1335 「泥棒」
「おい、ヤバいって――」
制止こそするが、傑も空腹だったので瑞々しく実っている果物には惹かれるものがあった。
「大丈夫だって、これだけあるんだ。 少しぐらい食ったって何もねぇよ!」
そう言って手当たり次第に食い散らかす暢を見て我慢できなくなったのか影沢も林檎を千切って齧り始めた。
「影沢さん!?」
「……うん。 凄く美味しい」
特に消耗の激しかった影沢にはかなりありがたかったのか、薄っすらと目尻には涙が浮かんでいた。
――俺も食うべきか?
傑も気持ちが食べる方に傾き、無意識に手が伸びかけた所でドサリと何かが落ちる音が聞こえ弾かれたように視線を向けるとそこには背中に籠を背負った小柄な生き物が居た。
大きな目に緑色の肌。 身長は子供程度だが、手足の盛り上がりから筋力は子供以上だろう。
――ゴブリン?
真っ先に浮かんだワードはそれだ。 フィクションによく現れる生き物と特徴が酷似している。
ゴブリンは足には長靴、首にはタオル、そして頭に麦わら帽子を被っていた。
明らかに農作業を行おうとしている格好だ。 つまりこの畑の関係者である可能性は高い。
ゴブリンは怯えたように数歩、後ずさりをすると逃げ出した。
ヤバい。 どう考えても今のゴブリンは人を呼びに行った。
そして傑達は果物の窃盗犯だ。 この世界のルールは不明だが、盗人に寛容である可能性は低い。
暢もそれを瞬時に理解したのか、逃げ出した背を追って駆け出す。
傑もそれに続く。 ゴブリンは背が低い所為かそこまで足が速くないので、追いつく事はできそうだ。
だが、追いついたとしてどうすればいいのだろうか? 殺す?
口を封じる最も分かり易い手段だが、果たして傑達にそれを実行できるのだろうか?
どちらにせよこのまま逃がすのは不味い事も理解しているので追う以外の選択肢は存在しなかった。
畑を抜けると田舎といった風情の長閑な風景が広がる。 石造りの家屋に収穫した作物を貯蔵しているであろう倉庫。 ゴブリンが向かった先は中でも一際大きな屋敷だった。
門を抜けて中へ、大きな両開きの扉の前でゴブリンは何かを訴えている。
傑達が追いついたと同時に扉が開き、中から何かが現れた。
形状は人型に近いが、全身を覆った毛と特徴的な頭部は元の世界にも存在していたある生物に似ている。
「アリクイ?」
思わず傑はそう呟く。 アリクイは傑達を見て不思議そうに首を傾げる。
「あの、どちら様ですか? 来客の予定は――え? 泥棒?」
ゴブリンがアリクイに何かを囁くと視線には困惑と警戒が浮かぶ。
「ま、待ってくれ。 盗んだ事は謝る。 事情があったんだ! 何らかの形で弁償はする! だから、この場は見逃してくれ! 頼む!」
傑はその場で土下座した。 彼はとにかく警戒を解く事に必死だ。
通報でもされれば拠点を襲って来た連中が即座に飛んでくるだろう。
少なくとも足取りが掴まれてしまう。 曲がりなりにも一週間近く、無事だった事を考えれば襲って来た者達は傑達の事を見失っている可能性が高い。
「ちょ、ちょっと待ってください。 分かりましたから取りあえず、お話を聞かせて貰えませんか?」
アリクイは慌てた様子でそう言った。
「はぁ、それは大変でしたね」
場所は変わって屋敷内の一室。
傑達はアリクイとテーブルを挟んで向かい合っていた。
一通り事情を話した。 自分達が日本からコスモロギア=ゼネラリスに転移した事、その後にこの世界へとの接触が予見され偵察に送り込まれた事。 その後に襲われて今に至るまでの全てを。
それを聞いたアリクイの感想がこれだった。
梼原 有鹿。 それが彼女の名前だった。
凄まじい偶然もあった物で彼女も日本出身だったのだ。 死亡した後、異世界に転生して今に至っているとの事だ。 転生が本当にあった事にも驚きだが、同郷人が居てくれた事は彼等にとっても光明だった。
「そうなんだ! 俺達は好き好んでこんな所に来た訳じゃない。 もしかしたら日本に帰る為の手段があるかもしれないって思って偵察に参加したんだ。 だから――」
見逃してくれ。 もしくは見逃してくれるように取り計らってくれ。
そう言おうとした傑の願いに梼原は力なく首を振る。
「ごめんなさい。 そういう事なら力になる事はできません」
「な、何で!? 同じ日本人だろ? 頼むよ、助けてくれ、いや、下さい。 本当に困ってるんだ! 俺達は家に帰りたいだけなんだ!」
これまでに溜めこんでいた様々なものが噴き出すように傑の口から言葉となって溢れだす。
一週間の当てのない移動もあって彼のストレスは凄まじい事になっていた。
その為、言葉には責めるような色が濃い。 彼自身にも八つ当たりに近いと理解はしているが、止める事はできなかった。 そんな傑の言葉を梼原は黙って聞いている。
しばらくの間、助けてくれと言い続け、途中で暢も似たような懇願を行ったが梼原の反応は変わらない。 二人が黙った所で彼女は口を開く。
「何か勘違いをされていると思いますが、私にあなた達を助ける力はありません。 確かにこの世界の偉い人に取り次ぐ事は出来ます。 ですが、上の人達があなた達を処分すると決めているのならその決定は覆りません。 良くても引き取りに来ると言った名目で処分の為の人員が来るだけです。 それにここに来たのはあまり良くなかった」
「良くなかった?」
少なくとも次の瞬間に殺される心配はなく、話ができる人間と会えたので傑からすればこれ以上ない程の幸運だった。 梼原は力なく首を振る。
「多分ですけどあなた達がいた平原は家で言うなら庭のような感じの場所なんです。 敷地内ではあるけど入られてもそこまでは不快ではない。 そんな感じの場所だったんですけど、ここは家の中なんです。 言っている意味、分かりますか?」
何となくだが理解できた。 庭であるあの平原に足を踏み入れただけであの対応なのだ。
屋内に侵入し、あまつさえ盗みまで働いた。 これから自分達がどうなるのかが容易に想像できてしまう。
「な、なぁ、何とかならないのか? 俺、まだ死にたくないんだ。 助け、助けてくれよぉ……」
ギュードゥルン達がどうなったのかを思い出して泣きそうになる。
自分達は足を踏み入れただけの彼女達よりもこの世界の怒りに触れるような事をしてしまったのだ。
殺されるのは確定だろうが、楽に死ねるのか非常に怪しかった。
そんな想像を遥かに超える絶望が待っている事を考えると恐怖で震えが止まらない。
誤字報告いつもありがとうございます。
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