1275 「里追」
少年は必死に、そして共に進む者達に合わせて森を進む。
彼は故郷を滅ぼされた事で、住んでいた土地を追われてしまったのだ。
付き従う百名前後の者達と新天地を目指して森の奥へと向かう。
彼の名はブロスダン。 ハイ・エルフと呼ばれるエルフの上位種族だ。
エルフは森に住み、御使いの声を聞いて自らを高める種族で人間よりも高い魔法適性に長い寿命を備えている。
容姿が整っている事も含めると人間よりも上位の存在にも見えるだろう。
事実、彼等は自らは優れた種族と言った自負を抱いていた者も一定数居た。
――それも過去の話。
ブロスダンが率いているのはまだ年若い者達で人間を見た事がない者が多数を占めていた。
その上、故郷を追われたという事実が彼等の矜持を完膚なきまでに砕き、自らのおかれたみじめな境遇に涙を流す。 彼等はハイ・エルフにエルフが支配されているという構造になっているので、ブロスダンがどれだけ幼かろうが無能であろうが無条件で従う事となる。
その為、能力的に未熟な彼がこの集団を率いる事となったのだ。
彼にはどうしてこんな事になったのかよく分からなかった。
いつもの日常を過ごしていただけのはずなのに平和な里にゴブリンやそれに率いられた魔物の群れが襲って来たのだ。 元々、ゴブリンとエルフは種族間での関係が悪く、長年戦争状態だという事は幼い彼にも分かっていた。
それでも里まで戦火が及ぶ事はなく、話で聞く程度の遠い現実としか認識しておらず、いつもの毎日が続くと根拠なく信じていたのだ。 それがほんの僅かな時間で崩れさった。
両親はブロスダンを逃がす為にその場に残り侵略者へと抵抗と子供達を逃がす時間を稼ぐ為に、勝ち目のない戦いへと身を投じたのだ。 本当は両親に一緒に来て欲しいと泣いて縋りたかった。
それでもハイ・エルフとして生を受け、両親から上に立つ者として行動するべきと常日頃から叩き込まれた彼には甘えは許されなかったのだ。
自分に付いて来てくれる同胞達を導く為に彼は持っている知識の全てを使ってやれる事をやった。
定期的に斥候を放って周囲を警戒し、休む際も必ず見張りを立てる。
今の彼に思いつくのはその程度の事だった。 里から逃れたエルフは彼だけではない。
他のハイ・エルフも彼と同様にエルフを率いて森を進んでいる。
――森の先で再会できる事を誓って。
森を進む逃亡生活は過酷を極めた。
森に棲息する魔物に里を襲った者達が放ったであろう魔物による追跡。
他のグループは追いつかれて襲われたらしく、早々に連絡が途絶えた。
彼等を追う者達の追跡は執拗で、根絶やしにするといった固い意志を以って森の中で蠢いていたのだ。
その点で言うのならブロスダンは非常に幸運だった。 比較的、早い段階で距離を稼げていた事もあって、追跡者に見つからずに済んでいたのだ。
――最初の内は。
追跡者の執念はブロスダン達へと徐々に忍び寄り、最初の襲撃が起こった。
「き、来たぞ! 戦える者は迎撃を! 戦えない者は走れ!」
ブロスダンはそう叫ぶと弓や短杖を持った者達が樹上で追跡者に向けて攻撃を放つ。
魔法付与の施された弓は矢を必要とせず、魔力によって生み出された矢は様々な効果を発揮する。
突き刺さった場所に蔦のようなものを生やして敵を拘束する物、純粋な衝撃を叩き込む物、命中した対象へ魔法的な干渉を行って動きを封じる物と様々だ。 彼等はこれらを用いて今までこの過酷な森の中を生き残ってきた。 まさにエルフが積み上げた英知の結晶といえるだろう。
――だが、その英知の結晶も追跡者には大した効果を発揮しなかった。
拘束は容易く引き千切られ、衝撃はそれ以上の破壊を以って掻き消され、魔力的な干渉は多少の効果はあったが相手を怒らせる程度の効果しか出ない。
追って来る魔物はどれも厄介だった。 大きく分けて三種。
分かり易く厄介なのは二対四本の腕を持つ巨大な蛇だ。
ブロスダン達の攻撃手段では大きな手傷を与えられないので、遭遇すれば逃げるしかない。
だが、その巨体故に発見は容易で早い段階で逃げを打てば逃げ切る事も可能だ。
問題は残りの二種――
「――あ、ガハ――」
――一人のエルフが血を吐く。 不可視の何かに背後から貫かれたのだ。
現れたのは人型の異形。 緑の外皮に黒い目に赤い瞳。
空間から溶けるように現れ、背後から襲ったのだ。 この個体は周囲に溶け込むといった隠形を得意としており、気が付けば背後に回って襲って来る。 防ぐには魔法的な索敵を欠かさずに行わなければならない。 やり過ぎると索敵している事を察知されるので非常に厄介だった。
この魔物が居なければ犠牲者は半数以下に収まっただろう。
そして最後の一種。 これが最も厄介な存在だった。
一人のエルフの男が弓を射かけようと構えたが、不意に意識が混濁して集中が切れる。
いつの間にか彼の周囲には粉が降り注いでいた。 毒を含んだ鱗粉だ。
それに気が付いて上に弓を向けようとしたが、既に遅かった。
真上から降ってきた存在が肩車をするように彼の上に乗りかかり口に付いている口吻と呼ばれる器官を耳に突き刺し脳を啜りとる。 エルフの男は痙攣して崩れ落ちた。
明るい所で見ればゴブリンに近いがシルエットは完全に別物だった。
大きな赤い目に額に触覚、そして背には巨大な黄土色の羽。
この魔物が一番エルフを殺し、ブロスダンの心に深い傷を刻んだ対象でもあった。
エルフは基本的に樹上から仕掛ける戦い方を主としている。
つまりは上から下だ。 その為、上からの奇襲に対して警戒をする習慣がなかった。
結果、彼等は対応できずに次々と犠牲者が出たのだ。
斥候を放ち、厳重な警戒を敷いていた事もあって早い段階で察知できた事が功を奏したのかどうにか逃げ切る事は出来はしたのだ。
だが、その際に十数名を囮として切り捨てる事となったが。
一度見つかってしまった事で存在を認識された後は襲撃の回数も増した。
襲われる度に犠牲者が発生し、彼の率いる集団はその数を瞬く間に数を減らしていく。
早々に彼の心は折れそうになっていた。
そんな時だった。 彼の心に囁きかける存在が現れたのは。
ブロスダンが両親の名を呟き、一人泣いている夜だった。
その存在はグリゴリと名乗り、自分達に身を捧げるのなら力を貸そうと囁いたのだ。
ブロスダンに選択の余地はなかった。 このまま行けば全滅は時間の問題で、彼の能力では状況を打開する事は非常に難しかったからだ。
彼の選択は短期的に見れば正しかった。
グリゴリの天使はハイ・エルフである彼を通して様々な恩恵を与える。
その中には追っ手から逃げる為の術も含まれていた。 結果、グリゴリの恩恵を受けた後に発生した犠牲はほぼ皆無で、無事に森を抜ける事に成功したのだ。
誤字報告いつもありがとうございます。
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