1313 「教会」
守護騎士アルヴァー・アン・アードルフは約二千五百の部下を率いて探索を行っていた。
彼の中にあるのは焦燥に近い不安。 この世界には今の所、何も見当たらない。
脅威となる存在も勢力も何も存在しない。 その情報だけを切り取るなら何処に焦る要因があるのだと問いたくなるが、そもそもここに来たのは巫女達がこの世界を明確な脅威と認識したからなのだ。
そうでないのならわざわざ大量の戦力を送り込んだりしない。
傑達も似た話をしていたが、アルヴァーと指揮を執っているギュードゥルンもそれを正しく理解しており、この状況の不気味さに不安を募らせていた。 部下の手前、表には出せないが何か見つけて安心したいと言うのが本音だ。 加えて転移で戻れない事も彼らを焦らせる一因となっていた。
今でこそ、食料などの物資はどうにでもなっているが、これが何十日と続けば不味い。
まさかとは思うが敵の目的はこちらの疲弊なのだろうか?
姿が一切見えないので想像するしかできない未知の敵に対して、どのようなスタンスを取ればいいのかが分からないのだ。 見えない相手は想像で大きくも小さくも見える。
そこに不安と言う要素が加わるのなら巨大に見えてしまうのも無理のない話だった。
「ディック」
アルヴァーが自らの副官に声をかけると、ディックは魔法での広範囲の索敵を行っていた手を休めると力なく首を振る。
つまり何も見つからないと言う訳だ。 日は完全に落ちて空は完全に真っ暗になっていたが、雲一つない夜空と大きな満月による光のお陰で視界は良好で問題はない。
警戒を怠ってはいないが、こうも何もないと部下に緩んで来る者が出てくるだろう。
そうなってしまえばいざと言う時に致命的な失敗を引き寄せかねない。
引き締めるように一喝するべきだろうか? アルヴァーはあまり高圧的に振舞う事が好きではなかったのでミスもしていない部下を怒鳴る事に抵抗を覚えていた。
――それにしても、何故転移が使えない?
迷った時は別の事を考えるのがいいと思考を別の事へとシフト。
拠点との通信などは問題なく扱える。 他の装備なども問題なく動く。
にもかかわらず転移関係の装置だけはまったく起動しなかった。 技術者の話だと妨害する場合ははっきり分かるとの事だ。 次元転移は空間転移と違って、世界間の移動となる。
世界には外――総体宇宙へと繋がる歪みや亀裂が存在し、次元転移はその隙間を通る事で成立しているのだ。 要は完全に密閉された空間からは出られないという簡単な話だ。
そうなると出られない理由はこの世界に出る為の道がない事になる。 仮にそうだとしたら装置が起動しない事にも説明が付くと言うのは技術者の言だ。
訳が分からない。 技術者の言葉通りに状況を受け止めるとこの世界は入る為の穴は開いているが一方通行で出口がない事になる。 それともそんな特性が巫女達の予言の正体?
もしかしするとこの世界には生物はおらず、世界回廊で接触する事が危険の本質?
さっぱり分からない。 分からない事だらけのこの状況ではあるが、彼はせめてギュードゥルンだけでも無事に帰してやりたいと考えていた。
関係は友人ではあるが、彼は未だに彼女の事を愛していた。 少なくとも彼の人生で彼女以上の女性は居ないと断言できる程に入れ込んだ異性だったので、彼女の為にできる事は何でもしてやりたいと思っているからだ。
定期連絡を部下に任せつつアルヴァーはこれからどうするかと考える。
探索範囲を広げるか一度戻って休息を取るか。 離れすぎると不味いので次の定期連絡の際に相談を――
「――は?」
その考えを副官のディックに伝えようと振り返った時だ。
あまりの事に思わず間抜けな声が漏れる。 何故なら周囲の風景が一変していたからだ。
広い空間ではあるが、壁が存在するのでどこかの建物の中だろう。
床も壁も石造りでやや古めかしい印象を受け、窓がないのでやや薄暗い。
それでも視界が利いているのは壁に等間隔に設置された松明のお陰だろう。
見上げるとステンドグラスのようなものが存在し、描かれているのは砂時計のように上下に繋がった巨木とそれに絡みついている黒い何か。 絵と言うよりは何かのエンブレムのような印象を受ける。
――教会?
構造からこの建物に抱いた印象だ。
最奥には祭壇のようなものも存在し、その脇には小さな扉が見える。
瞬時に周囲の状況確認を行ったのは彼が優秀な騎士である証拠だった。
疑問は後から思考に追いつく。 ついさっき、一瞬前まで自分は平原に居たのだ。
振り返ると見慣れない建物の中。 何らかの手段で転移させられたのは間違いないが、全く察知できなかったのはどういう訳だ。 この手の専門家であるディックの目を掻い潜っている時点で普通ではない。
アルヴァーはゆっくりと剣を抜く。 自分の他には誰もいない。
完全に孤立させられている。 味方が居ない事に不安を抱く程、守護騎士は弱くない。
ただ、この不可解な状況に対しての困惑はあった。 何の目的で自分をこんな場所に転移させたのだ?
この状況を作った何者かの意図が不明だ。 アルヴァーを強敵と判断して切り離しにかかった?
逆の立場で守護騎士の能力を高く見積もるならそう判断するだろう。
それも敵の姿が一切見えないこの状況ではその困惑を深める要因にしかならない。
――だが、よく分からない存在の正体はそろそろ見えてきそうだ。
アルヴァーは無言で剣を構えた。
理由は建物の奥からコツコツと音を立てて近づいて来る足音が聞こえたからだ。
音は奥の扉の先から。 足音を立てているのは恐らくわざとだろう。
意図は不明だが害意なしと判断できる程、彼はこの状況を楽観していない。
ややあって足音が止まり、扉がゆっくりと開かれる。
中から現れたのは年若い女性。 長い黒髪を一纏めにしており、腰には刀が一本。
服装は黒を基調とし、所々に金の装飾が施された軍服のような専用衣装。
「ようこそ、異邦からのお客人。 我々は貴方達を心から歓迎します」
女性はそう言って笑みを浮かべて見せる。
言語が理解できるのは相手側も言語共通化の術を持っているからだろう。
「そちらはこの世界の住民と言う事で間違いないか? 私は守護騎士アルヴァー・アン・アードルフ。 こことは異なる世界――コスモロギア=ゼネラリスからこの世界の調査に来た者だ」
アルヴァーは余計な前置きは省き、早々に話を始めるべく切り出した。
誤字報告いつもありがとうございます。
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