1323 「正気」
黒く染まった甲虫のような存在の群れが大地を疾走する。
形状は様々ではあるが、虫のような見た目なのは共通していた。
彼等は地動の塔の住民達だ。 闇の中で蠢く蟲の群れ。
それこそが彼等の本質だ。 ただただ、突き進んで蹂躙する。
地動の塔の者達の知能はコスモロギア=ゼネラリスの中でも低いが、単純な頑強さでは上位だ。
魔法やそれに類する技術ではなく、生まれもった頑強な体は大地を走るだけで全てを更地へと変える。
他の塔と同様に何もない平原に送られた彼等だったが敵を滅ぼせと指示を受けており、細やかな判断や戸惑いを発生させる程の知能もないので敵を求めて疾走を開始した。
走っていれば何かにぶつかるだろう。 それを踏み潰せばいい。
彼等はそのシンプルな思考に従ってひたすらに何もない平原を突き進む。
「……はぁ、このタイミングで来るんだもんなぁ……」
その様子を遠くから見ている二つの存在があった。
「まぁ、こればっかりは仕方ないじゃない。 見た所、そこまで強そうではなさそうだし、さっさと片付けてしまいましょう」
片方は少年とも少女とも取れる中性的な顔立、体格をした存在。
肩まで伸びた髪はひとまとめにされており、装備の類は身に着けておらず私服と言った装いだ。
返した相手は熊の姿をした存在で、こちらも体に合った服を着ていた。
アスピザルと夜ノ森 梓。 オラトリアムから地動の塔の者達の殲滅を言い渡された者達だ。
侵入者への対処は大半が志願制だが、一部は当番制で侵入した時に担当していた者が、対処に当たる。 今回はアスピザルの番だったので、こうして不本意ながらも出て来たと言う訳だ。
「もう一日ずれてたらヴェルに押し付けられたのに」
アスピザルは面倒だなと零していたが、殲滅以外の仕事はしっかりと片付けた後だった。
地動の塔の者達のサンプル採取と戦力分析――要は簡単な情報収集だ。
採取に関しては転移の罠を進路上に仕掛けていたので、数体の捕獲は既に成功している。
ちなみにだが、地動の塔の者達は突撃する事に夢中で同胞が消えた事に気が付いていない。
「一応、隠してる可能性も考慮して徹底的に調べたけど、本当に虫だね」
「そうなの? 聞いた話ではかなり進んだ世界って聞いていたけど……」
「うーん、あのレベルの知能で文明を築けるとは思えないけど、向こうの構造が影響してるっぽいね」
「確か複数の世界が連結しているのだったかしら?」
「みたいだね。 構造としてはかなり珍しいよ。 ただ、記憶を吸い出したおじさんは早々に出て行ったみたいだからたいした情報が抜けなかったんだよね」
事の起こりは少し前にこの世界――オラトリアムに異世界からの人間が迷い込んで来たのだ。
戦闘能力は皆無だったので取りあえず捕獲後に転移して来た経緯を調べる事となったのだが、どうも他所から飛ばされて来たらしい。 それを上層部はゴミの不法投棄と解釈して滅ぼしに行こうと言う事になった。
「訳が分からない――って言いたいんだけど、既に何回も似た理由で同じ事してるからもういつものって感じだね」
「私としては侵略戦争を繰り返しているこの状態はあまりいいとは思えないわ」
「……梓、分かってると思うけど、ファティマさんの前でそれ言わないでね。 冗談抜きで殺されるよ」
「アス君しかいない所でしか言わないわよ」
「……まぁ、僕だけじゃないんだけどね」
アスピザルはちらりと天を仰ぐ。 夜ノ森は気にした様子はない。
聞かれているのは知っているが、この程度の事で何かをするような相手ではないので気にしていないからだ。
「どっちにしてもかなり目立つみたいだし、遅かれ早かれこうなってたと思うよ。 取りあえず話を戻すけど、あの虫達は今回のターゲットでもあるコスモロギア=ゼネラリスから来たのは間違いない。 凄いね、こっちの襲撃を予期して先手を打とうと戦力を送り込んで来た」
「未来予知か何かで察知したのかしら?」
「そんな所だろうね。 で、僕達が襲って来ると判断して滅ぼす事を前提に偵察を兼ねて戦力を送り込んだと。 大きな転移反応は六つだったから、グループごとに隔離して処理するって事になったんだよ」
大量の戦力を送り込んで来るような相手の心当たりはそれしかなかった。
何故ならこれまでにオラトリアムと関わりを持った世界は悉く滅ぼして来たので、恨みの買いようがないのだ。 何せ恨むであろう者達は一人残らず消されているので、復讐者や反抗勢力の発生する余地がない。 もしかしたらどうにか逃げ延びた者達が徒党を組んで襲ってくるかもしれないが、可能性としてはあまり高くなかった。
「こんな事をやる度に思うよ。 僕達って絶対碌な死に方しないよね」
本心だった。 これまでにオラトリアムが奪った命は累計すれば億や兆どころではない。
これだけの事に加担している以上は自分達には何らかの報いは訪れるだろうと思っていたが、待てど暮らせどそれが現れる気配はなかった。 それもそのはずで、何故なら――
「死んで終われるならその方が幸せよ。 私達には死ぬ事すら許されないわ」
――そう、死んでも復活させられるからだ。
オラトリアムの力は魂の深奥まで届き、転生者であるアスピザル達ですら蘇らせる事を可能としている。 その為、この世界の住民は文字通り殺しても蘇り、本当の意味での死は訪れない。
永遠とも呼べる時間、無数の命で舗装された道を歩み続けなければならないのだ。
その精神的な重圧は並大抵のものではなく、心を病む者も当然ながら一定数発生した。
彼等はどうなったのか? 精神と魂に手を加えられ、物理的に悩みを切除されたのだ。
そうなった者達は心の底からオラトリアムの全てを称え、死を超越した無敵の存在となる。
アスピザルはそうなった者達を見て思う。
――絶対にあぁはなりたくないと。
楽にはなれるだろうがそうなってしまえば人は終わりだと彼は理解していた。
生活に不安も不満もない。 ただ、永遠と言う概念に対して心を強く持たねばならない。
それこそがこのオラトリアムで生きていく為に必要な事だ。
要は先の事を考えすぎない。 それだけを意識すれば正気のまま生きてはいける。
途方もなく先の事を考えると人は正気を失う。
それがアスピザルがこの長い長い旅路で得た気付きだった。
誤字報告いつもありがとうございます。
宣伝
パラダイム・パラサイト一~二巻発売中なので買って頂けると嬉しいです。




