1337 「指失」
暢は屋敷の裏手に回る。 ここまでは問題なく進んだ。
まずは裏口を見つけて中に入って後は――特に考えていなかった。
とにかく目当ては梼原の不意を突く事だ。 万が一にもどうにかできれば一応は道は開ける。
開けなかったとしても目的は達せられるので、あわよくば無事に切り抜けたい。
暢は緊張による汗をかきながら見つけた小さな扉へ近づこうとして――
「あれ?」
肩に違和感。 振り返ると串のようなものが突き刺さっている。
痛みが来る前に全身の感覚が消失し、振り返るとさっきのゴブリンが吹き矢のような物を持っている姿が映り――暢の意識はそこでぷっつりと途切れた。
最初に感じたのは寒気だ。
寒さに身を震わせて暢が目を覚まし、目を開くと思わず悲鳴を上げかけた。
最初はあの屋敷のどこかと思ったが、壁にはペンチやノコギリなどの工具類、そして部屋一面には赤黒いシミが無数の広がっている。 何かが飛び散って渇いたような跡だろう。
これだけ揃っていればこの部屋がどういった用途で使用されているのかは想像に難くない。
拷問部屋。 これから自分は酷く痛めつけられるのだろう。
そして知っている事を洗いざらい喋らされるのだろうと想像して寒さだけでなく恐怖に震える。
逃げる事は不可能だ。
何故なら暢は身ぐるみを剥がされ、全裸で壁に貼り付けられているので、逃げる以前に身動きが取れない。 何とか逃れようと藻掻いてみるが壁に繋がっている手枷、足枷が外れる気配はなかった。
しばらくすると扉の向こうからコツコツと複数の足音が聞こえて来る。
いよいよかと暢は緊張と恐怖に息を呑む。 そうして入って来たのは美しい女と全身鎧の人物が二人。
特に女は暢の視線を強く吸い寄せる。 拠点を襲った美女も凄まじかったが、こちらも同格かそれ以上の美貌だった。 高級そうな真っ黒なドレスに結い上げた黒髪が良く似合う。
背後に控えている二人は――いや、二人ではない。 全身鎧を身に着けているように見えたが、よく見れば鎧の隙間に肉のような生々しさがある。 恐らくだが、こいつ等はそう言う生き物なのだ。
驚きはしたがややあって不思議はないと納得する。 拠点を襲った怪物達は常軌を逸した姿をしていたのだ。 人の形をしているだけマシだと言える。
「お、俺は――」
「許可なく喋るな」
口を開いた暢の言葉を遮り、女は彼の動体視力では認識できない動きで彼の右手小指を毟り取った。
あまりにも速すぎて自身の肉体の欠損を自覚できなかった事もあり、痛みは遅れて襲って来る。
激痛に悲鳴を上げると同時に女の背後にいた異形が口を塞いで、声量を抑え込まれた。
「一度しか言わないから良く聞きなさい。 私が許可した時以外に何か喋ったら罰として体の一部を没収する。 その虫並みの脳みそに良く刻みなさい」
そう言って悲鳴を上げたからもう一本ねと指をまた引き千切られた。
暢は脂汗を掻きながら必死に悲鳴を堪える。 激痛に汚染された思考で彼は必死に頭を働かせた。
この状況は不味いが、即座に命を取られる事はないと思っている。
理由はこの状況そのものだ。 ここは入られると不味い場所で、暢達が入り込んだのはイレギュラーだった。 その為、早々に決着を着ける必要があり、一刻も早く傑達の居場所が知りたい。
だからこいつ等は自分を殺せないはず。 暢の頑張り次第で敵の捜索状況をコントロールできる事に他ならない。 彼の目的は捜査の攪乱だったので捕まる事は織り込み済みだった。
傑を焚きつけてこんな場所まで来るように仕向けた原因は間違いなく自分にある。
だからせめて親友だけでもどうにか逃がしてやりたい。 暢は嘘の情報を敵に流し、捜査を攪乱する事で発見を遅らせて救助が来るまでどうにか粘ろうと考えていた。
それが彼が屋敷に戻った理由だ。 傑とは喧嘩別れのような形になったのは残念だが、これまで同じ時間を共有した親友にしてやれる、そして巻き込んでしまった暢ができる精一杯だった。
女は静かになった暢に視線を向ける。 美しい女だったが、その視線は好きになれなかった。
表情こそ取り繕っているが、目の奥には隠しきれない愉悦のようなものが見え隠れしており、これから暢を痛めつける事に何らかの楽しみを見出しているようだ。
「さて、静かになった所でお前に尋ねたい事があります。 正直かつ即答しなさい」
「わ、分かった」
「勝手に喋るなって言ってるだろうが、学習能力がないのかこのゴミ」
また指を引き千切られた。 悲鳴を呑み込み切れずに僅かに漏らしてしまう。
それによりまた千切られた。 激痛に涙を流していたが、彼を襲う受難はまだ終わらない。
止血と称して魔法で生み出された火の玉を傷口に押し付けられた。
更なる激痛が襲うが、悲鳴を上げ続けたら本当に殺されてしまうと必死に耐える。
静かになった所で女は話を続ける事にしたようだ。
「では、質問です。 逃げたお前のお友達。 どうなると思いますか?」
「お、俺と、同じ目に遭わせ、るんだろう?」
そう返しながら暢は違和感に襲われていた。
彼の想定では真っ先に尋ねられるのは傑達の行方だと思っていたからだ。
何故、最初の質問がそんなどうでもいい事なのだろうか?
「……まぁ、良しとしておきましょうか。 では次の質問を」
その後も女はどうでもいい質問を繰り返した。
何を考えてこの世界に来たのか? 拠点が襲われてどう思ったのか?
傑達の事をどう思っているのか? コスモロギア=ゼネラリスでの生活は楽しかったか?
答えながらも悩む素振を見せると即座に体の一部が引き千切られるので、考えられずに即答する事しかできない。 質問に答えながらも疑問はどんどん膨らんでいく。
嬲られるような感覚と追い詰められているかのような焦燥感にじりじりと焼かれる。
何度も聞きたい事があるならはっきりと聞け、傑達の行方が知りたいんじゃないのか?
そう聞き返したい衝動に襲われていた。 元々、尋問される事は織り込み済みで、質問されるであろう内容とそれに対する答えは用意していたのに一つも使えていない。
――まるで暢の考えを見透かしているかのようだった。
そう考えてさっきまでとは別種の恐怖に身を震わせる。
馬鹿な。 そんな事があるはずない。 痛みと焦燥に侵されて出て来たありもしない妄想だ。
暢はいつも間にか全力疾走したかのように定まらない呼吸になりながら女のどうでもいい質問に即答し続ける。 繰り返している内に女は飽きて来たのか、質問の仕方も投げ遣りになって来ていた。
よく分からないがこのまま行けばこの状況を切り抜けられるかもしれない。
少しだけ暢の心に希望の光が差した。
誤字報告いつもありがとうございます。
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