1078 「壁這」
続き。
ハーキュリーズへの装備返却の手続きと業務内容を考えながら俺は廊下を歩く。
現在地は王都の城塞聖堂内部。 もう少し渋るかとも思ったが、すんなりと了承してくれた事にほっと胸を撫で下ろす。
聖女、クリステラ、ハーキュリーズ。 これで聖剣使いが三人。
戦力としてはかなりものとなった。 聖女とクリステラの戦いを見れば聖剣使いの戦闘能力の高さは良く分かる。
一人多いだけでも一軍に匹敵する強大な戦力だ。
ハーキュリーズが居れば聖女の負担も減らせる上、気持ち的にも一息つけるのは大きい。
信用しすぎるのもどうかとは思ったが聖女は問題ないと即答し、クリステラは一度面会した後に「問題なし」と言っていたが、もし駄目だったら斬ればいいとか考えてそうで怖いな。
……いやまさかな……。
俺はクリステラの事を一体何だと思っているのだろうか?
何やら奇妙な偏見が芽生えているのかと内心で首を捻りながらも歩いていると、いつの間にか中庭の方まで来ていたようだ。
そこには――
「あらエルマンじゃない。 相変わらず忙しそうね!」
――イヴォンを引き連れたモンセラートが居た。
俺に気が付いて駆け寄って来る。 イヴォンは少し離れた所で小さく会釈。
その姿は少し前まで死にかけていたとは思えない程に生命力が満ち溢れており、歳相応に走り回っている所を見ると俺としても良かったと腹の底から思える。
「まぁな。 どいつもこいつも問題ばかり起こしやがるから尻を拭う身としては苦労が絶えないぜ」
色々考えてちょっと泣きそうになったので、それを誤魔化すように軽口を叩く。
モンセラートは上機嫌な様子だったが、何故かこっちをじっと見て来る。
何だ? 髭なら昨日剃ったぞ。
「うん。 元気そうね! 何もかもが片付いた訳ではないけど、一つずつ片付けて行けばきっと大丈夫だから頑張るのよ!」
「はは、そうだな。 さっさと色々片付けて楽になりたいものだ」
モンセラートが何を気にしているのかを察した俺はやや大げさに笑い飛ばす。
このガキ、また俺の顔色を気にしていやがったな。 そこまで俺は酷い顔をしていたのか?
子供にすら気を使わせる程か……。 思い当たる節がない訳でもないので内心で大きく溜息を吐く。
「さて、忙しそうだし私たちはもう行くわ!」
「何処へ行くんだ?」
「これから街で食事よ! お気に入りの店があるの! ――今度、教えてあげま――っ!?」
不意にモンセラートが身を震わせる。
「どうかしたか?」
「いえ、ちょっと寒気が――気の所為かしら?」
何となく理由に察しは付いていたが口には出さずに知らない顔をした。
モンセラートは不思議そうに首を捻った後にその場で別れた。
去って行く背中を見た後、大きく溜息を吐いて顔を手で覆う。
「……お前は一体何をやっているんだ?」
モンセラートが去った後、近くの物陰から這い出すように現れた存在が居た。
正直、直視するのは憚れる姿だったので気が付いていても敢えて見ないようにしていたのだが、目の前に現れた以上は無視する事も不可能だった。 歳の頃はモンセラートと同じか少し下ぐらいか。
枢機卿の法衣に子供とは思えない下品な笑みを浮かべて、モンセラートの背中に粘ついた視線を送っていた。
フェレイラ・グエン・ジャニス・ベールジンシュ。 投降した司教枢機卿の一人だったのだが、モンセラートに対して異常な執着心を抱いているらしく、あまり言いたくはないが凄まじく気持ちの悪い小娘だった。
特に害がある訳ではないので放置しているが、とにかくモンセラートを隠れて見ているのだ。
物陰ではぁはぁと荒い息を吐きながら身をくねらせている様子は視界に入れる事にかなりの抵抗があった。 傍から見ればどう見ても不審者なのだが、実害がないので何とも言い難かったのだ。
こいつはどうやっているのかモンセラートに気付かれるような事だけは徹底して避けており、見つかりそうになると凄まじい挙動で回避する。
どうやっているのかはさっぱり不明だが、虫のように壁を這いまわって天井に張り付いた時は何の冗談だと目を疑ったものだ。 そして何よりも恐ろしいのがこいつがここに来てからそこまでの日数が経過していない事だった。
「……おい」
俺は努めて目を合わせないようにしつつフェレイラへ声をかける。
「はぁはぁ、何て美しいの……はぁはぁ……」
「おい」
「はぁはぁ――はい?あ、エルマン聖堂騎士でしたか? な、なんでしょう……」
俺を見ると露骨に引け腰になって表情には気弱そうな怯えが混ざる。
おい、何で壁に張り付きながら怯えたような視線でこっちを見るんだ? 逆じゃないか?
正直、俺が怯えて逃げ出したい気持ちなんだが……。 流石に健全な状態とは言えないので、言うだけ言ってみるとしよう。 いきなりキレだしたりしないだろうなと冷や汗をかきながら言葉を選ぶ。
「確かに投降するに当たってお前とマルゴジャーテにはこの城塞聖堂内部なら自由に行動する許可は出した。 だが、モンセラートを尾けまわすのはちょっと違うんじゃないか?」
俺の言葉が気に入らなかったのかフェレイラの顔から表情が消える。
容器から水を抜いたかのようにすーっと抜けて行ったので思わず腰が引ける。
うわ、怖ぇ。 何なんだこのガキは。
「違いますぅ! 私がそんな事をする訳がないでしょう! これは見守っているだけですぅ! わた、私がモンセラート様に迷惑をかけるなんて事をする訳ないでしょう! 馬鹿にするな!」
表情が抜けたと同時に烈火のごとく怒りだした。
いきなりの変調に付いて行けずに思わず一歩下がる。
「私はモンセラート様の、モンセラート様をお慕いしているだけですぅ! 分かる? 私がこの時をどれだけ待ち望んで来たのかを!? ねぇ分かる? その幸せな時間を奪わないで!」
フェレイラの瞳には仄暗い激情が燃え上がっており、大抵の事に動じない自信はあったが余りの迫力に俺は口を噤む事しかできなかった。
一応ではあるがマルゴジャーテから経緯は聞いているので執着している理由は知っているが、いくら何でもこれは度を越えている。 だが、このまま放置も良くないと逃げ出したい気持ちを抑えてフェレイラの目を真っ直ぐに見返す。
「お、俺は尾行する事が良くないといっているんだ。 普通に仲良くなってあそこに混ざればいいだろうが!」
俺としては至極真っ当な事を言ったつもりだったのだが、フェレイラにとってはそういでもなかったようだ。
「は、はぁ!? 出来る訳ないでしょう!? わ、私がそんな事、そんな事――馬鹿! 馬鹿ぁ!」
何故かフェレイラはそんな事を言うと凄まじい速度で走り去っていった。
「……な、何だったんだ?」
俺にはそう呟く事しかできなかった。
誤字報告いつもありがとうございます。




