1032 「師弟」
続き。
北へ押し込まれていると自覚はしていたが、どうにもならなかった。
サンディッチは内心で身を焦がすような焦燥感に焼かれながらトラストとハリシャの攻撃を捌き続ける。
さっきから長時間、権能を全力で使用している為、そろそろ限界も近かった。
魔力の消耗も激しく装備も損傷により、付与効果も機能しなくなった。 肉体的な疲労も限界が近く、気を抜くと意識を失いそうだ。
だが、それでもとサンディッチは気力を振り絞る。
ウィルラート・クリント・サンディッチ。
彼はクロノカイロスで生まれ育った。 両親は聖堂騎士で父親に至っては救世主だ。
現在は高齢によりその任を退いてジオセントルザムの外で静かに暮らしている。
父も母も厳しくはあったが、しっかりと愛情を注いだようで真っ直ぐに育ったのは両親の教育の賜物と言えるだろう。 サンディッチはクロノカイロスの外の世界を知らなかった。
大陸の外の暮らしを知らなかった。 魔物の生態を知らなかった。 亜人種の暮らしを知らなかった。
聖騎士として生きて行く事は早い段階で決まったが、彼には頭にこびり付いて剥がれない悩みがあった。
グノーシス教団は霊知という正しい知識を備え、世界を導く組織だ。
サンディッチはその事を疑うつもりは毛頭なかったが、正しき組織の剣としての役割を担う自分はそれで良いのかと思ってしまう。
最終的に裁く判断をするのは教団で自分達はその剣として斬れと言われた相手を斬ればいい。
頭では理解はしているが、彼の倫理観がそれを許容しなかった。
誰かを斬ると言う事は命を奪う事に他ならない。 それを直接実行する以上、何故斬るのかの理由をはっきりさせ、自分の中でしっかりと折り合いをつけたかったのだ。
教団の指示で斬るのは良いだろう。 だが、教団が指示したからとそこで思考を止めるのは怠慢だとサンディッチは考えていた。
その為、彼は自分に都合よく教団の威光に乗っかっているだけのフェリシティを心の底から軽蔑しており、思考を完全に放棄しているフローレンスにも良い感情を抱いていない。
斬らせる側だけでなく斬る側にも覚悟は必要だ。 そんな彼が公平を求めるのは至極当然の流れだったのかもしれない。 覚悟は心に納得を与え、納得は迷いの悉くを消し去る。
迷いを振り払った聖騎士こそ十全にその剣を振るう事が出来るのだ。 そんな考えが今の彼を作り上げた。
――だが、彼が気が付いていない事もある。
結局の所、迷いがないという事は悩みを捨て去る事と本質的には同じと言う事を。
形はどうあれ躊躇を捨てる行為は命のやり取りをするに当たっては重要だ。
サンディッチはその過程にこだわった結果、今に至っており、フェリシティ達は初めから考える事を放棄した果てに今があった。
そこに何の違いがあるのだろうか? ある男がこの話を聞けばこういったかもしれない。
――結局、殺すんだろう? じゃあ考えるだけ無駄じゃないか、と。
その是非を問われればサンディッチは強く否定しただろう。 しかし、目の前に迫る命の危機を前に果たして彼は公平の重要性を説き、自らの考えの正しさを証明し続ける事が出来るのだろうか?
少なくとも今の彼は斬撃を躱すので精一杯で、普段から心がけている公平さを発揮するのは不可能だった。
相変わらずハリシャはゲラゲラと品のない笑い声をあげながら凄まじい精度の連撃を繰り出し、それに混ざってトラストが鋭い一撃を繰り出す。
防具は付与された機能の不全どころか、そろそろ防具としての役目すら果たせなくなりそうだった。
その必死の表情を見てトラストは死力を振り絞っていると判断。
防具もそろそろ限界の様なのでいい加減に仕留めに行くべきだと一瞬、視線をハリシャに飛ばす。
彼女は特に反応しなかったが、気付いてはいるようなので気にはしない。
トラストは教官として様々な者に剣や戦闘の手ほどきをしたが、基本的に彼は叩きのめした後に「どうしてこうなったのか?」といった欠点を指摘した上で考えさせる形で指導していた。
その為、彼の指導と相性の良い者は実力を伸ばし易いが、考えずに感覚的なものを頼りに戦う者とはあまり相性が良くなかったのだ。
自らの指導に欠点がある事は自覚しており、どうにか矯正しようと彼なりに考えてはいたが余り上手くはいかなかった。
そんな時に現れたのがハリシャという同僚だ。
彼女は彼と同じチャリオルト出身で轆轤の扱いに精通しており、その点では彼を大きく凌駕していた。
トラストはいい機会だと彼女に教えを乞うたのだ。
教えられる側になれば教える際のコツを掴めるのではないのだろうか?
そう考えた彼は親子以上の歳の差がある娘に頭を下げたのだった。
初対面の際、ハリシャはトラストに何か感じ入るものがあったのか彼からしても奇怪な笑みを浮かべて「手合わせをしましょう」と持ち掛けて来たのだ。
初見と言う事もあって手数に圧倒されトラストは敗北したが、二回目は彼の勝利だった。
ハリシャはチャクラの扱いと新たに得た異形のお陰で人外の剣技を身に付けはしたが、立ち回りに甘い点が多々見受けられ、お互いに得る物の多い戦いとなった。
その後、二人はお互いの技術を教え合うといった関係を築くに至る。 ちょうどハリシャも以前にやっていた護衛の仕事をクビになったばかりだったので、トラストの下に着くというのは自らを高めるという意味でも渡りに船だった。
ハリシャは見た目によらず視野は広く、戦闘における勘は鋭いが、経験が足りていないのでトラストとの立ち合いは非常に良い刺激だったのだ。
純粋な剣技だけなら未だにトラストに及ばないと理解しているので、教えを乞う事に何の抵抗もなかった。 トラストの事はチャリオルトからの落伍者と聞いてはいたが、優れている所を見た以上は何の関係もない。
こうしてハリシャはトラストと共に教官としての人生を歩み始めたのだった。
ハリシャにとってトラストは優秀な生徒ではあったが、優秀な教師ではなかった。
チャクラに関しても少し教えただけで簡単に使いこなしたのは今までの積み重ねの結果だろう。
ただ、自己研鑽に費やした時間が長すぎたので、教えると言う行為をあまりしてこなかったのだ。
その為、自分の理解している事を理解させるという行為が難しかった。
彼の教師としての欠点はそこだろう。 反面、ハリシャは要約して他者に伝える事が得意だった。
彼女はチャリオルトでは教えを乞う立場だったので教えられる事に慣れていた事もあり、その経験が活きたのか伝える事に関しては才能があったようだ。
特に他人の戦い方を矯正する事に関しては目を見張る物があった。 気が付けばハリシャが戦闘方法に関してのアドバイザーとして助言を行い、トラストが実際に手合わせをして調整を行うといった図式が出来上がっていたのだ。
そして時間が空けば二人で手合わせを行って互いを高め合う。
何だかんだと相性が良かったのか、肩を並べての戦いでも呼吸を合わせる事は容易だった。
事実、最高峰の聖騎士たるサンディッチが追い詰められている事を見れば疑いようがない。
サンディッチの限界も近く、この戦いにも終わりが訪れようとしていた。
誤字報告いつもありがとうございます。




