1332 「撒卵」
騎士の悲鳴。 斬撃を源とした金属音。
万歳万歳と連呼する騎士だった異形。 力尽き、倒れ伏す騎士と広がる血溜まり。
死に瀕しても世界を称える事を止めずに崩れ落ちる異形の群れ。 この状況を正気で直視しろ?
一体、何の冗談だとギュードゥルンは思う。
魔力剣を振るい、目の前の異形を斬ろうとするが、アルヴァーだった存在は無駄なく受け止め、斬り返してくる。 見慣れない姿で繰り出される見慣れた挙動による斬撃。
頭がおかしくなりそうだ。 その後ろではサブリナが笑いながら頑張れ頑張れと心にもない声援を送っており、別の意味で頭が沸騰しそうだった。
背後からテレーシアの支援魔法が飛んで来て彼女の身体能力が上昇し、疲労が抜けていく。
アルヴァーが突きを繰り出し、ギュードゥルンの喉を貫こうと切っ先が迫り、それを紙一重で掻い潜って一撃。 アルヴァーの体に斜めの傷が刻まれるが、グチグチと生々しい音と共に塞がって行く。
――こんな世界に来るべきではなかった。
ギュードゥルンは守護騎士となってから後悔のない人生を送ろうと心がけていた。
騎士としてしっかりと前を向き、正しくあろうと意識すればするほどに悔いなく在ろうと思うのだ。
だから、この世界への侵攻も抵抗こそあったが、滅ぼす事になったとしても自らの信念に従った結果だと胸を張れると確信していた。 だが、これは何だ?
これまでにコスモロギア=ゼネラリスは数多の世界との衝突を繰り返して来た。
ギュードゥルンはまだ若いので異世界間戦争に参加した経験はなかったが、異世界への偵察や招かれざる来訪者の処理は何度か行った経験がある。 世界が違えば生態も違う。
事実、他の塔の住民達は彼女達とまったく異なる姿、生態をしている。
それでもだ。 それでもここまで生物の尊厳を冒涜する存在はこれまで生きて来て見た事がない。 オラトリアム。 何と悍ましい世界なのか。
他者を自身の意のままに作り替え、支配してしまうという暴挙。
絶対に滅ぼさねばならない悪だ。 巫女達が脅威と断じたのは正しく、こんな世界は一瞬たりとも存在させてはならない。 全ての世界、全ての生命体にとって害でしかない。
――この事を誰かに伝えなければ。
自分達がこの場を切り抜けられる可能性は低い。
ギュードゥルンは自らの死を覚悟していた。 それでも――目の前のアルヴァーを見る。 万歳万歳と叫ぶ彼を見て、心の底から彼女は思った。
――ああはなりたくはない、と。
自分が敗れればあのサブリナという悍ましい女が自分に何をするのか?
想像しただけで恐怖に身が竦む。 肉体を作り替えられるだけではなく、精神まで凌辱するその所業は守護騎士の彼女を以ってしても恐ろしいものだった。
しかし、状況は無情にも進み。 彼女の恐怖が現実になる可能性が徐々に形になって行く。
そうはなってたまるかと彼女は必死に抵抗を試みる。 気持ちで負けては駄目だ。
せめて気概だけは、守護騎士としての矜持を貫く。 彼女はそう自身を奮い立たせるが――
「さて、そろそろ飽きてきましたし終わりにしましょうか」
サブリナがそう言って席から立ちあがった事で状況は大きく動くことになる。
当然、悪い方にだ。 彼女は頬を高揚させてゾクゾクと身を震わせる。
碌な事にならないのは分かり切っているので止めようとしていたが、アルヴァーで手一杯のギュードゥルンはサブリナの行動を視界の端に捉えて見ている事しかできなかった。
サブリナの腹がボコボコと波打つように膨張と収縮を繰り返す。
同時に彼女の足元でベシャベシャと液体がぶちまけられる音が響いた。
何が起こっているのかギュードゥルンには欠片も理解できなかったが、良くない事と言う事だけは分かる。 サブリナは頬を染めて陶酔したような表情を浮かべていた。
そして、彼女がぶちまけた――否、産み落としたものが動き出す。
形状は卵に近く、大きさは人が抱えられる程度。 表面は白と黒のマーブル模様。
それが光る羽を展開し、矢のような速度でサブリナの足元から飛び出す。
「誰でもいい! 処理しろ!」
何かは分からないが、碌なものではないのは見れば分かるのでアルヴァーの相手で手が離せないギュードゥルンはそう叫ぶ。 明らかに危険な存在なので言われるまでもないと撃ち落とさんと無数の魔法攻撃が飛ぶが、卵は滑らかな動きで回避しながら突っ込んでいく。
狙いは地面に転がっている瀕死、または死体となった騎士達だ。
卵は狙った相手に接触すると同時に弾けて沁み込むように体内へ。
そうなった後は早かった。 謎の卵の侵食を受けた者は次の瞬間に起き上がり、背中から血に塗れた赤黒い色の羽根が飛び出し、怪物へと変貌したからだ。 それを見てギュードゥルンは絶望する。
死んだ分だけ敵が増えるのもそうだが、この惨状がサブリナの仕業であるとはっきりした事もだった。
サブリナは無尽蔵に生み出せるのか次々と悍ましい卵を産み落とし続けている。
明らかに自分の質量以上の卵を産み落としているが、消耗した様子は一切ない。
――まさか、無尽蔵に生み出せるのか?
無限ではないのかもしれないが、自分達全員を変異させる程度の卵を生み出せるのであれば同じ事だった。 そんな事を考えているギュードゥルンの前でサブリナは気持ちよさそうに下腹部を収縮させながら卵をドバドバと地面に産み落とし、戦場にばら撒いている。
卵自体に戦闘能力はないようで当たりさえすれば撃破は容易だが、動きが速すぎて全てを捉える事は難しかった。 怪物化している者達の相手をしながらなので尚更だ。 現状では物量で勝っている事で抑え込めていたが、時間経過でそれが反転する未来が見えた以上、勝敗はもう決まったようなものだ。
終わった。 ギュードゥルンはもう勝ち目がない事を悟っており、本音を言えばもう膝を折って屈するべきなのではと頭のどこかで考えていたが、目の前にいる醜く変わり果てたアルヴァーの姿がそれを許さない。 サブリナを仕留める事は敵わないだろうが、せめてアルヴァーだけでも楽にしてやろう。
そんな感傷的な理由で彼女は剣を振るう。 確かに怪物化したアルヴァーは強く、生前の技量そのままなのも脅威だ。 だが、それ故に癖――弱点もそのままなのが唯一の付け入る隙だった。
仕留めに入る時、やや大振りになった所で懐に入り込む。 何度も斬撃の応酬を行いながら、確実に仕留められる機を窺っていた彼女はアルヴァーだった存在を下から斜めに両断。
アルヴァーは壊れたレコードのように万歳万歳と弱々しく口にして動きを止めた。
これでやるべき事はやった。 後は勝てないまでもせめてここでサブリナだけは仕留める。 ギュードゥルンは斬り倒したアルヴァーを意識的に視界から外し、彼女に向かって駆け出した。
誤字報告いつもありがとうございます。
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