1336 「自責」
「ごめんなさい。 わたしでは力になれそうにないです」
傑の懇願を梼原はやんわりと拒絶する。 この状況の危うさは暢も影沢も理解しており、暢も傑と同様に血の気の引いた顔で途方に暮れていた。
「ならせめてどうすればいいのかを教えてくれませんか?」
そう尋ねたのは影沢だ。 質問の意図を掴みかねた梼原が首を捻る。
「どうすればというと?」
「あなたは私達を助ける事はできない。 なら、せめてどうすれば生き残れるか教えて貰えませんか? もしも捕まったとしてあなたの名前は出しません。 救助が来るまで大人しく隠れているので、見つからない場所を教えてくれるだけでいいんです」
影沢はお願いしますと頭を下げた。
梼原はうーんと悩むような素振りを見せたがややあって力なく首を振る。
「それはもう無理だと思います。 姿を見られた時点で足取りは辿られるので、見つかりたくないと言うのなら森から出ない方がよかった。 同郷の方なので何とかしてあげたいとは思ってますけど、わたしにとってはあなた達の命よりも今の生活の方が大事なんです。 ですので、アドバイスを一つだけ。 見つかりたくないと言うのなら森の奥深くへ行く事をお勧めします。 この村から向こうには街があるので向かえば確実に見つかって殺されるので、行くのなら森だけしか選択肢はありません」
「つ、つまり、あの森に戻れってのかよ」
「少しでも長生きしたいのなら」
梼原は淡々と現実を告げる。
「ならせめてこの屋敷に匿って――」
「通報しますよ?」
そう言われて傑はぐっと言葉を呑み込んだ。 分かってはいるのだ。
梼原はこの世界の住民で生活も人間関係もある。 それを捨ててまで見ず知らずの傑達を助ける義理はない。 分かってはいるが、だからと言ってはいそうですかと納得はできなかった。
梼原の言葉が正しいのならこんな話をしている場合ではなく、一刻も早く森に戻って身を隠さなければならない。 だが、一週間彷徨ってあの環境の過酷さを散々味わって来た身としてはまた終わりの見えない放浪生活を送らなければならないと考えると強い抵抗が生まれるのだ。
「なぁ、梼原さん。 本当に困ってるんだ。 森に戻る以外に何かないのか? あんたの助けが必要なんだよ」
「ごめんなさい。 仮に助けた場合、わたしだけの責任にならないんです。 言っている意味、分かりますか?」
要は他にも迷惑がかかるから助けられないという事だろう。
それでもしつこく縋ろうとする傑に梼原は力なく首を振った。
「話は終わりです。 今すぐに森に行くなら果物を盗んだ事は問わず、半日待ってから通報します。 そうしないのであれば今すぐに通報します」
――選択の余地はなかった。
屋敷を追い出された傑達はとぼとぼと森へ向かって歩いている。
食料も碌にない状態で入るのは自殺行為だが、残っていると確実に死ぬので行くしかない。
歩いていると森が見えて来た。 戻る事を考えると足取りは重い。
「……取りあえず、魔導鉄騎があった場所まで戻るか」
「そうね。 どうにか修理できないか試してみましょう」
取りあえずの方針を決めようとしたのだが――
「悪いけど俺は戻るぜ」
――暢が異を唱えたのだ。
「戻るって何処に?」
「あの屋敷にだよ。 見た感じ、あのアリクイそこまで強そうじゃなかった。 どうにか取り押さえて脅しちまおう。 それで匿わせるんだよ」
「……あなた正気? 一応とはいえ盗みを見逃してくれた恩人よ?」
「悪いとは思ってるさ。 でも、森に入ってどうするよ? 水はどうにかなるけど、食料の調達手段がない状態で来た道を戻るなんてまず無理だ。 どっちにしろ死ぬんなら、あのアリクイに泣いて貰った方が生き残る可能性があるだけマシだろ?」
暢は生き残る為には手段を選ぶべきではないと主張しているのだ。
彼の言う事には一理あった。 拠点を襲った怪物に比べればゴブリンや梼原は与しやすい相手と言える。 だからと言って可能な範囲で親切にしてくれた恩人相手に仇で返すような真似をしてもいいのか?
実行して仮に助かったとしても自己嫌悪で頭がおかしくなるかもしれない。
「冗談じゃないわ。 それをやるぐらいなら森で彷徨った方がマシよ」
「悪いが今回ばかりは影沢さんに同意だ。 暢、止めとけ」
難色を示す二人に暢は小さく肩を竦めた。
「だったらここでお別れだな。 俺はあんな森を彷徨うぐらいなら犯罪者になる道を選ぶね」
そう言って元来た道を引き返した。 傑はよせと肩を掴んだが、乱暴に振り払われる。
傑の表情に怒りが宿り「勝手にしろ」とだけ吐き捨てて歩き出した。
影沢は暢を一瞥したが、傑の後を追う。 暢は肩越しに振り返って傑の背を一瞥したが、そのまま駆け出した。
西ケ迫 暢は屋敷が見えて来た所で足を緩めて、ゆっくりと裏へと回る。
考える事はこれからどうすればいいのかと傑達に対する自責の念だ。
彼は生まれてから、我慢をあまりしない性格だった。 欲しいものがあれば真っ直ぐに手を伸ばし、やりたい事があればそのまま飛び込む。 その性格に従って他の世界へ向かうこの催しに参加した。
特に深い考えがあった訳ではない。 ここに来たかったのは単なる好奇心だ。
傑を誘ったのも一人ではつまらないと思ったからであって、他意は本当になかった。
そんな自分の性格を彼は今日この日、心の底から呪っている。 梼原の言葉に嘘はないだろう。
自分も傑も影沢も間違いなく殺される。
彼女の物言いから精々、遅いか早いかの差でしかないといったニュアンスが伝わっていたので、暢はぼんやりと「あぁ、俺達はこの後死ぬんだろうな」と思った。
実感が湧かなかったので本当にぼんやりと思っていたが、必死に命乞いをする傑の姿を見て徐々にだが状況に理解が追いついてしまったのだ。
この状況を作ったのは自分で、その所為で親友が死ぬんだと考えると凄まじい後ろめたさが彼を襲った。 梼原との話をしている場であまり口を挟まなかったのはそんな事を考えていたからで、心に余裕がなかったからだ。
離れたのは傑を直視できない事もあったが、本当の目的は別にあった。
その為に彼はこの屋敷に舞い戻ってきたのだ。 梼原をどうにかできるとは彼自身、欠片も思っていなかった。 戦闘能力は高そうに見えなかったが、人間離れした異形の体なのだ。
殴り合ったら十中八九負けると確信していた。
それでも暢はそう言って彼等から離れなければならなかったのだ。
誤字報告いつもありがとうございます。
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