1046 「逃回」
続き。
「はっはっは。 もう笑うしかないなーこれ!」
ラディータは笑いながら走っていた。 背後からは金属音と爆発音。
音の発生源は彼女が生み出した分身による戦闘とその分身がやられた事による爆発だった。
もう足止めだけにしか使っていないので次々と生み出しては特攻させている。
分身と視界を共有しているので背後がどうなっているかは分かっており、追いかけてきている者達の姿はしっかりと捉えていた。
数を増やしたお陰で動きが悪くなっており、ヴェルテクスやアスピザルにもあっさりやられるが構わずに次々と追加の分身を生み出す。
後衛はそこまで足が速くないので分身で足止めはできているが問題は残りの前衛だった。
「うわっ!? あっぶなぁ!?」
身を屈めると彼女の頭があった場所を赤い輝きが通り過ぎる。 クリステラの斬撃だ。
エロハ・ミーカルとエロヒム・ギボールでは身体能力強化の度合いが違うので、追いかけっこでは非常に分が悪かった。 幸いにもこの王城はラディータにとっては構造を熟知している庭のような場所なので、どうにか逃げられているが単純な構造の場所に逃げ込むとあっという間に追いつかれて背中を斬られる。
そうならない為にラディータは廊下の角を曲がり、手近な部屋へ飛び込み、時には壁を破壊して別の部屋へと逃れる。 小さく振り返ると背後には無表情で聖剣を持って斬り殺そうと追いかけて来るクリステラ。
――いやぁ、怖いなぁ。 ……と言うかこれ無理でしょ?
正直、夢に出て来かねない程に恐ろしい状況だが、残念ながらこれは夢ではなく紛れもない現実だ。
自力でどうにかしないと逃げられないのが辛い所だった。 ラディータは命の危険を感じてはいるが、今のところは冷静ではある。 だが、このまま追い詰められれば余裕を保っていられるかは少し怪しかった。
――うーん。 どうしようかなぁ。
さっきから逃げ回っているが、差が一切開かないので逃げ切るのは難しい。
ここまでしつこいのは敵の目的に自分の持っている聖剣を奪う事が含まれているからだろう。
本音を言えば投降したい所だが、後ろの者達がそれを許容するのかが怪しいのでそれも難しい。
仮に投降が受け入れられたとしても間違いなく聖剣は取り上げられる。
聖剣は彼女が生きて行く為に必要な代物だったので、手放す訳にはいかない。
かと言ってクリステラを倒せるのかと言われるとできなくはないが少し厳しかった。 一対一ならまだ勝ち目はあったが、ヴェルテクスやアスピザルと同時に相手をすると間違いなく負ける。
ラディータはアスピザルとヴェルテクスの事を高く評価していた。
アスピザルは権能の使用や魔導書の支援なしであれだけの魔法を扱える能力。 恐らく精霊が見えているのだろう。 極々稀にそう言った人間が現れるのは知っているが、内蔵魔力――要は素質と噛み合う存在は更に少ない。 これだけの条件が揃っているのはある種の天才と言えるだろう。
そしてヴェルテクス。 彼に関してはラディータにも良く分からない部分が多かった。
魔導書を高い水準で扱えており、使いこなしている所を見れば構造にも明るいのが分かる。
つまり、魔導書の仕組みに精通しているのだ。 恐らくだがベレンガリアよりも詳しいんじゃないか?とラディータは考える。
だが、それだけでは説明できない身体能力に関しては些か疑問だった。
道具の類で強化しているようにも見えなかったので、自前の身体能力であれだけ動けるのは異常だった。 連れていた兵も明らかに普通じゃないので、何らかの方法で強化を施されているのだろうというのが彼女の予想だった。
もう既に滅んだヒストリアという組織がそう言った研究を行っていたが、ある日を境に止めてしまったので徐々に研究規模が縮小。 最終的にはグリゴリへの生贄と化して壊滅したのは彼女の記憶に新しかった。 関係者かな?とも思ったが、彼等の研究テーマとは若干の齟齬があったので関係ないだろうと自己完結。
ただ、魔導書を用いての多彩な攻撃は後衛としての彼の技量の高さを物語っていた。
両者とも充分に聖堂騎士で通用する能力だ。 こんな人材を埋もれたままにしておくとは国外に居た者達は何をやっているのだといった気持ちになる。
――さて、現実逃避はこれぐらいにしてどうしようかなぁ……。
現在は王城の地上階をぐるぐる回る形で逃げ回っているが、このまま外に逃げるのは不味い。
逃げ切れる可能性は高まるが、味方への被害が激増するからだ。 ただ、外の様子を見る限り旗色は悪いので擦り付けても結果は変わらないんじゃない?といった気持ちもあったが、流石にそこまでの勝手はできなかった。
――かと言って上階に逃げるのは論外だ。
階段を登り切ってしまえば王まで直通となってしまう。
筆頭近衛である彼女がこの有様なので何を今更と思ってしまうが、立場上それはできない。
やるべき事はクリステラ、アスピザル、ヴェルテクス。 この三名の分断。
クリステラはともかく残りの二人は単独なら充分に撃破できる。
問題は具体的にどう分断するかなのだが――
最初に思い浮かんだのは転移だ。 大聖堂にある転移施設を使えばヴァルデマルの居るウルスラグナまで飛ばせるが、場所が悪いので実行は難しい。
後は粘って誰か――具体的にはハーキュリーズ辺りが助けに来てくれる事を期待したいが、こちらも難しいだろう。 帰還命令が出てそれなりに時間が経過しているにもかかわらず戻って来たといった報告は入っていない。 転移魔石が破損した事は知っているが、後退してどうにか撤退できるのかもと思いたいがこの様子だと難しそうだ。
死んだとは考えない。 ハーキュリーズの腕前は彼女が一番良く分かっているので、戻って来れなくなっただけだとは思っている。 だが、来れない以上は生きていても死んでいても同じ事だった。
その為、彼女は途方に暮れるしかなかったのだ。
ラディータはクリステラの斬撃を紙一重で躱す。 背中に冷たい汗をかくが思考はまだしっかりと回っており、状況の打開策を考え続ける。
現状を維持するだけなら彼女の取った行動は決して悪いものではなかった。
ただ、彼女には一つ理解が足りていない事がある。 それはこの戦場で時間を浪費する事の危険性だ。
戦況は刻一刻と変貌し、ラディータもそろそろ通っていないルートがなくなって来た。
それにより――ガクリと逃げ回っていたラディータが何かに躓いたように体勢を崩す。
何だと視線を下に向けるといつの間にか足元が凍っており、彼女の足が一瞬ではあるが止まる。
そしてそれは致命的な隙だった。
「あ、ヤバ――」
クリステラの斬撃が躱せない軌道でラディータへと向かって来ていた。
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