1338 「絶望」
「そろそろ飽きて来たので質問も最後にしましょうか」
その言葉に暢は後少しだと救われた気持ちになり、表情が僅かに綻ぶ。
女は暢のその顔を見て裂けたような笑みを浮かべる。
「質問の前におかしいと思いませんでしたか? どうして他のお友達の行方を尋ねられないのだろう? どうして想定していた質問が来ないのだろう? どうして用意していた答えが一つも使えないのだろう、と」
女の声と表情には次第に喜色が混ざり始め、後半に至ってはほぼ笑っていた。
その様子を見て暢は徐々に青褪める。 目の前の女が何を言っているのかを理解し始めたからだ。
――あぁ、この女、最初から――
「あーっはっはっは! 馬鹿が! 調子に乗ってるんじゃないぞこのゴミが! 質問されたら街の方に行きましたとでも言うつもりだったんだろう? お前が寝ている間に記憶の精査を行ったから聞く事なんて何もないんだよこの間抜け! 隔離区画をうろつくだけならまだあっさり殺すだけで済んだのに中にまで入って来た以上、楽に死ねると思うなよ?」
女は笑ってこそいるが声には怒気が内包されており、怒りながら笑うといった器用な真似をしていた。
外見の美しさもあった異様な迫力を放っていたが、そんな事よりも問題は女の言葉だ。
記憶の精査。 つまり何らかの手段で暢は頭の中を見られたのだ。
そんな真似ができるなら尋問は一切必要ない。 もう傑達に追手がかかっているだろう。
自分のやった事が完全な無意味だったと知って絶望がその心を満たすが、何とかしなければ必死に考える。
「ま、待ってくれ、わざとじゃ――」
「勝手に喋んなって言ってるだろうが」
咄嗟に出た言い訳だったが、女は一切耳を貸さずに脇腹を掴まれて肉を毟り取られた。
「あぁ、これだけは喋っていいですよ? ――ねぇどんな気持ち? 必死にお友達を助けようと命まで懸けたのに全てが無意味だったと知ってどんな気持ち? 馬鹿が、虫の浅知恵で私達とこの世界の神を騙せる訳ねぇだろうが。 あぁ、お前のこれからの予定を教えておきましょうか」
テンションのアップダウンが激しいといった印象を受けたが、暢は何となくだが察した。
この女は最初から怒り狂っているのだ。 それを押さえつけて理性的に話そうとしているが、抑え切れない怒りが漏れだしてた結果があの変調だ。
――俺達は思ってた以上にとんでもない所に来てしまった。
暢はこれから殺されて傑達は追手に見つかって八つ裂きにされるのだろう。
そう考えると悲しさと悔しさ、申し訳なさで涙が流れる。 だが、次の瞬間、女の悪辣さに対しての理解が足りていないと暢が理解する事となった。
「まずお前のお友達に追手はまだ差し向けていません。 何故なら、これから用意するのですから」
これから? 女の言葉の意図が理解できな――ふと暢の脳裏にギュードゥルン達が戦っていた怪物達の姿が脳裏を過ぎり自分がどうなるのかを想像して恐怖に震える。
「や、止めてくれ……、もう殺してくれ、いやだ、それだけは勘弁してくれ……」
余計な事を喋ったらどうなるのかは痛い程に理解していたが、そう言わずにはいられなかった。
それ程までにこれから自分に待ち受けている運命は受け入れがたいものだったのだ。
暢は恥も外聞もなく、泣きながら懇願する。 女はそんな暢の姿を見てゾクゾクと身を震わせた。
「駄ぁ目。 グロブスターを持ってきなさい」
女の背後に控えている人型が奇妙な肉塊をそれぞれ一つずつ持ってきた。
片方は赤みがかかっており、もう片方は緑っぽい色をしている。
どちらもドクドクと脈打っており、碌なものではない事は明らかだ。
「選ばせてあげる。 どっちがいい?」
「ど、どっちも嫌だ」
「そう、じゃあ両方にしましょう。 大丈夫、心配しなくても変異させるのは体だけだから。 お前の魂はあっちに移してまだまだ可愛がってあげますからね?」
女が指差した方を見るとマネキンのような人形が転がっており、頭部の部分がぽっかりと空いていた。
「昔はどちらかが残ってないと失敗する面倒な仕様でしたが、今は絶対に成功するようになっているから安心してくださいね? さっきも言ったでしょう? ――楽に死ねると思うなって」
「嫌だぁぁぁぁぁ!!!」
暢は絶叫と言っていい程のこの日一番の悲鳴を上げるが、それを顧みる者は誰も居なかった。
「……本当にこれで良かったの?」
森に入ってしばらくすると影沢がそう尋ねて来た。
傑は黙って首を振る。 本音を言えば後悔していた。
殴ってでも暢を止めるべきだったのに感情に任せて放置してしまった。
精神と肉体の疲労、空腹、希望のない未来。 この状況を構成する全てが傑から余裕を奪っていた。
その為、他人を気遣う余地がなかったのだ。 だからと言って暢と別れるのは不味いと後から後悔が押し寄せる。
こうなってしまった以上、合流は絶望的だろう。 失敗すれば確実に死ぬであろうギャンブルに暢は挑んだのだ。 傑にできるのはどうにか生き残ってくれと祈る事だけだった。
「体調の方は大丈夫か? もしもしんどいなら早めに言ってくれ」
「えぇ、ありがとう」
影沢はそう返して黙々と歩き始めた。
影沢 愛那。 大学生。 そこそこ裕福な家庭、そこそこ高い学力。
そこそこ偏差値の高い大学。 突出した才能はないが何をやってもそこそこやれる。
数値としての評価もそうだが、自分でもそう認識しているのでそれは間違いないだろう。
学業にもそれなり以上に力を入れていたので特に問題も発生せず、卒業が見えていたのでそろそろ就職活動を始めないとと思っていた矢先に妹が消えた。
修学旅行のバスが丸ごと消えた事件は全国で報道され、それを知った両親の呆然とした顔は今でも忘れられない。 消えた事を知らされたのと報道されたタイミングがほぼ同じだったので、尚更だろう。
学校側も困惑が強く、どうして消えたのかさっぱり分からないとの事。 当然だろう、他のクラスは目的地に到着しているのに妹を乗せたバスだけが消えたのだから。
現代の神隠し、宇宙人の仕業、何らかの誘拐事件、単純な交通事故。
様々な憶測が飛び交っていたが、はっきりしている事はたった一つ。
妹とそのクラスメイトの大半は消えてしまった事だ。
――そう、大半なのだ。
何故か数名の生徒は帰ってきた。 彼等の証言では目的地に到着し、その後山中で道に迷って下山したので他は知らないと聞けば聞くほどに訳が分からない。
他のクラスの生徒や教師の証言とも矛盾するので、何かを隠しているのは間違いないだろう。
誤字報告いつもありがとうございます。
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