1080 「行決」
続き。
行くところもなくなったので自分の執務室に戻ろうと足を向ける。
危機感を抱いているだけではどうにもならない。 行動を起こさなければならないのは分かっているのだ。
そして俺の中にはその打開案が存在している。 そんな難しい話じゃない。
聞けばいいんだ。 当然ながら相手はファティマとなる。
本音を言えばあの女に対して能動的に行動する事に強い抵抗感があった。
ただ、そうもいっていられない現状がそれを許さない。
クロノカイロスを攻め落とすような連中がわざわざ戦力の拡充を行う程の脅威だ。
連中の間だけで納まる話ではない。 間違いなく近隣どころか世界をも巻き込む事となるだろう。
何も知らずに巻き添えを喰らう事だけは避けたい。 見方によってはその危機を事前に知る事が出来たのは幸運なのかもしれない。
――そう思わないととてもじゃないがやってられなかった。
俺の執務室は魔法的にも防御されているので内緒話をするには適しており、ファティマと連絡を取る場合は緊急時でもなければそこで行っている。
部屋に戻って魔石を使って連絡を取るだけだ。 それだけの話なのに酷く足が重く、無意識に遠回りをしてしまっている。 俺は嫌な事から逃げ出す子供かと自嘲するが、行動を変えるには至らなかった。
何故なら恐ろしいものは恐ろしい、嫌なものは嫌。 それでもやらなきゃいけない所が辛い立場だ。
信じられないぐらいに重い足を引き摺って遠回りを行い普段の数倍の時間をかけたにもかかわらず、進めば距離は縮まり、やがてゼロとなる。
「――はぁ」
執務室の扉を見つめて俺は重い溜息を吐く。
室内に入り施錠。 念の為、怪しい物がないか確認した後に通信魔石を取り出す。
死ぬほど気が進まないが、魔力を通して連絡を取る。
――はい。
少し待つとややあって応答。 何度も聞いた何も知らなければ涼やかな声かも知れないが、今となっては耳に触れるだけで不快感どころか吐き気すら覚える。
俺は会話によって発生する精神的苦痛を抑え込み、気持ちを引き締めて何を言うべきかを頭の中で纏めながら話を切り出した。
――この先、何が起こるのかを詳しく教えて貰えませんかね?
前置きはしない。 この女は無駄な時間を割く事をあまり好まない。
その為、こうしてざっくり切り込んでも怒らせるような事にはならない筈だ。
――思ったより遅かったですね? 答えるのは構いませんが、我々にとっても重要な情報なので口頭で伝える形になりますが?
ファティマは構いませんか?と付け加える。
反射的に嫌だと言いかけたが、ぐっと堪えて意図を読み取ろうと思考を回す。
正直、言っている事は理解できる。 本当に世界の行く末を占うような話をこういった魔石越しに話す事に不安があるというのは分からなくもない。
ただ、この女の場合、俺の予想を超える何かをしてくるんじゃないかと変に身構えてしまう。
口頭と言う事はどこかに呼び出される事になる。 まぁ、間違いなくオラトリアムへ向かう事になるのだろうが、連中の腹の中で話を聞く事に強い抵抗があった。
――えぇ、それは勿論。 で、俺は何処へ行けばいいですかね?
それでも口は勝手に了解と返事をする。 悲しい事にこの女に逆らう気力を根こそぎ圧し折られた俺の心は既に屈服しているので無意識に分かりましたと頷いてしまうのだ。
悲しい程に俺はこの女に逆らえないという現実が重く圧し掛かって泣きたくなってきた。
――結構、では近い内に迎えをやりますので聖堂騎士クリステラと一緒にこちらへ来て頂きます。
――分かりました。 予定の調整もありますので早めにお願いします。
その後、二言三言と簡単な打ち合わせをした後に話は終了となった。
オラトリアム行きが決定した事により気持ちは底の底まで落ち込むが、感触から話は聞かせて貰えそうなので一応は行動方針を定める指針は貰えそうだ。
椅子に座って体重を預ける。 ほんの僅かな会話にもかかわらず大きく消耗した。
何故、あの女は会話するだけでここまで俺を苦しめる事が出来るのか?
そして問題はあの女の上に居るであろうあの謎の男の存在もあって絶望が深まる。
「何か気分を変えるべきだな」
自分でも信じられない程に疲れた声が出た。
「――で、お前の疲労を抜く為に呼び出されたという訳か」
日が落ちて夜。 場所は変わって王都内の高級料理店。
いつもの店で俺はルチャーノと二人で食事をしていた。 普段から忙しくしているのであまり捕まらない相手ではあったが、今夜はたまたま空いていたらしく快く応じてくれた。
「悪いな。 いきなり呼び出すような真似をしちまって」
「いや、さっきもいったが今夜は空いていたのでな。 食事ぐらいなら構わんよ」
俺はルチャーノに感謝しつつ注文した酒を味わい、適度に酔った所で雑談に入る。
まぁ、雑談と言うよりは立場上、仕事の話にはなってしまうのだが……。
「グノーシス戦ではご苦労だったな。 陛下もお喜びだ」
「目に見える脅威が消えたんだ。 そりゃ喜ぶだろうよ」
少し前に空位だったウルスラグナの玉座が埋まった。 順当に長男が選ばれ他がそれを補佐するといった形になっている。
……とは言っても実質的に動かしているのはルチャーノ達公官なので、現状はお飾りではあるが。
ただ、格好は付いたので傾向としては悪くない。
王位がいつまでも空だとまたユルシュルのような馬鹿が現れかねないので、それを防ぐ意味でも有効だった。
一応ではあるが、グノーシス戦が片付いた直後にお褒めの言葉を賜ったが余りありがたみはなかったな。
俺の言葉にルチャーノは苦笑。
「そう言うな。 ああ見えても執務に関してはそれなりに使えるようになっている。 王として機能するようになるのもそう遠くないだろう。 アイオーン教団を国教としている我がウルスラグナとしても今更グノーシスに出しゃばられても困るのでな。 損害も想定以下に納まっているのは流石だな」
「無傷とは行かなかったが、あの戦力差で大半が生き残ったのは奇跡に近い」
正直、もう一度同じ条件でやれといわれて同等の結果を出せといわれても自信がないな。
「これも聖女殿のご加護か? そう言った意味でもグノーシスの霊知などより分かりやすい象徴ではあるな」
「言ってくれるな。 俺としても特定の個人に頼り切った組織運営は健全じゃないと思っている」
アイオーンは聖女あっての組織だ。 裏を返せば彼女の不在は組織の基盤を揺るがす事に直結する。
その為、何を措いても聖女の身の安全を守らなければならないのだ。
「――だからこそあいつが単騎で前線に出るとか言いだした時には肝が冷えたな」
「確かに危険すぎる行為ではあったが、結果が伴った以上は責められんと言った所か? アイオーンの名参謀殿も苦労が絶えんな」
「……いい加減に楽になりたい物だぜ……」
酒が切れたので追加で注文。 夜はまだ始まったばかりだった。
誤字報告いつもありがとうございます。




