1316 「駒落」
「アルヴァー殿!?」
守護術師――ディック・エデ・エドヴィンは目の前で起こった出来事に目を見開く。
彼の上司であるアルヴァーがいきなり消えたのだ。 転移の反応などはなく、コマ落ちのように何の痕跡もなく消えてなくなった。
守護術師は守護騎士を補佐する役割であると同時に後方での支援も担っているので、自然と魔法や魔術の類に精通している事になる。 彼も地平の塔だけでなくコスモロギア=ゼネラリス全体で見ても魔法の知識、技量は相応に高いと自負していた。 そんな自分が全力で警戒している以上、何の問題もない。
そう思っていただけにアルヴァーがあっさりと消えた事は衝撃だった。
この場における責任者がいきなり消えたのだ。 周囲の混乱も大きく、動揺を露わにする者も多い。
「静まれ!」
そんな周囲をディックは一喝して黙らせる。 動揺こそしたが彼等は送り出された精鋭。
即座に落ち着きを取り戻し、周囲の警戒に入る。
ディックも内心の動揺を押し殺して魔法による索敵を行うが、反応どころか痕跡すらない。
本当にアルヴァーは煙のように掻き消えてしまった。
問題はトップであるアルヴァーが居なくなった以上、この場を仕切るのはディックになるのでどういった判断をするべきかだ。 取りあえずは本陣にアルヴァーが消えた事を報告しようとして――
「――どういう事だ?」
反応しない。 通信用のアイテムも通信系の魔法もすべて不通。
妨害されていると認識したと同時にそれが起こった。 場所が変わったのだ。
平原から石畳へ。 瞬きしたら場所が切り替わっていた。
何度も瞬きを繰り返し目をこするが風景に変化がない。
あまりにも唐突な変化で驚きが遅れて来たぐらいだ。
周囲には石造りの建物が複数あるが、無人になってかなりの時間が経っているのか崩れて風化しているものがほとんどだ。 廃村、真っ先にこの場所に対して抱いた印象はそれだった。
どうもあの場にいた者全てがここに飛ばされて来たようで、落ち着いた矢先の変化に動揺は強い。
流石に今回はディックも驚いており、先程と同様に一喝する事ができなかった。
何故なら、何をされたかの分析に思考の大半を割かれており、周囲に気を使う余裕がなかったからだ。
転移なのは間違いないが、痕跡がまったく感じられないのは一体どういう事だ?
相手がディックの目を完全に誤魔化して事に及んだと言うのなら説明は付くがそうだった場合、手に負えない事が確定するので逃げるしかなくなる。 そう考えるのが自然なのかもしれないが、術師の最高峰である守護術師の称号を得ているディックとしては許容できない事実だった。
内心で単純に相手が格上といった考えがない訳ではないが、彼の矜持と何よりこれまでに培って来た常識がその可能性を否定する。 だから彼はこう考えた。
何か自分が見落としている仕掛けがあるはずだと。 それに無暗に敵を大きくして思考を狭めるのは愚者のやる事だ。 真の賢者であるなら考察を重ねて最適解を導き出す。
だからこそディックは今までに蓄えた知識を総動員してこの現状を合理的に説明する為の考察を重ねていた。 だが、彼は副官である事に慣れ過ぎていた事もあって、部下への配慮と指示を出す事をすっかり失念していた。 もしもここにアルヴァーが居るのなら何の問題もなかったが、彼しかいない現状ではあまり褒められた行動ではない。
――だからといってこれから起こる事の結果が変わるかはまた別の話ではあったが。
「予想外の事でこうも崩れるとは、思ったよりも練度は高くないのかのぅ」
不意に知らない声が響き、その場にいた全員の視線がそこに吸い寄せられる。
場所は比較的、原形を留めている建物の上。 そこに見覚えのない人物がいた。
黒を基調とし、金の装飾が施されている法衣。 長い金の髪は綺麗に結い上げており、この荒れ果てた場所とは不釣り合いな印象を与える。
メリハリの効いたプロポーションに整った美貌。 そして青と紫の瞳が印象的な美女だった。
さっきと同様に何の前触れもなく現れた事に僅かに動揺しつつもディックはそれを押し殺して前に出る。
「何者ですか?」
「ふーむ、それはこちらのセリフなのだが、まぁいいだろう。 久方ぶりの客じゃ、機嫌がいいから名乗るとしよう。 儂はオラトリアム教団教皇ロヴィーサ・アストリッド・ヘクセンシェルナー。 歓迎するぞ? 異邦の騎士達よ」
そう名乗った美女――ロヴィーサは無邪気に笑って見せる。
こんな状況でもなければその笑顔に魅了される者もいるだろうが、この異様な事しかない現状では不気味さしか感じられない。 少なくともディックはそうだった。
「我々をこんな所に移して何が目的ですか?」
ディックの問いにロヴィーサは小さく笑う。
「目的を尋ねるか。 面白いのぅ、この場合は儂らが尋ねる場面ではないのか? 何の目的で我等の聖域に足を踏み入れたのか、とな」
「そ、それは――」
「被害者のような顔をしておるが、結構な数の軍勢を引き連れておるではないか。 まさかとは思うが、あれで戦意は一切ありませんなどと言わんじゃろうな?」
ロヴィーサの表情には楽し気なものしか浮かんでおらず、全てを知った上でからかっているようにしか見えなかったが、ディックは上手く返せずに言葉に詰まる。
――駄目だ。 状況に理解が追いつかずに思考が回らない。
本来の彼は弁の立つ方ではあるがこの状況に万全のパフォーマンスを発揮できておらず、言い淀んでしまっていた。
それでも無理矢理思考を回してどうにか返す言葉を捻り出す。
「た、確かに我々は多くの戦力を伴ってこの地へと足を踏み入れました。 侵攻と捉えられても仕方がありませんが、未知の世界である以上は我々としても行き違いを防ぐ意味でも必要な事でした」
「ほうほう。 要は戦力を見せびらかして威圧すると言う事じゃな。 で、気に入らなければ武力で攻め落とすと。 文明人を気取っておるがやっておる事は蛮族と変わらぬではないか」
本質を的確に突かれ、ディックは二の句が継げずにいた。
ロヴィーサはディック達がどのような意図、目的を持ってこの世界に現れたのかを正確に理解していたのだ。 どうする? 自分の裁量でどこまで話すべきなのだろうか?
無意識にここにいないアルヴァーに指示を求めようとする自分を押し殺し、どうにか無難にこの場を切り抜けるべく会話を続ける。
交渉の類は難しい。 アルヴァーかギュードゥルン、そうでなければ守護騎士の誰かに判断を仰ぎたい。
「お互いに誤解があるようです。 どうでしょう? 我々の責任者に引き合わせますので、詳しくはそちらで――」
ディックはそんな考えで提案を行ったのだが――
誤字報告いつもありがとうございます。
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