1315 「敬意」
防がれた事にも驚きだが、それ以上にハリシャの体勢が一切崩れていない事の方がショックが大きかった。 たったの一合でハリシャと自分の間には隔絶した実力差がある事を理解できてしまったのだ。
だからと言って認める訳にはいかない。 アルヴァーは吼えながら持てる力の全てを込めて無数の斬撃を放つ。
傍から見れば光が瞬くように見えただろう。
それ程までにアルヴァーの斬撃は鋭く速く、そして命を奪う重さがあった。
――が、ハリシャはその全てを表情一つ変えずに受け止める。
一撃繰り出すごとにアルヴァーの表情に焦りが濃くなっていく。
防がれる事に関してはまだ許容できる。 当たれば勝てるといった前提はまだ崩れていないからだ。
だが、その場から一歩も動かせていない事に関してはどうしようもなかった。
本当にハリシャはその場を一歩も動かずにアルヴァーの斬撃を全ていなしていたのだ。
「はは、良い動きですね! 筋も悪くない。 ところでそろそろ目が慣れて来たので回転を上げてくれませんか?」
「ほざけ!」
アルヴァーは装備の性能を更に引き出し、その動きが加速する。
「おぉ、やればできるではありませんか。 もう一段速くして下さればちょうどいいですね」
攻撃の回転が上がるがハリシャは楽しそうに笑うだけで、相変わらず一歩も動かず直立したまま斬撃の全てを捌き続ける。
アルヴァーは舐めるなと吼えながら更に装備の性能を引き出して加速。
そろそろ自分で制御できる限界を越えようとしていたが、躊躇う事はできない。
未踏の領域に踏み込まねば勝てない相手だからだ。
ハリシャの想定を一瞬でも上回れ。 慢心している今こそが勝機。
完全に制御ができなくなる前に致命の一撃を放つ。
上段からの斬撃と見せかけて蹴りを叩き込もうと足を一閃。
やや無理のある体勢だが、強化された一撃は巨岩すら軽く粉砕するだろう。
タイミングは完璧、ハリシャの意識はアルヴァーの剣に向かっている。 これは入ると確信した一撃は――
「あぁ、しまった」
――ハリシャの言葉とは裏腹にあっさりと防がれてしまった。
ハリシャの膝と剣の柄によって挟まれたアルヴァーの足は鈍い音を立てて千切れ飛ぶ。
そう。止まったのではなくそのまま挟み潰されてしまったのだ。
アルヴァーは悲鳴を上げながら残った足で地面を蹴ってどうにか距離を取る。
「申し訳ない。 うっかり潰してしまいました。 くっつけられるなら待ちますのでどうぞ」
ハリシャは失敗したといった口調で、落ちているアルヴァーの足を拾うと投げて寄こす。
アルヴァーは激痛に脂汗をかきながら、足を拾うと強引に傷口に押し付けて接合。
正確には接合ではなく、魔力で覆って強引に固めているだけなので痛みはそのままで治療が必要になる。
「ふむ? くっ付いている訳ではないようですが、大丈夫そうですね。 さ、続きをしましょうか?」
ハリシャはかかって来いと手招き。
アルヴァーはこの時点で自分ではどう頑張っても勝てないと理解した。
この女を始末したいのなら物量か、地平の塔の最上位の実力を持った守護騎士を連れて来なければならないだろう。 コスモロギア=ゼネラリスは相応の異世界間戦争を潜り抜けて来た事もあって大抵の相手なら問題ないといった自負もあったがハリシャは格が違った。
目の前の女はこの世界で最強なのだろうか? もしかすると同格、または格上が複数いるのではないか? そう考えると恐怖に震える。
これだけの戦闘能力を誇っている狂人の群れ。 あまりにも危険な世界だ。
間違いなくこの世界は滅ぼすべきだと断言できる。
立ち向かった所で嬲り殺しにされるのは目に見えていた。 自分が死ぬのは最悪、許容しよう。
守護騎士は世界を守る剣にして盾。 武具である以上、破壊されるのは定めと言える。
だが、アルヴァーという個人はギュードゥルンが死ぬ事だけは許容できない。
――せめてこの危険を外に伝えなければ……。
アルヴァーは覚悟を決めて、剣を構える。
それを覚悟と受け取ったハリシャは僅かに目を細めた。
「良い眼です。 流石にこれ以上嬲るのは失礼に当たりますか」
そう言うとハリシャは手に持った剣を消して腰の刀に手を添える。
「逃げるのならどうぞ。 向かって来るのなら敵として斬り伏せますが、背を向けた時点であなたの敵としての価値は消え失せます。 私は敵でない者に対しては一切の敬意を払いません」
アルヴァーの意図を正確に見抜いた上での言葉だろう。
完全には理解していないが恐らくは向かって来るのなら武人として斬るが、逃げるのであれば侵入者として処理すると言う事だろうか? これはハリシャなりの気遣いなのかもしれないが、アルヴァーにとっては余計なお世話だった。
そもそも獣を自称しているのだ。 敬意や誇りとは無縁の存在が何を語ると言うのか?
だから、アルヴァーは逃げる事を決めていた。 問題はどうやってハリシャの一撃を掻い潜って逃げるかだ。 一撃だ。 一撃躱せば魔力剣で壁を切り裂いて外に出る。
この建物の外がどうなっているか不明だが、世界まで移動しているとは思えない。
味方と合流する事は可能の筈だ。 問題はどうやってその一撃を引っ張り出すかだが……。
アルヴァーは大きく息を吸って吐く。 この状態で取れる選択肢はそう多くない。
その中で最も可能性の高い手を打つ。 一刻も早く、ギュードゥルンの下へ。
アルヴァーは地面を踏み砕く勢いで踏み込み、剣を全力で投擲。
魔力を纏った剣は音すらも置き去りにする速度で真っ直ぐにハリシャへと飛翔する。
同時にアルヴァーは手近な壁へと走り、腰の後ろに差していた予備の短剣を抜いて魔力を通し――
「――<一舌>」
アルヴァーには何が起こったのかさっぱり分からなかった。
気が付けば上半身だけで地面を転がっていたからだ。 コツコツと足音が近づいて来る。
不味い。 早く逃れなくてはと気持ちは急かしたてるが、意思に反して体は一切動かなかった。
「……はぁ、残念です。 では約束通り武人として死ぬのは諦めてください」
ハリシャはやや失望を滲ませた口調でそう宣告しアルヴァーを一瞥した後、後はお願いしますと小さく呟くと。 ベシャリと湿った足音が響く。
音のした方へと視線を向けるといつの間にかそこには異形の生物が存在した。
獣のような四つ足歩行で腹は不自然な程に大きく膨らんでおり、頭部らしい場所には巨大なホース状の口があるだけ。 そしてその全身はぬらぬらと謎の粘液で覆われている。
「や、やめ、ろ。 くる、な」
アルヴァーはまともに喋れない体でそう呟いたが、生き物は口と言うよりは穴にしか見えないそれで荒い呼吸をしながらゆっくりと近づいて来た。
アレが何をするつもりなのかは分からない。 だが、取り返しのつかない事をしようとしている事だけは明らかだった。 僅かに離れた距離がゼロになり、アルヴァーの悲鳴が響き渡ったが、聞き届ける者は誰もいなく虚しく響き――やがて静かになった。
誤字報告いつもありがとうございます。
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