪い。 そう思う事で彼は折れた心をどうにか奮い立たせる。 彼の返答に満足したのか影沢が少しだけ微笑んで見せた。
不謹慎な話ではあるが、傑はその笑顔が非常に魅力的に見える。
あぁ、これが吊り橋効果って奴かと心底どうでもいい事を考えた。
不安や緊張、恐怖などを恋愛から来る胸の高鳴りと錯覚する事だ。 だが、今の傑には彼女の存在はモチベーションを保つ為の大きな要因となった。
――もう少しだけ頑張ろう。
そして彼女を守るのだ。 傑はそう心に決めて再び立ち上がった。
影沢はその姿を見てほっと胸を撫で下ろす。 今の彼女にとって頼れるのは傑だけなのだ。
何とか立ち上がって欲しいと彼女なりの精一杯は伝わったようだ。
傑はこれからどうするかを話そうとした所で遠くでバキバキと木が倒れる音が響く。
どうやら近づいてきているようだ。 空は日暮れが近い黄昏時、そう言えばあのトンネルから異世界に迷い込んだ時もこれぐらいの時間帯だったか。
逢魔が時。 不吉な存在と出会う時間。
不吉を求めた傑からすれば強烈なまでに皮肉が効いていた。
「とにかく、ここを離れよう。 頼りになるかは分からないが君は俺が守る。 だからもしも生きて帰れたら俺――と?」
傑がちょっとした決意表明を行いながらおもむろに上を見て硬直した。
何故ならそこには遠くにいる筈の暢が張り付いていたからだ。
影沢もその視線を追って硬直。 どうして? 何故? まだ距離があるはずなのに。
無数の疑問は暢が尻尾らしき部分からボトボトと落としている幼虫のような何かが解消してくれた。
幼虫には人間の口のようなものが付いており、それが唇を震わせるとバキバキと木が折れるような音を出した。
――あぁ、あの音は囮だったのか。 何でもありだな。
「スグルぅぅ」
暢だった存在はそのまま樹上から飛び降り、傑達へと覆い被さった。
二人の悲鳴が森に木霊したが、誰にも届かなかった。
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