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 いつの間にか月は落ち、朝日が昇りだして明るくなっていた。

 道路も変わり、車道には車がまばらに走っている。二匹は車道から歩道へ移り、歩道の隅を走るようになった。風も潮の匂いは消え、排気ガスと湿気の混ざった匂いに変わった。

 黒い犬と白い猫の二匹は目の前を走っていた新聞配達員が乗っている自転車を軽々と追い越した。ゆるやかな角度のだらだらと続いた坂を上り、そして下り。三又に別れた道の真ん中を道なりにひたすら走る。やがて左側に線路が並走し、何本もの電車が九郎たちを追い抜いていった。

 それからしばらく走ると線路の上に歩道橋が架かっている場所へ着く。その歩道橋の下をくぐりぬけた時にユキが言った。

「ここまできたらもう帰り道はわかるな?」

「ああ、わかる。バカにするな」

 よし、ユキはそう言うと道の先にあった横断歩道を渡り、建物の影に消えた。

 九郎もユキの後に続いて渡ったが、そこからユキを見つけることは出来なかった。

 ――一匹となった黒い犬は、舌を出しながらトコトコと軽快な速歩で走り出す。

 歩道を右へ左に、ジグザグに折れながら、帰路を楽しんでいるかのように。廃れた商店街を抜け、脇から現れた登校途中の小学生の集団に絡まれ、無視し。歩道で体操をしている老人の股の間を颯爽と通り抜け。錆びれたシャッターが下りている電気屋の角を左へ曲がる。


 住宅に挟まれた細い道を走っている時、前方に忽然とブレザー姿の女生徒が現れた。

挿絵(By みてみん)


 女生徒は艶のある綺麗な黒髪をなびかせて、紺色のブレザーのポケットに両手を突っ込んで歩いていた。

 手首には平べったい鞄を引っかけ、深い緑と黄を基調としたチェック柄の丈の短いスカートからはすらりとした白い脚が伸びる。跳ねるような歩き方で、そのたびに短いスカートが弾む。背筋をぴんと伸ばし、凛とした姿勢からは見るからに品格が漂う。そんな女生徒が、道の真正面を譲ることなく歩き、歩調も崩さずにそのまま九郎に迫ってきた。

 まるで九郎の存在に気づいてないかのように颯爽と歩いている。


 九郎はへっへと舌を出しながら、一度顔を上げて女生徒を確認する。そこで初めて女生徒は驚くほど透き通った、涼しげな瞳で九郎を見返し――というより見下した。口元は少し笑っているが、その表情から感情を読み取ることは九郎にはできなかった。

 女生徒との距離はどんどん縮まるが、お互い道を譲ることなく真っ直ぐと進む。それでも九郎は舌を垂らし己のペースで軽快に歩く。お互い、道の真ん中を譲らない。


 九郎と女生徒、お互い譲らず交わろうとした時――女生徒の白く、しなやかな右足が歩行の過程で、ごく自然の流れで――女生徒のそのつま先が九郎の顎めがけて飛んできた。


 九郎は顎に到達するスレスレのところで横に飛んでかわした。すかさず女生徒を見上げる。女生徒は九郎をちらりと見やるが、何事もなかったように通り過ぎた。

 九郎は数秒立ち尽くし、再び歩きだした時、背後で舌打ちが聞こえた。が、それには振り返らなかった。すれ違う際、女生徒の風になびいた黒髪からかすかに潮の匂いがした。


 ほどなくして道は多くの木々が生い茂る緑道に変わった。

 緑道の入口を通ると爽やかな緑の香りが鼻腔を刺激する。舗装されていない道に木々の隙間から洩れている朝日が射しこむ。九郎は朝日を背に受けながら道を歩く。昨日の大体この時間に通った道だったが、この土の感触が懐かしいと九郎は思った。

 緑道の半ばあたりまで来たところで、脇の柵を飛び越えて木々の中へ入っていく。草を踏みながら歩く。そこは緑道から少し外れた道なき道、九郎のいつもの散歩道。

 しばらく歩くと、目の前には木々に覆われた家が建っていた。

 家は木造の二階建てで造りは古い。外壁全体が縦横に這ったツタで覆われ、玄関扉さえもツタで塞がれていた。相当の期間、この扉が開かれてないことが容易に推測できる。外壁の割けた箇所から家の中に侵入しているツタもあった。この家に人が住んでいる気配はなく、完全に周りの緑と同化していた。

 九郎はその家の玄関前まで近寄ると立ち止まり、二階の正面左に設けてあったガラス窓を見上げた。この窓にもガラスの面積一杯にツタが這っていた。

 九郎はじっとその窓の右隅、唯一ツタが這っていない場所を凝視した。

 そのまましばらく見続けると、やがてあきらめたように、飽きたかのようにため息をついて踵を返す。柵を飛び越え元の道まで戻ると足早に緑道を抜けた。


 緑道を抜けると正面に雑貨屋が構えてあった。

 店の入り口には、休憩中――と達筆(たっぴつ)に書かれた札が下げてある。その店から左に行くと、大きく右へ曲がっていく勾配の急な坂道が続いていた。坂道に沿うようにぽつぽつと家が建ち並ぶ。

 九郎は呼吸を乱すことなく軽快に坂を上っていった。坂道を上りきったところで二又に道が分かれ、右へ歩を進める。そして若干の距離を上ると、三十段程続いた石段。その頂上に丸太で作られた鳥居が建っている。


 ――その鳥居の左柱は地に深く埋まり、右上がりに大きく傾いている。


 貫は柱から出ず、笠木は反りがない。両柱の長さが違うせいで渡した笠木が浮き、柱との組み合わせ面に妙な隙間が出来上がっている。貫の丸太は中央からヒビが入り、元々はこの傾きではなかったことがうかがえる。木には樹皮がついたままで、異様に黒々としている。

 左柱の根本には何か刻まれているのだが、半分以上地に埋まっているためにそれが文字なのか記号なのかわからない。

 鳥居の先の境内は狭く中央より続く参道、その奥に小さな本殿が設けられていた。本殿の裏はすぐ山となっていて、境内にはそれ以外に何もない。殺風景な神社である。

 九郎は階段を上り、鳥居をくぐると本殿へ向かわず参道途中から左へ折れる。神社の隣は民家が建っており、狭い境内を出るとそのまま民家の庭へと入った。そして庭を歩いて、家の吹き出し窓を前足で起用に開けた。


 「おう九郎か。おはよう」

 九郎が入った場所は居間だった。居間に上がった瞬間コーヒーの匂いが鼻に入ってくる。そのコーヒーを苦い顔で飲んでいた老人が、新聞に目を通しながら土足で上がってきた九郎に対して声をかけた。

「おはようジジイ」

 九郎は老人を見ずに挨拶を返す。血色のよい肌の老人はもう一度おはようと返す。九郎はスタスタと居間を抜ける。居間を出る九郎に老人は、お前また怒られるぞと言い、新聞を読みながらコーヒーをすすって一言、苦いと言って顔をしかめた。

 九郎は老人の言葉を一応は耳に入れ、廊下を進んで洗面所へと向かった。

 洗面所のドアのノブに飛び付き器用に開け、その先にあった浴室への引戸も前足で開けて浴室に入る。

 浴槽はすでに湯が張ってあった。九郎はその中に犬の姿のまま飛び込んだ。湯の中で潜ったままバシャバシャと暴れる。息が続かなくなると浴槽から飛び出し、タイルの上で体を振って黒毛に浸みこんだ海水や泥を湯と一緒に振り払った。


 ―― んじゃ、戻るか

 そう言うと、口を大きく開けて牙をむき出し、天井を見上げる。そしてそっと目を閉じた。

 すると右の口端が輝きだして空間が歪み、そこから奇妙な形の骨が現れた。骨の先端には鋭くとがった石が付いている。

 現れた骨を咥えると、骨の先端に付いていた石が鈍く光る。九郎は鈍く光る石を、マッチを擦るような仕草で右肩に擦り付けた。

 擦った箇所が途端に光り輝く。光は一気に膨らんで九郎全体を包み込み、さらに強い光を放つと爆発するように細々と弾けた。

 光が消えると同時に現れた九郎は人の姿に戻っていた。口には骨を咥えている。肉体は犬の姿に変わる前に着ていた服を纏っていた。九郎は咥えていた骨を離し、服を全てタイルの上に脱ぎ捨て、再び浴槽に飛びこんだ。

「ふ~、気持ちいいわ~」

「九郎~!どこ行った~!」

 廊下の方からドタドタ騒がしい音がする。

 女の声が浴室まで届く。声を荒げて九郎の名を何度も呼んでいるが、当の本人はのんびり湯に浸かって寛いでいる。洗面所を乱暴に開ける音がする。その音が鳴りやまぬうちに浴室のドアも一気に開かれた。

「こら九郎!」

「お湯、ぬるいぞ」

 ぬるいじゃないでしょと怒鳴られる。

「あんた、何回言ったらわかるの!ちゃんと玄関から入ってきなさいって言ってるでしょ?もう、リビング泥だらけじゃない!それに、一体こんな時間までドコほっつき歩いてきたのよ!もう朝じゃないの!」

「歩いてきたんじゃない、走ってきたんだ」

「そんなことどうでもいいの!――あ!またこんなトコで服脱いでる!ちゃんと洗面所で脱いでカゴに入れなさいって、いつも言ってるでしょ!」

 女は一気にまくし立てると、そそくさとタイル上に散らばった服を拾いだす。

 服を拾いながらも文句を言うのは止めない。ジーンズ姿にゆったりとしたシャツを着て、袖を肘までまくり上げている。栗色の長い髪は後ろで束ね馬の尾のように揺れていた。女は拾い上げた服を乱暴に洗面所のカゴに入れた。

「ただいまは?」

「ただいま陽子」

「あんたね、こんな時間まで何やってんのよ。学校も行かないで呑気にお風呂なんか入って。なによ?また休む気?今日も学校行かないの?」

「行かない。疲れたから風呂入って寝るんだ、もう」

「寝るんだ――じゃないでしょ!もうほんっとにこの子は――あっ!台所のお湯沸かしっぱなしだった!こぼれちゃうじゃないの!九郎、着替えは棚に置いてあるからね」

 九郎が陽子と呼んだ女は一方的に喋ると慌てて浴室を後にした。去る足音も騒がしい。九郎はため息をついて浴槽から出ると、体を拭かずに棚に置いてあった丁寧に折り畳まれた服を着た。

 着替えをすまして居間に行くと、まだ老人がテーブルに肘をついて新聞を読んでいた。奥の台所では陽子が背を向けて料理をしている。

 老人は九郎に気付くと新聞から目を離し、

「九郎。お前、朝飯は?」

「食ってない」

「そうか。陽子?」

「今作ってるわよ。もうちょっと待ちなさい九郎」

「わかった」

 台所から卵を割ってかきまぜる音や、油のはじく音が聞こえる。味噌汁の匂いも漂ってきた。九郎は老人の向かいに座り料理の音をぼうっと聞いていると、陽子が見向きもしないで、今のうちに髪乾かしてきなさいと告げる。九郎はその言葉に空返事して窓の外を見た。従う気はないらしい。老人が苦そうにコーヒーをすすった。

 吹き出し窓は開けっ放しのまま、居間に心地よい風が流れる。九郎は何気なく空を見

て、そのまま視線を下げる。

「九郎ちゃんみっけ」

 下げた視線の先には、満面の笑みを作って九郎を見上げていた幼女がいた。幼女は窓枠に身を乗り出して頬杖をついている。幼女の横には大型の犬が頭だけ出して同じように九郎を見ていた。犬の背中にはへんてこな人形が括りつけてある。

「九郎ちゃん今からご飯?ねえ、今日も学校行かないの?それじゃ勉強しなくていいの?それじゃ遊べる?ナナも遊びたいって言ってるよ。ねーナナ?」

「ワンッ!」

 幼女の言葉に呼応して犬が吠えた。よく手入れされた毛並みの犬の左耳には黒いリボンが飾られている。九郎は返事もせず、視線も動かさず、そのまま数秒間が過ぎ、ゆっくりと首を回して台所の方を向いた。

「ねぇねぇ!ごはん食べ終わったらあたしと遊ぼうよ九郎ちゃん!いい?それじゃあなにしてあそぼっか?」

「――――」

 幼女は九郎を見ながら手探りで靴を脱ぐと適当に庭に放って、体全体を使い吹き出し窓を越えて居間に上がり込んだ。投げられた靴の片方は幼女の横にいた犬に当たりそうになり、犬は慌てて飛びあがり靴を避けた。

「おじさん、陽子おばちゃんおはよう~!ねぇ九郎ちゃん。なにして遊ぶ?あ、あたしトランプ持って来たよ!九郎ちゃんそれじゃ、トランプにする?それとも鬼ごっこ?」

「おはようマユちゃん。マユちゃんもご飯たべてく?」

「いらなーい。さっき食べちゃった」

 マユ――は洋子の厚意をそっけなく断り九郎の隣の椅子によじ登った。老人は新聞から目を離し、マユを見ておはようと言って微笑んだ。

「ねぇねぇ九郎ちゃん。さっき犬になってあたしんちの前通ったでしょ?ナナが吠えたから分かったんだよ!ナナすごいよね?それでどこ行ってたの?どっかで遊んでたの?これからまた犬に変身するの?今日はもう変身しない?あのね、あたしは今日学校お休みだから遊べるんだけど九郎ちゃんは?今日も学校行かないんでしょ?それとも行くの?行かない?行かないならあそべるよね?ねぇどっち?あれ、目赤いよ?大丈夫?寝てないと目が真っ赤になっちゃうってママが言ってたよ。九郎ちゃん寝てないの?ちゃんと寝ないとだめだよ?あ、この匂いタマゴ焼き?マユもたべたーい!」

「あーうるせー!耳がキンキンする!」

 九郎がたまらず天井に向かって叫んだ。マユはそれを見てはっとした表情で目を丸くした。陽子がそれじゃマユちゃんには玉子焼きだけ作ってあげるとのんびりした口調で言った。

「わービックリした!いきなり大きな声だしちゃだめだよ九郎ちゃん。ビックリしちゃうじゃん。ねね、それでどうしよっか?さいしょはタマゴ焼き食べるでしょ?それからなにする?あのね、あたしトランプ持ってきたからトランプする?それとも外で遊ぶ?あ!神社であそぼっか!」

「だからうるせーって言ってんだろ!もう静かにしろよ頭痛くなっちゃったじゃねーか!」

 えーなんでとマユがとぼけた顔をする。

 九郎はしかめっ面でテーブルに顎を乗せ、老人は相変わらず苦い顔で新聞を読み続け、三人に背を向けて料理をしていた陽子は、少女と九郎の会話を聞きながら肩を震わせ笑っていた。

 少女は肩にかけていたポシェットから手に収まらない程のトランプを取り出してテーブルの上にバンと置いた。

「九郎ちゃん。タマゴ焼きできるまでトランプでもしてよっか?シンケイシュイヤクしない?あれなら九郎ちゃん弱いからあたし勝てるし!」

「もう――しねえよそんなの――。食ったら寝るんだから帰れよ――」

「え!寝ちゃうの?あ、やっぱ学校行かないんだ。いけないんだ~九郎ちゃん!学校行かないといけないんだよ?知ってた?学校行かないとバカになっちゃうよ?あ、あたしは今日お休みだから大丈夫だよ。それじゃトランプ配るからね。あ~!タマゴ焼きいいにおーい!お砂糖いれてね~!」

 少女は誰にも入る隙を与えずに一方的に、思うままの事を捲くし立てるとトランプを不器用に切ってテーブルの上に一枚一枚並べだした。

「はい。並べたよ。ちゃんと見た?あ、見ちゃだめだった、見ちゃだめだよまだ。ほいほい、こうこうで。ハイこれでよし!」

「――やめろ。オレはもう疲れてるんだ。いや――今疲れた。こんなのやってる暇ねえんだ。ああ、頭が痛い」

「はい、九郎ちゃんの番だよ」

「――え?番って」

「めくって?好きなの。次あたしの番だから。同じのそろえるの」

「え。だから、やらねーって言ってんだろバカ。あーもう頭またすっげー痛くなった」

「え~なんでやろうよチンケイスイヤク!おもしろいよ絶対。これなら二人でも面白いよ?マユはこれしか知らないんだけどね」

 少女は椅子から投げだした足を交互にパタパタと振りながら、笑顔を絶やすことなく止めどなく九郎に話しかけ、その横で九郎は俯き頭を抱えて目を閉じている。そして小さい声で、少女に届かぬほどの小声で――やっかいなのにつかまった、と呟いた。

 老人は少女の行動に動じもせずコーヒーを一口飲みしかめた顔のまま腕時計を見る。短針は9の文字を少し越えたところだった。洋子は相変わらず九郎とマユの喋りを楽しみながら料理を仕上げていく。

 主との戦いからわずかな時間しか経っていないのに、今度はもっと厄介なモノとやり合わないといけないのかと心の中で思う九郎であった。

「はい、今度はまた九郎ちゃんの番だよ。ちゃんとめくったの覚えないとだめだよ?わかってる?ほら早くめくってよ、九郎ちゃんめくんないとあたしめくれないじゃん」

「あああー!もういちいちうるせーんだよ!――」

 




 序章 了

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