二人の魔術師
声を掛けてからというもの、いっこうに姿を現さないミズキさん。返事は聴こえるのだが、図書館が広すぎるせいで反響してしまい、何処が元なのか判らない。
「ちょっとここで待ってなさい。くれぐれも勝手に動いて迷子にならないように。いいわね?」
子供じゃないんだから、そんなの言われなくても分かってる。それを明から様に態度に出すのが紅野で、奈義沙にしっしと手を振った。
学習しないなー、と思って見ていたら案の定、奈義沙にデコピンを食らってノックアウト。額を両手でおさえて涙目になる。指の力どうなってんの………………。因みに僕は、経験済みで学習済みたがら、絶対にそんな口はきかない。
「奈義沙さーん」
最初は手当たり次第に本棚の間を覗いていた奈義沙だが、何回か呼ばれ立ち止まった。一階の、まだ十分の一も回っていない内に遥か彼方の上階を見上げる。
その中に気になる場所があったのか、あっと呟きを漏らしてやれやれといった体で額を押さえた。何が何だか解らない間にも、奈義沙は体の重心は前に掛けたまま、しゃがみこむように膝を深く折りまげる。
ジャンプでもするのかな。と思っていたら、それは見事に的中。だが、想像とは違った高さの跳躍力に驚くよりも呆気にとられた。規格外だ。規格外過ぎる。でも、思えばこの世界自体が既に規格外なのだから、奈義沙が規格外なのは当然と言えば当然なのだけれど、やっぱり多少は驚いた。
欄干から欄干へと、ピョンピョン跳ねていくさまはまるで――――――
「バッタみたい」
隣の紅野を見る目がもし、冷たかったとしても、誰も批難しないで欲しい。
「馬鹿…………」
本当に学習能力の無い……。奈義沙はどんなに小さい声だろうが、悪口には矢鱈と反応して仕返ししてくる。で、あるならばだ。これだけ距離が開いていようが、会話する位の声量で言えば聴こえただろう。おまけに声も響いていたし。
案の定紅野の頭ピンポイントに、上から本が落ちてきた。綺麗に本の角を向けて。
「危なっ!」
そこは持ち前の反射の良さと、流石の運動神経で回避したが、避けれていなければ笑い事では済まされない。
「奈義沙さーん。本は投げないでくださーい。大切に扱ってー」
「あら、ごめんなさいね。水城」
謝る相手が間違ってる。流石にこれには正当なる訴えをしなければ。
「悪かったわ」
予想外にも素直に謝られて、拍子抜けしてしまった。どんな顔をしていたか分からないのが、若干気掛かりだけど。
そんな事よりもと、4階まで上がってくるように急かされる。素直に謝ったのは事を早く進めたいだけだったみたいだ。珍しく口調も嫌味ったらしくなかったのはそういう訳か。
それにしてもこの階段を4階まで上がれとか、ちょっと鬼畜なんじゃないの?
図書館と言うだけあって、室内には幾つもの背の高い本棚が並んでいる。僕は身長がそれ程低くはないけど、平気で隠れてしまう。その本棚が天井ギリギリじゃなくて、大分余裕を持って天井がある。それが4階分。とても階段で行こうとは思わない。
エレベーターかエスカレーターを設置して欲しいと、切に願う。
僕は紅野と顔を見合わせて、二人して深く溜め息を付いた。
急降下したテンションで長い階段を上る。2階までは割とスムーズにいったのだが、そこからは段々と脚が重くなっていき、手摺を使わずにはいられず、4階に到達した時には呼吸が乱れていた。
「疲れた…………」
情けない。まだ高校生なのに、これだけで疲れるなんて。体力が無いとは思っていなかったのに。自分の身体能力を見つめ直す必要があるだろうか。
そんな僕等を見て、小馬鹿にしたように目を細める奈義沙が、どうしようもなく憎たらしく見える。
「遅かったわね」
『小馬鹿にしたように』ではなく、本当に馬鹿にしていた。せめて一言、お疲れ様位言ってくれても良いとおもうのだが。
「紹介するわ。水城よ」
そう言って隣の女性を手で示す。
「始めまして。ここの司書をしています。草眞 水城です」
ニコッと笑って自己紹介をした水城さんに、二人で慌てながら自己紹介を返した。
平凡な感じの印象を受けた。背に垂らした長い髪は黒色だけど、目の色は明るい紫だ。黒縁の眼鏡は理知的であるが、彼女の笑い方のせいか聡明というよりも、おっちょこちょいなイメージがしっくりくる。
悪く言えば地味な、良く言えば純朴な水城さんは、この世界に来てから多分一番まともだろうな。
「貴方達は私が千歳を連れて来る間、ここで勉強をしていて頂戴。読みたいジャンルの本とか、場所とかは水城に聞きなさい。何でも答えてくれるから」
了解と言うと、奈義沙からスペースを空けるように指示が出たので、僕と紅野は数歩後ろに下がった。
奈義沙が大きく腕を振って、次にガンっと床を蹴り付ける。するとあっという間に大きい円形のテーブルと、椅子が2脚現れた。
ケーキを出してもらった時もそうだったけど、何も無い所からいきなり物が出てくるのには驚く。
目を白黒させている間に、奈義沙はまたもや指をパチンと鳴らした。今度はテーブルの中央に、美味しそうな生チョコが出てきて、思わず奈義沙を仰視する。
「何の文句が有るのよ」
僕の視線に気付いた奈義沙が振り返り、不満気な顔で喧嘩腰で言ってきた。何で批判されるの前提なんだ。
「別に。ありがとうございます」
目を見開いて驚く奈義沙。人がお礼を言っただけなのに。そんなに僕が素直なのが意外なのか?逆にこっちがムッとしてしまう。
打って変わって、フンッと鼻で嗤って顔を背ける。
「後は水城と本から教えてもらって」
奈義沙はそれだけ言うと、軽く手を上げて一直線に入って来た扉へと向かっていった。それを水城が走って追いかけて行ってしまう。何か忘れ物でもあったのだろうか。
紅野が近くにあった適当な本を手に取る。どんなもんかと、紅野の持つ本を横から覗き込んだ。
「呉葉。これ…………」
「読めないね」
読めない………………。全く読めない。見たこともない文字に目が点になった。全くもって意味の解らない文字がズラズラと並ぶ。
英語やイタリア語なんかにも使われるローマ字、またの名をラテン・アルファベットと言う文字とも違う。ロシア語のキリル文字とも違うし、アラビア文字とも違そうだ。
「文字っていうより、記号っぽいね」
こんなの、水城さんがいなければ読めるような品物じゃない。
「ああ!!面倒くさい!」
盛大な騒音と供に扉が開き、入って来たのは奈義沙だ。つかつかと寄って来ると、自分の手の甲に文字と円を描いていく。きっと、所謂魔方陣っていうやつ。最後に爪で両の掌から血を出すと、甲に描いた魔方陣の上にそれを垂らした。
「頭。出しなさい」
「「嫌だ!」」
半分は反射で、半分は本気で。二人して大声で拒否した。
絶対に嫌だよ。ポタポタと血が垂れているのに頭出せって、どうせ録な事にならない。
「あ"?」
ガンを飛ばされて、怯んだ。そうこうしている間に、頭を鷲掴みにされる。
「何すんだよ!」
「ちょっと!」
「黙っていなさい。読めるようになるから、大人しくしてて」
これが黙っていられるか!髪に血なんか付いたらどうしてくれる!?自分の血ならまだしも。紅野のでも嫌ではあるけど、嫌悪の対象にはならない。と思う。多分。でも奈義沙のは別だ。奈義沙だからという訳じゃなくて、他人のは無理だ。許容出来ない。許容範囲外!
紅野が頭を振って、激しく抵抗する。そうすると、より一層強い力で押さえ付けられていた。
少しすると魔方陣が光出す。それと同時に奈義沙は、聴こえない程に小さな声でブツブツと呟く。これが呪文らしい。
「はい。終わり」
特に痛くも苦しくもなかった。何だか拍子抜けしてしまう。気になる頭部を触る。
「…………紅野。僕の頭に血付いてない?」
「大丈夫、付いてないよ。俺は?」
「大丈夫」
不思議なことに血は付着していなかった。結構大量に出血していたと思うのだが。これも魔法の何かだろうか。
「さ、その本が読めると思うから。次こそじゃあね」
奈義沙は本当にそれだけだったようで、さっさと退出していく。入れ換わりに水城さんが入って来た。
数冊の本を手に、4階まで上がってくる。僕達のために上がってきてくれるのが、何だか凄く申し訳ない。
「これなんか、最初は読みやすいと思います」
言って差し出されたのは分厚い本。中身をペラペラと捲ってみると、どうやら童話集のようだ。今更童話なんて、と思うが確かに最初は知っている話の方が良いかもしれない。
一言お礼を言って、椅子に座って1ページ目を開く。
出鱈目に見えていた文字が、普通に読める。何が書いてあるのかも解るし、文の意味もちゃんと理解出来る。
子供の時以来に読んだ童話は、予想外にも面白くてどんどん読み進めていく。僕達が知っている物語と同じものもあれば、アレンジが加わったものもあった。多少違うだけなのに、全然違った内容に感じるのが尚面白い。
読み初めてから既に2時間も経過した頃。
「ハーイ。皆元気?!」
一瞬でこの場の空気をぶち壊すようなノリの声と供に、一人の女性が入って来た。その後ろからは疲れた顔の奈義沙が入って来る。
「…………」
「…………」
紅野と顔を見合わせて、無言で頷き合う。思わずそちらを見てしまったが、全て見なかった事にしよう。何も聞かなかった。見なかった。
「何なの?あの態度は」
っていう声なんて聴こえない。もし聴こえたとすれば幻聴だ。
僕と紅野の態度で察したのか、利用しただけか、奈義沙も合わせたように何も言わずにシカトしている。つまり無視。聴こえもしなければ見えもしない。僕等二人よりも、よっぽど酷い対応だと思う。
「ちょっと!」
”耳元”で聴こえた大声に、息が止まるかと思った。いや、止まった。一瞬だけど。
「うわっ!」
さっきまでは下にいたのに、いつの間に4階まで。どうやって来たんだ。
驚きの声を、なんとか言い止まった僕とは違い、紅野は馬鹿正直に声を発してしまった。何て事をしてくれたんだ。これで見えない。聞こえない。知らない。が出来なくなってしまったではないか。どうしてくれんだ紅野君よ。
「どうやって!?って顔だね。フフッ。想像してご覧なさいな。私はこの通り魔術を使える」
言って鳥のように腕を広げた。
確かに彼女の言う通り、手には杖。頭にはとんがり帽子を被っている。如何にも漫画やゲームで登場するような、魔術師らしい格好だ。
「つまり、1階ずつバッタみたいに跳ねて登ってきたと?」
「何故そうなる!?」
心外だと、大袈裟に頭を振る。数時間前に見た光景を元に、存分に学習能力を発揮した結果の答えである僕の結論を、嘆かわしいとばかりな態度をとる彼女にムッとした。その芝居掛かった仕草を、紅野と一緒に胡乱に見つめ、再び完全無視をしようと頷く。
「飛んで来たんだよ!浮遊魔術!」
杖を振りながら言うものだから危ない。その杖、お年寄りが使う杖より長さがあるんだぞ。松葉杖位あるんじゃないか?それに見たところ、材質は木のようだし当たったら痛いだろう。
「…………反応薄いなぁ」
つまらなそうに言われても、どうしようもない。読み終えた本を棚に戻し、次に読む本を探す。
「名乗り上げがまだだったね。私は千歳。貭波 千歳。別に1000才って訳じゃ無いからね」
真っ直ぐに切り揃えられた髪が揺れる。帽子の下から見えた目と口は、綺麗な三日月を描く。
二人目の魔術師は酷く妖しげな人だった。
作中に出した本に使われている文字ですが、デーベ文字、デーベ語というものを使用している設定です。魔女が使っていたそうです。
どうでも良いことでしたね………………。