106 「番兵」
「遅ぇぞ。たかが装備選びにどれだけ時間かけてんだ」
さっきの部屋に戻ると、ヴェルテクスの苛立った声に迎えられた。
「悪い悪い。この兄ちゃんと話が盛り上がってな。同郷の人間やから積もる話もあってなぁ!」
「用事が済んだらここには用はねぇ。行くぞ」
ヴェルテクスは舌打ちして扉へ向かおうとするが、首途が肩を掴んで止める。
「まぁ、待て。ちょっとゆっくりしたらええ」
首途の声が低くなる。
何かを察したのか、ヴェルテクスは視線を上に向けた。
「アホが踏み込んで来たのか?」
「…みたいやな。9人ってとこか。サービスで掃除しといたるわ。大した事なさそうな連中やし、茶でも飲んでる間に終わるやろ」
そう言うと流しの脇に備え付けてあるヤカンと湯呑を並べるとお茶を淹れ始めた。
夜の深さも過ぎ、微かに夜明けの気配がする空の下、9つの影が塀を飛び越えた。
彼らは例外なく黒いローブを身に纏い、油断なく周囲を警戒する。
人の気配は目の前の大きな建物以外からは特になし。
僅かに警戒を解いて進む。
彼らの任務は監視のみであったが、標的が建物に入った所で命令が来た。
内部の調査である。
上司の性格上、疑問符が残る指示だったが命令は命令だ。
配下である自分達は黙って従うのみ。
悪趣味な像が大量にあるのが気になったが、慎重に建物に近づく。
指揮を取っていた男は考える。
この建物は何だろうと。
見た所、倉庫の類なのだろうが、この時期に標的が立ち寄った以上は何かあると見るべきだろう。
もしや、奪った「部位」を隠しているのはここなのだろうか?
事前に受けた報告から持ち歩いている様子はないと聞いてはいた。
奪われた「部位」は「腕」が2つと「目玉」が1つ。
詳細までは聞かされていないが、テュケの保管している中でも価値が高い代物らしい。
そうでもなければここまで躍起になる事はないだろう。
正直、テュケの連中はどうにも虫が好かない。
連中が武器や道具、資金を用意してくれているお陰で自分達が活動できているのは理解している。
だからと言って、消耗品の様に使われるのは面白くない。
そもそも自分達は前に出ずに安全な所で…。
そんな愚痴っぽい考えは、仲間の悲鳴で断ち切られた。
…馬鹿な何処から…?
そう思いながら弾かれたように振り向くと、仲間が近くにある像に抱きつかれていた。
気付いた他の仲間が引き剥がそうと動くと同時に他の像も一斉に襲いかかって来た。
ゴーレムか!?あんな欠陥品をどうやって…。
有名ではあるが欠点が多く使い辛い魔道兵器の事が脳裏をよぎったが考えるのは後だ。
見つかった以上は応戦しなければ。
「や、やめ…」
絶叫。
我々は動揺を抑え込む魔法道具を全員装備しているので、少々の事では動じない。
だが、目の前のそれは道具をもってしても防げない恐怖だった。
声の元は最初に声を上げた仲間。
抱きついた像の胸が大きく開いて中身が露出する。
中は大量の刃で埋め尽くされていた。
像は強引に仲間を体内に押し込むと咀嚼するように動き、仲間を噛み砕く。
直後、我々に組み込まれた証拠隠滅の仕掛けが作動。
爆散して黒い腐食性の霧が周囲に拡散する。
「な…」
…が、謎の像は構わず次の獲物目がけて襲いかかっていた。
効いていないのか?と言う疑問は直ぐに解消される。
効果はあった。腐食の霧に晒されて像は確かに溶けていた。
表面だけが。
溶かされた像はその正体を現す。
形は辛うじて人型。胴体には仲間を噛み砕いた仕掛け。
頭は人形の様に目鼻らしき穴があるだけだった。
それだけでも異様な姿だったが、もっとも奇妙なのは両手足だ。
錆びた金属のような色に、一定の間隔で線のような物が入っている。
あれは何だ?
露出した腕の先端が視界に入る。
ギチリと湿ったような嫌な音がして目が合った。
咄嗟に仰け反る。
次の瞬間には男の頭部のあった場所を何かが通り過ぎた。
彼らは悟った。魔物だ。
こいつ等の手足は魔物で構成されている。
男は際どい所で回避できたが、できなかった者は食らい付かれていた。
周りの像達は本性を隠すのをやめたのか化けの皮を自ら剥がし、本当の姿を次々と晒す。
何名かが短剣で斬りつけたが、明らかに硬そうな胴体はともかく手足の魔物にも傷1つ付かなかった。
それが分かった時点でもうどうにもならない。
生き残った全員は撤退を考えたが、そちらもどうにもならなかった。
噛まれた仲間は口から泡を吹きながら痙攣していて行動不能。
残っているのは指揮官である男を除いて2人。
その2人も囲まれていて逃げようがない。
男は思った。「これまでか」と。
悪いが生き残った2人には囮になって貰おう。
最低でも情報を持ち帰らないと無駄死にだ。
そう考えた男は仲間に背を向けて駆け出したが……それも遅かった。
首筋に針で刺されたような痛み。
刺された個所を払うと何かが潰れた。
手を見ると、像の手足に付いている魔物を小さくしたような奴が潰れている。
男は近くで倒れている仲間を見る。
白目を向いて痙攣しており、腕に噛み跡。
一縷の望みを賭けて生き残った仲間を見たが、魔物に生きたまま解体されて爆散した所だった。
後を追うように痙攣していた仲間が次々と爆散。
終わった。諦めて男は天を仰いだ。
逃げようとしてはいたが体はもう男の意志で動けない状態に陥っている。
男にできたのは像に化けていた化け物達が舌なめずりをしながら寄ってくるのを他人事の様に眺める事だけだった。
「随分とあっさり片付いた物だな」
俺は首途にお茶をご馳走になった後、建物――首途曰く「工房」から出たのだが、戦闘の痕跡はほとんど残っていなかった。
強いて挙げるなら並んでいる像の位置やポーズが若干変わっていることぐらいだろう。
「俺も戦り合った事があるが、何度も相手にはしたくねぇな」
前を歩いているヴェルテクスは肩にコートを引っかけながら呟く。
おい、そのコート俺のと同じ奴じゃないのか?同じ奴だろ?
完全にお揃いになるから、着るのを止めて欲しいんだが…。
…まぁ、無理だろうな…。
こいつとお揃いになると言う不可避の未来から目を逸らす為に別の話をしよう。
「……で?これからどうする?また、ギルドにでも引き籠るか?」
ヴェルテクスは鼻で笑う。
「攻めるに決まってんだろ。その為にわざわざお前を仲間にしたんだ。精々役に立って貰うぞ」
おい。護衛って話はどうなったんだ?
突っ込み所は満載だったが、取りあえずどこまで本気なのか測る意味も込めて具体的な質問をぶつけた。
「役に立つ立たない以前に、連中の居場所に心当たりでもあるのか?」
「馬鹿かお前は?俺がこの長い時間、意味もなく逃げ回る訳ないだろうが」
察するにある程度の当たりは付けているのだろう。
上からな態度は不快だが、一応依頼人だ。我慢。我慢。
「…はぁ…。方針に関しては理解したが、すぐ行くのか?」
「あぁ。あの爺はいい加減な事は言うがいい加減な仕事はしない。ここに来た奴は皆殺しにされたはずだ。今行けば、少なくとも態勢は整っていないはず、攻め時にはいいだろう。…それに…」
「それに?」
「さっき買ったそれ、試したいだろ?」
驚いた。
試したいとは思っていたが、見透かされていたとは意外だ……顔に出ていたか?
まぁ、何かあっても依頼人が責任を取ってくれるだろうし、俺も好きに暴れさせてもらうか。
「了解だ。行くとしよう」
俺は同意してヴェルテクスの背を追う。
空を見ると朝日が差しこみ周囲が明るくなり始めていた。
「な!ん!で!監視に付けた連中が皆殺しにされてんのよ!」
あたし――ジェルチは目の前の部下を怒鳴りつけた。
我慢しようかとも考えたが無理だ。
成功したなら軽い叱責だけで済ますが、結果は全滅。
その証拠に、壁際に並んでいる人形が壊れている。
これは対になっている物が壊れると自壊する魔法道具なのだが、監視についている6人と保険で後方に配置した3人に持たせた分が壊れて跡形もない。これは殺されたとみるべきだろう。
何を考えてるの?
9人よ?9人死んだのよ?昨日と合わせて15人よ?
どれだけの損失か分かってる?構成員はお金だけじゃ買えないの!
お金と時間が要るの。分かる?
あたしはヘルガのように昔から付いて来てくれている娘達以外は割とどうでもいいが、あたしの部下であると言う事は変わらない。
つまり、あたしが彼らの命を預かっているのだ。
あたしは死ぬにしても無駄死にするような死地に必要もなく送り込む真似はしないし、部下達はあたしの命令に必ず従ってもらう。
少なくともあたしはそれを徹底させていた…はずだった。
…にも拘わらずこれだ。
目の前の部下は汗を流しながら縮こまっていた。
拠点と思われる場所を見つけたのなら、いきなり潜入するなんて愚は冒さずに情報を集めるか、連中が出て行ってから調べるべきでしょ。
そもそも、あたしはそんな事を命じた覚えはない。
何でそんな独断専行に走ったのかは…。
「…そっちの隠れているのに聞けばいいの?」
「あら?バレちゃった?」
部屋の隅の空間が歪む。
声はそこから聞こえてきたようだ。
「あんたでしょ?あたしの頭越しにこいつ等に指示出したの?」
「そーよー。あなたの手間を省いてあげたんだけど…いけなかったかしら?」
人を食ったような喋り方が不快だったが、それは脇に置こう。
声からして性別は女。年齢は20後半から30前半といった所か。
こう見えても記憶力に自信がある。少なくとも聞き覚えのない声だ。
「あんた。何者?」
この部屋は魔法的に防御されているので、見た目以上に侵入に関しては堅牢だ。
それを突破出来ている時点で気を抜いていい相手じゃない。
正体に関しては何となくだが予想は付いている。
…恐らくは痺れを切らしたんだろう。
「あら。ごめんなさい。自己紹介がまだ済んでなかったわね。私は……そーねー…ステファニーとでも呼んでちょうだい」
「……で?ステファニー?あんたはどこのどちら様?」
「テュケの使徒様よ」
驚きはない。
雰囲気から何となくそんな気がしていた。
口調のどこか投げ遣りな感じが、他の使徒とよく似ている。
「そう。あたし達の仕事が遅いからわざわざ出張って来たって訳ね」
「そーねー。私自身はどうでもいいんだけど、他がうるさくってねー。最低でも片腕は持って帰って来いってさ。私も困ってるのよー」
だったら出しゃばらずに黙って見ていろと言いたくなるのをあたしは呑み込んだ。
確かに時間がかかりすぎているのは認めるが、正面から挑むのが難しいからこうして隙を伺っていると言うのにこうも台無しにされては…。
「余計な事はするなって顔してるわねー。でも、そろそろこっちも我慢の限界なのよ。だから、ここからは私が指揮を執るのでよろしくね」
「何を勝手に…」
あたしの反論はステファニーの溜息で遮られた。
「ふぅ…これでも私はあなたに気を使っているのよ?別にあなたを殺した後、部下を掌握する事もできるんだから」
その物言いに頭に血が上る。
「そんな方法で上に立ってもあたしの部下は従わない」
「そう?………こうすれば従ってくれると思うけど?」
「っ!?」
ステファニーの声が途中であたしの声に変わった。
「ここで、あなたとそこで縮こまってる彼を殺した後、ジェルチちゃんは急病で出てこれません。でも指示は出しますって事にすればどうかしら?」
「……この…」
畜生。
あたしの部下はこいつの声に騙されたって事か。
「ふふふー。どうかしらー?素直に私の指示聞いてくれる気になったかな?」
「……分かった。ただ、命令内容によっては拒否させてもらう」
あたしは絞り出すようにそう言うしかなかった。
この女――いや、声を変えられる以上、女かどうかも怪しい――は信用できない。
悔しいが使徒である以上、戦闘は危険だろう。
あたしの知る限り使徒は例外なく強い。
それにあたしが死ねばヘルガ達はこいつの無茶な命令で確実に使い潰されるだろう。
口調で解る。こいつはあたし達の命に何の価値も見出していない。
ゴミを捨てるような気軽さで、死んで来いという類の人種だろう。
自分も同類だが、消費される立場になるのはごめんだ。
「んー。いいお返事。なら、最初の仕事をあ・げ・る。今近づいて来てる連中を仕留めてくれないかしら?あぁ、片方は話聞かないとダメだから殺しちゃだめよ?」
直後、下から爆発音と悲鳴が響き渡った。




