1325 「擂潰」
変化が起こった。 相手の考えは分からない。
動かないルーホッラー達に痺れを切らしたのか、それとも何らかの準備ができたのか?
正確な意図は対面しなければ不明なままだろう。
その変化を感じ取ったのはその場にいた全員同時だった。
何故なら場所が一瞬にして切り替わったからだ。 平原から石畳がどこまでも広がる何もない空間へと。
そして少し離れた位置からコツコツと固い足音――恐らくはヒールか何かを履いているであろうその発生源は一人の女。
「――っ!?」
その姿を認めた瞬間、一部の者が動揺から声を漏らす。
先頭に居たルーホッラーも他と同様に声こそ漏らさなかったが、動揺は大きい。
非常に美しい女だった。 青みがかった長い髪に全体的に細いが均整の取れた体つき。
人体の黄金律と言わんばかりの完成されたその造形は生物と言うよりは美術品の類にも見える。
身に纏っているのは黒を基調としたドレスであちこちに金色の意匠を施されており、一目で高級品だと分かった。 確かに美しい女ではあるが、それだけではルーホッラー達は驚かない。
彼等を真に驚愕させたのはその本質にある。 世界と繋がり、その魔力の流れとも言える大河を観測する白夜の塔の者達は存在の本質を捉える術に長けており、見た目には騙されない。
そんな彼等だからこそ見えてしまったのだ。 その女の悍ましい中身に。
人の形をしているだけで中身は人どころかまともな生物かも怪しい巨大で歪な存在。
まるで混沌という概念を人型に押し込めたかのような魔力の流れは見た目の美しさとの落差も相まって、吐き気すら催す悍ましさだった。 同時にこの存在と自分達は相容れないと本能と呼べるレベルで理解できてしまうのだ。
他の塔は生態系が違うのでコスモロギア=ゼネラリスは少々の落差は許容できる程の寛容性は備えており、ルーホッラーも少々の価値観の違いは呑み込める度量は持ち合わせているつもりではある。
だが、これは――こいつ等は駄目だと彼の本能とも呼べるものが警告を発するのだ。
共存などあり得ない、この生物と自分達は殺し合うしかないと。
女は値踏みするようにぐるりと視線を巡らせ――ルーホッラーに向ける。
それだけで巨大な生物に睨みつけられたかのような威圧感が彼を襲う。
「――まぁ、いいでしょう。 喜びなさい、お前には我らの神に拝謁を賜る栄誉が与えられます」
「何を――」
ルーホッラーの言葉は最後まで紡がれず、その姿が一瞬にして掻き消える。
女はふうと小さく息を吐く。
「まずは自己紹介を。 私はファティマ、この世界を支配する神の僕にして妻。 本来なら薄汚い害虫に名乗る事はありませんが今回は特別です。 神の聖域を荒らす害虫共、私は非常に不機嫌です。 自分達が何の怒りに触れたのかだけを理解して死になさい。 自殺するなら止めはしませんが、やるなら急いだ方が良いですよ?」
女――ファティマの言葉は一切の妥協の余地なく、彼等とは相いれないと言う事を示しており、それを正確に理解した白夜の塔の者達は即座に戦闘体勢を取る。
この集団で最強だったルーホッラーが消えたとはいえ、精鋭五百万。 全てが戦闘員ではないが、圧倒的な物量差は容易く覆せるものではない。
「結構、では死になさい」
――はずだった。
最初に犠牲になったのは先頭に居た約三千。 彼等は見えない何かに引き裂かれ、何が起こったのかすら理解できずにその生涯を終えた。 追加で二千が死んだ所で、状況に理解が追いつく。
彼等の命を奪ったのはファティマの背から伸びている巨大な尾だ。
金属のような硬質な見た目をしており、表面には逆立った毛のようなものが見える。
アレが凄まじい速度で通り抜け彼等を磨り潰したのだ。 あまりにも巨大な尾で、明らかに数十メートルはあり、彼等の視界の先で延長を続けている。 つまり伸びているのだ。 ファティマの小さな体のどこにそんな巨大な尾を治める余地があるのかは不明だが、九本の尾はそれぞれが独立した生き物であるかのように動き回り、残虐かつ無慈悲に侵入者を擦り潰していく。
戦闘開始から十秒経過した頃には犠牲者は万を軽く超えた。
ファティマも最初の三秒ぐらいは目障りな害虫を叩き潰した事で少しだけ気持ちよくなったが、五秒経過した頃には飽き始めており、七秒後には戻った後の仕事の事を考え始める。
本来なら直接叩き潰すという戦い方は彼女の不得手とするところではあるが、溜まったストレスの解消を行う為に慣れない直接攻撃を多用していたのだが、飽きたのでもう終わらせるかと思った時だった。
尻尾が何かに弾かれたのだ。
「おや?」
それを成したのは数名の戦士。 彼等は何らかの手段で尻尾による一撃を弾き返したのだ。
別の事を考えていたので一切見ていなかったファティマはどうやって防いだのだろうかと観察する。
代表と思われる男が力強い眼差しでファティマを睨む。
「俺は戦士ダラヴァグプタ! 異界の怪物よ! 貴様がいかに強大であろうとも大河と共にある我等が負ける事などあり得ない! 世界と共にある我等の力を見るがいい!」
ダラヴァグプタと名乗った戦士は持っていた小瓶から粉のような物をばら撒く。
すると粉が勝手に動き、地面に魔法陣のような物を描く。 ダラヴァグプタはそれを力強く踏みつけると、魔法陣が輝き始める。 それを見てファティマはあぁと白けた表情を浮かべる。
「維管形成層への接続による威力のブーストですか。 轆轤の亜流と言ったとこですね」
彼女は彼等の能力の本質を即座に看破していた。
ダラヴァグプタの使用したものは維管形成層――彼等が大河と呼ぶ世界を流れる魔力を攻撃に転用するものだ。 亜流と評したのは汲み上げてそのまま転用するので、自身の体内――増幅器である轆轤を介さずに使用している事にある。 それにより肉体にかかる負担を大幅に軽減できるので、賢い使い方と言えるだろう。
ただ、轆轤を介さない魔力に指向性を与える必要がある為、出口となる魔法陣の規模はかなり小さい。
個人レベルでの運用と割り切るならそこそこ優秀と言える。 だが、本当にそれだけだった。
「威力は大した事なさそうですが、一応は見てあげましょうか?」
「ほざけ! その増長、身を以って後悔するがいい!」
―― 障碍を打ち砕く者。
ダラヴァグプタの腕から指向性を持った雷が迸った。
誤字報告いつもありがとうございます。
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