101 「誘惑」
しばらく睨み合った後、男は根負けしたように息を吐く。
「分かった。お前に目を付けた理由はこいつだ」
赤い方の目を指差す。
「こいつは生物の本質。テュケの連中に言わせれば『外から見た本質』とかいうらしいが…そいつが見える。…で、お前の姿が以前見た使徒共と同じ…いやそれ以上にイカレた形をしていやがる」
…なるほど。
どうイカレているかは大いに興味があるが、エイドス…か。
恐らくは『魂』や『業』も同じなんだろうが、どうでもいいが呼び方統一しろよ。
要はこいつは使徒に襲われかねない立場で、目の前に現れた使徒とやらに見える俺を敵と思った訳か。
取りあえず、俺に絡んできた理由は分かった。
今度は俺が答える番だが…。
何と答えた物か。
「もっかい聞くぞ?お前は何だ?」
男が質問を重ねる。
俺は少し迷って……。
「ただの冒険者だ。少なくとも俺は使徒なんて偉そうな肩書は持っていない」
当り障りのない事を言う事にした。
首にぶら下げているプレートを見せる。
「煙に巻く気か?」
「自分でもどう答えていいか分からんだけだ」
転生者と言っても、ピンと来ないだろうし教えてやる義理もない。
男は探るような目を向けて来る。
「なら質問を変える。お前は人間か?」
「一応、人間だ。種族的にはな」
これは本当だ。
「ダーザインかテュケの関係者か?」
「一方的に絡まれた事はあるが無関係だ」
少なくともお前みたいな奴に絡むほど暇じゃない。
「…まぁいい。怪しいが連中の仲間って訳じゃなさそうだな」
男は舌打ちするとそのまま小屋から出て行った。
…何だったんだ?
最後まで訳が分からなかったが、一応収穫はあったし良しとするか。
外に出ると、日が暮れかかっている。図書館は…明日だな。
それにしてもエイドスね。どう対策した物か。
…取りあえず。
「宿に戻るか」
「ごめん。もう一回言ってくれないかな?」
「はっ。監視に失敗し、9名中6名が死亡しました」
衝動的に目の前の部下を殺しかけたが何とか思い留まる。
あたし――ジェルチは深々と息をして気持ちを落ち着けた。
「あんたさぁ…部位持ちじゃないけど、隠形に長けた連中ですって自信満々に送り出してたけど…結果、コレ?何やってんのよもぉ…」
最近、イラつく事が多すぎて頭がどうにかなりそうだ。
この無茶振りとしか思えないような任務、立て続けの失敗、部下の損耗に極めつけは共同で任に当たっていたガーディオの離脱。
…何なの?アルグリーニはあたしの忍耐力でも試してるの?これは新手の我慢大会なの?
特にガーディオの離脱が痛い。
部下を残していってくれはしたが、場を仕切るのがあたしだけになってしまった。
悔しいけど、この手の采配はガーディオの方が遥かに上手だ。
本来、あたしとあたしの部下の得意分野は能力を用いた勧誘や情報収集だ。
戦闘や隠密行動はガーディオやジェネットの領分であたしが出張る場じゃないと思うんだけど…。
意識を目の前で縮こまっている部下に戻す。
「…で、何か分かった事は?」
切り替えよう。今は少しでも情報が欲しい。
「はい。標的の行動自体はいつもと変わらなかったのですが、今日に限っては誰かと連れだって貧民街に向かっていました」
「仲間じゃなくて?」
「はい。少なくとも今までみた事も無い奴と聞いています」
珍しい。
標的は基本、仲間以外と積極的に話したりはしない。
これまでの調査で、あの男の後ろに何かいると言う事は考えにくく、個人と言う事はほぼ確定。
…とは言ってもその肩書は無視できない物ではあるが…。
可能性はいくつか考えられる。
まずは単純に今まで顔を見せず周到に隠れていた仲間。
その場合は迂闊に手を出すのは危険だ。
以前、あの男の仲間に手を出した事があったが……結果を思い出して軽く鬱になった。
次に商人の類。
テュケから奪った物を何らかの取引に使う場合だ。
正直、そうだとしたらこちらとしてはありがたい。
例の物があの男の手から離れてから奪えばいいからだ。
「監視がやられた以上、警戒されるだろうしその接触した方を攻めた方がいいか…」
場合によっては人質に使えるかもしれないし、何ならあたし達の能力で篭絡してもいい。
「ヘルガ!居るー?」
「はいはーい!なんでしょーかぁ!」
あたしが声を上げると返事をしながら部屋に入って来たのは部下のヘルガだ。
相変わらずの豊満な乳をゆさゆさ揺らしながら現れた。
「ちょっと調べて欲しい奴が居るんだけど行ける?」
「いけますよぉ。ロレナちゃんとエリサちゃんを連れて行きますねぇ」
「うん。お願い。それと…」
あたしは目の前の報告に来た部下に視線を向ける。
部下は慌てて報告をまとめた紙の束をヘルガに渡す。
ヘルガは「ふむふむ」と言いながら内容に目を通している。
見終わるとあたしに紙束を返しながら温和な笑みを浮かべたまま聞いてきた。
「所でぇ。どこまでやればいいんですかぁ?」
「様子を見て、出来そうなら篭絡して情報を引き出しちゃって。無理なら監視だけでいいわ」
「はーい。分かりましたぁ」
小さく手を振ってヘルガは部屋から出て行った。
あたしは手元の紙束を軽く捲る。
この街に真っ当な方法で入ったのなら調べれば身元はすーぐに分かるんだよね。
…何々…名前はロー。青3級冒険者。
冒険者?商人じゃないの?
簡単な経歴の羅列に目を通すが、これと言って面白い物は…ん?
依頼の履歴で少し気になる記述が目に入る。
街を襲った新種の魔物の討伐。
場所はティラーニ。
この依頼の達成によって黄2級から青3級まで一気に上がっている。
備考欄にも赤3級の冒険者と共同で事に当たったと書いてあるので「おこぼれ貰ったんだね」で片付くが、問題はその後の記述だ。
認識票の更新履歴。最新は当然ここ――ウルスラグナだが、その前がオールディアとなっている。
背筋が冷えた。
オールディアって…アルグリーニが言ってた所じゃないの。
しかも時期を見てみると例の事件の少し前ぐらい…。
ガーディオやシグノレ辺りならツイてるとか言って探りを入れるのかもしれないけど、あたしが感じたのは不安だった。
…本命を落とす為のついでなのに何でこんな変なの引き当てるかなあたしは…。
行かせたヘルガの事が心配になったが、彼女はああ見えて『第二位階―四部位』だ。上手くやるだろう。
報告書を見る限り、このローと言う男はオールディアの生き残りである可能性は高い。
首尾よく行けばそっちの情報も得られるかもしれない。
用事が済んだので、部下を全員退室させて1人きりになる。
「はぁ…」
座っている椅子に深くもたれかかって深く息を吐いて目を閉じる。
この件が片付いたら絶対休んでやる。
田舎に引き籠ろう。絶対にそうしよう。
「…ちょっと寝よ」
まずは仮眠を取る事にした。
最後にまともに寝たのっていつだっけ?
…いい加減に寝台で寝たい。
日も暮れて薄暗くなった道を俺は宿に向かって歩いていた。
足取りとは裏腹に気は重い。
何故なら、またダーザインに目を付けられた可能性があるからだ。
あの男の言葉を信じるなら数名取り逃がしてしまった。
皆殺しにできなかった以上は連中の上に報告が行く訳だ。
その後はどうなる?
ただでさえ使徒だの何だのと因縁を付けられやすいのに結果的にとは言えわざわざ目に付く事をしてしまったんだ。かなり高い確率で俺の所に来る。
いきなり襲われるか、勧誘されるかの違いはあるだろうが…。
…面倒は嫌だと思った矢先にこれか。
先行きは不安だが悲観しても仕方がない。
まずは相手の出方を見る。
連中の目的はあの怪しい中二野郎であって俺じゃない。
そのまま俺への興味を失ってくれるのならやる事やって王都を出よう。
オールディアの時の様に皆殺しにしたい所だが…恐らく無駄だ。
見える奴に見られたらまた同じ事の繰り返しになる。
…やはり根本的な問題から解決しない事にはどうにもならんか。
連中の目をごまかす方法を何とか身につけないと遠からず詰むな。
俺は歩きながら考えを巡らせていると…。
「きゃ」
誰かとぶつかった。
相手はバランスを崩して倒れそうになったがその前に腕を掴んで倒れないように引き戻す。
いかんな。考え事に集中しすぎたか?
魔法で怪しい奴ばかりに意識を割いていたせいか足元が疎かになっていたようだ。
「すまない。怪我はないか?」
「ええ。ありがとうございますぅ」
ぶつかった相手でまず目に入ったのは巨大な胸だった。
次いで視線を上げると、目尻の下がったトロそ――穏やかな顔つきの女性が笑顔を浮かべている。
見た所、怪我もなさそうだし問題ないな。
それにしてもこんな時間に女の一人歩きとは……俺には関係ないか。
軽く頭を下げて立ち去ろうとすると、腕を捕まれた。
「何かな?」
「あの…ですねぇ…」
女はいきなりもじもじし始めた。
俺が訝しんでると、女は頬を染めながら腕に胸を押し付けてくる。
「実は私ぃ…その、そういうお仕事をしてましてぇ。ちょうどお客さんを探してたんですぅ。これも何かの縁といいますかぁ」
言いながら赤い顔で俺をちらちら見て来る。
初々しい反応と豊満な体、ダメ押しとばかりに押し付けた胸。
「良かったらどうですかぁ?不慣れなんであんまり良くないかもしれませんけどぉ」
「……興味がない。悪いが他を当たってくれないか?」
これだけ揃っているなら大抵の男は落ちるだろう。
まぁ、俺には効かんがな。
付け加えるならお前の動き、洗練され過ぎだから。
ぶつかってから客引きまでの流れが、まるで決まり切っているかのような無駄のない動き。
絶対台本あるだろ。ぶつかったのも台本の内だろうな。
…で、引っかかった馬鹿に春を売っている訳だ。
ったく。最近、碌な奴と会わんな。
俺は腕にまとわりついている女をやんわりと引き剥がした。
「ま、待って下さいぃ」
今度は胸に飛び込んで来た。
「そんな事言わないでお願いしますぅ。がんばりますからぁ。ね?」
そう言ってふっと息を吹きかけて来た。
俺は眉を顰める。何か甘ったるい匂いがするな。
いつかの植物共が垂れ流していたのとそっくりだ。
これはあれか?
誘惑するような効果のある匂いか何かか?
こんな物まで使うのかよ。王都、怖い所だな。
「他を当たれ」
いくら溜まっていても、こんな胡散臭い客引きをする女に付いて行きたくないぞ。
断られた女は動揺したように顔をひきつらせた後、俯いた。
あの妙な匂いが効かなかった事が驚きだったんだろう。
引き剥がすと今度こそ女は抵抗せずに離れた。
俺は女を一瞥して、今度こそ宿へ向かう。
女は俯いたままだった。




