入学式の日、浜名湖。
長いさすが静岡長い。
大井川、天竜川、浜名湖。そして名古屋までもうすぐ。
この辺り、79レは山がちな区間を進む。
東京から200km。直前の金谷運転停車もEF57の点検のため。
この先は若干線形が悪く、曲率のきついカーブや勾配などがあって走行抵抗も大きい。
速度規制もあって、79レは細かく加速減速を繰り返すことになる。
東海道本線は全線でもっとも速度規制が厳しいところでも95km/hが確保され、一番速いところでは最高許容速度200km/h。
その特別甲種幹線規格の東海道本線も、元をたどればルート選定は明治で、当時の技術水準で敷設できる線形を当時の車両の速度で往来することが前提になっている。それを現代の建築技術と車両構造でどうにか現在要求される水準までに引き上げている、といったところが実体だろう。
牽引機のEF57は出力1600kw、他の列車寮がディーゼル車であっても4800kwの編成出力を持つ中で1/3程度の出力でしかない。規制区間で速度を落としてしまうともう一度速度を取り戻すのに時間がかかってしまう。
もし、EF57が本線運行化改造を受けないオリジナルの直流直巻きモーターで、オリジナルの単位スイッチ式の抵抗制御だったならば、今の東海道を、それも日中帯に運行などしたらそれはかなり迷惑だろう。
古典的な抵抗制御方式のままであったならばこのあたりの速度規制区間、いわゆるノコギリ運転でしのぐことになるだろう。力行して規制速度まで加速、ノッチは戻せないので惰行、カーブか勾配かいずれにせよ走行抵抗で減速してしまい、また力行で加速。それでは、平均速度、乗り心地、消費電力、いずれも限界があるし、無理に他の寮と同じスジに乗ろうとすれば、主抵抗器を使い続けるような運転になり、主電動機や主抵抗器の焼損だって考えられる。
EF57の車籍復活で行われた本線運行化改造は、基本的にオリジナルを尊び、主抵抗器や高速度遮断機などももともとの部品をなるべく使っているが、手を入れられた部分の一つがモーターの整流子と界磁まわりだ。界磁に電流添加出来るようにタップがつけられ、補償巻き線で進角をある程度コントロールしてブラシの負担を軽減する。取り付けられたタップと界磁制御回路は、コロ軸受け化された台車と合わさって許容最高速度を大きく向上させるとともに、中高速域で定速巡行を行えるようになっていた。
この辺りでは海岸線を離れ、内陸に切り込んでいる東海道本線。
登坂路、換算45.5両が動輪にのし掛かり、ピニオンを一段挟んだMT38を抑え込む。回転数が落ち、電機子は逆起電力を失い、架線から電流が流れ込む。
架線電圧1,500V、襲いかかるように電流が電機子になだれ込む。対抗するように機関士が界磁に電流を流し込み、界磁磁束で電機子を支える。
「お前はまだ行けるだろ。」もちろんだとも。彼はその様に造られている。
モーターが発する前に進むチカラは、回転が速まるほど高まる逆起電力と、それを乗り越え流れ込む電流、その二つを乗じた電力だ。
MT38の電機子巻き線が磁力線を横切り発生する電磁誘導、強まった磁束に鼓舞されるように逆起電力が鎌首をもたげ、端子電圧に拮抗する。そのせめぎ合いのなかで整流子が時期を合わせて繰り返し反転させる電子の流れ、しかし電機子の巻き線は急に断じられる電流に反発した。供給電流が断たれた刹那、電機子巻き線は自ら発していた磁力を減じ、その減じた磁力をもって電流を復活させようとする。すでにブラシは整流子を通り過ぎ、そのあいだには空隙が出来てなお、巻き線は流れていた電流を絶やさんと自縛していた磁束を電流へと電磁誘導、電流デマンドな起電力は際限なく電圧を高め、整流子とブラシの空隙に集中していく。パシッと小さく火花が散る。誘導電流は空隙を絶縁破壊し、電機子巻き線に磁束として蓄えられていた電力が空中に溶けていった。
機関士は補償巻き線の電流を微調整、整流子の進角に磁界を合わせていく。
窒素雰囲気下でCuAg系金属を粉末冶金したブラシもアーク放電を受けるとすり減る。正確にはアーク放電で瞬間的に加熱された空気が一瞬で膨張するために、つまり極小規模な爆発によって、微小量づつ爆破されていく。
ブラシは消耗品だし、整流子も作業が面倒だけれど、交換出来ない部品ではない。
だからといってアーク放電を出しっ放しにしてよいかというと、それは違う。
ここはは油脂で潤滑している駆動部分のど真ん中。
粉末冶金で作られるブラシは、それ自体に固体潤滑剤としてのグラファイト粉体を含んでいて、整流子部分に潤滑油脂はない。けれどアーク放電を放置した結果、加熱され溶かされた金属液滴が潤滑油脂に飛び込んだらどうなるか?あるいはブレーキシリンダーまでの、圧を漏らさないための比較的柔らかい金属で出来た管類に付着して穴を開けたらどうだ?
もちろんフラッシュオーバも怖い。でも、フラッシュオーバそれ自体は、当該電動機を切り離せばいい。運転継続ができなくなるような自体にはならない。フラッシュオーバの結果、あるいはアーク放電の結果としての火災、それを避けなければならない。
主電動機電流計を頼りに、列車の速度と架線電圧に界磁の磁束密度を寄り添わせていく。
界磁電流を多くすれば少なく、減らせば多くなる流れ込む電機子電流、定格いっぱいを維持し続ける。
理想導体、つまりビスマスかイットリウムあたりのレアアースのコイルを液ヘリにでも漬け込んだのならば話は簡単だけれど、MT38は通常の銅系合金を使った平凡な巻き線。そこには無視できない電気抵抗があって、電動機の電気抵抗とはつまり電流に比例して電力を横取りして熱にする。こいつは別に対処できない問題ではない。けれど必ず直面する対処しなければならない問題だ。
界磁磁束の積極的なコントロールで定格いっぱいの電流を流し続けた電機子の巻き線は、自身の抵抗成分の自乗に比例する電力を熱として発する。発生する熱は抵抗成分に消費される電力に比例し、抵抗成分は自身の抵抗力の自乗と、流れ込む電流比例して電力を消費する。
熱を溜めてよいことはない。抵抗とはつまり、金属原子の中の電子の動き易さの逆数のことで、熱とは原子がいかに揺れているかということ。だから温度が高く原子が揺れまくっている電線の中は、原子が動いていない低温の電線のなかよりも、電子が動き難い。故に、金属は温度があがれは電気抵抗を増す。
増した電気抵抗はその自乗で発生する熱に関与することは既に述べた通りであるから、結局のところ、ある温度を越えれば熱と電気抵抗はワルツを踊るように互いを引き上げ、電機子巻き線が溶断する。
ただ溶けて切れるだけじゃない、そこには電流断のために作られた整流子に特化した特殊金属すらをも破砕するアーク放電の、それもとびきり大きなヤツが待ち構えている。
考えてもみるがいいEF57のMT38は定格電流360A。一般家庭で実に12軒分の電流。
くるまの最高峰のF1ですら換算すれば500kwちょっと。レースカー3台の全力ですら、戦前設計のEF57でもしれっと引きずって進んでしまう。機関車とはそういうものだ。
その上でもう一度想像してほしい。
それだけの電力が集中している電動機の電機子巻き線が、いきなり溶断するということが、そこにどれだけの事象を発生させるのか。
旧式の温度センサが温度の上昇を検出してブロアーの継電器を跳ね上げた。
定格いっぱいに電流を流しているMT38、冷却は空冷式、というと聞こえはいいがつまりは暑いのでウチワで扇ぐ、あれだ。
春先のまだ涼しい外気は火照った電動機をクールダウンさせる。
抵抗制御だけであれば電動機よりも先に主抵抗器が限界を迎えるが、現在の東海道筋では速度域が高く主抵抗はパススルーされ、主に界磁電流の増減だけで速度制御が出来る。段階的な制御しか出来ない抵抗制御より、連続制御の出来る界磁制御のほうが乗り心地、平均速度、消費電力の点でも優位である。
機関車は定格電流いっぱいに電力をトルクに変え、12両の車両を坂の上へと引っぱりあげた。
そして登坂を終えての下り勾配、平坦線路用のEF57には電気的な減速装置は持っていない。回生ブレーキも使えない。
しかし今日の牽引はさくら寮、現代的にリファインされた台車のブレーキ容量は大きく、その気ならば箱根の80パーミルも問題なく下りきってしまうだろう。
79レは自弁で列車全体のブレーキを使い、規制速度で坂を下りていく。
79レは下り勾配のによる速度規制区間を抜け、緩くなった下り降坂区間。加速のため界磁添加電流を減らしていく。
「おっと、」
フワッと架線電圧が上がった。後続の4レみよし寮あたりが速度規制区間に近づいたのか、だとすれば4レ牽引機のEH87が減速時の回生電流を架線に押し込んできている。
EF57の引く79レは規制区間を抜けている。せっかくの回生電流は加速に回してしまえ。
電機子電流が定格を越えないよう、添加電流ハンドルを手前に戻して界磁添加電流を増やす。
逆起電力を稼ぎ、トルクに上乗せしていく。
ここからは少しづつ高度を落としながら浜名湖に向かい、EF57の現在の許容営業最高速度まで加速していく。
機関車は許される限り界磁電流を減らし、架線電圧にあらがわずに電流を受け入れる。
静態保存される頃は異常振動の悪癖が乗務員に嫌われたこの機関車も、台枠と台車枠の今時な複合材料での作り直しでだいぶおとなしくなった。それでも大きな動輪からの振動はともすれば乗員に不安を感じさせるものであって、長尺のオイルダンバーで台車わくを台わくをつなぎ、振動と折り合いをつけている。
加速中、後方に荷重が移動しているうちはEF57の長大な台車も従輪によく導かれて振動は少ない。
もちろん車両前部の荷重が抜ける事のふわふわ感は敏感な人は感じるのかもしれないが、それはオイルダンバは良く押さえてくれていて、空転や蛇行などは起きていない。そもそも良く整備された路盤と線路は無理な揺れの吸収を機関車に強いたりしなかった。
「磐田駅通過。制限、無し。」通過線を減速せずに通過していく。
高速貨物が多く通る東海道本線は、多くの駅で客扱いホームや貨物扱いホームが待避線になるように新設され、分岐器を本線側で通過出来る通過線が整備された。
ポーンとATS-iがアテンションを鳴らす。ゆるい注意喚起音は、それが緊急ではなくインフォメーションだから。
「3km先の天竜川鉄橋、強風で速度規制95km/h、か。」ATS-iは緊急性の高い事象は運転士への情報表示とともに、基本対応を自動実施してしまう。そのため、事前に事象の発生可能性を運転士にインフォメーションを入れ続ける。
出発前点呼や無線での一斉伝達、あれらは情報の鮮度が低い、あるいは自分に関連する事象であるかを判断する時間が勿体ない。そんなのはATS-iが、オンデマンドに、選別された情報を伝えればいいのだ。駅停車都度のタイミングで運転士の
情報を更新すればよいのだ。
「情報確認。」OGDを指さし、確認をしてノッチをオフに。
この先の鉄橋の手前、上り勾配で減速する分を考えれば、ここはブレーキを掛けるまでもなく惰行するだけでよいだろう。
「速度制限95km/h」
「さすがに整備直後は軽いな…」おもったより列車は減速せず、単弁でちょいちょいと速度を抑えて行く。
天竜川の長い鉄橋を規制速度いっぱいで渡りきる。
「本線進行、」閉塞信号機の進行許可を指差し確認。再びポーンとアテンション音をATS-iが発する
「速度規制解除確認。」ATS-iは速度制限が解除された事をオングラスディスプレイに表示する。
「列車種別A4、速度規制145km/h。」OGDの列車種別を再確認し、制限速度表示器の145km/hを読み上げた小柄な機関士は、速度規制機関が終わった事を指差し確認で再度確認していく。
「天竜駅通過。制限、無し。」
力行を待ち、高速専用貨物の横、長い通過線を惰行のまま通過する。
「さーて、がんばってくれよ、モーターちゃん。」
そしてモーターを並列段に構えてから、界磁電流を下げていく。
架線から電流を飲み込み始めるEF57、じわりじわりと速度を上げて行くさくら寮
141、143km/h「舞阪通過、制限無し。」144km/h、「ノッチオフ。」
本線運用化改造されていてもEF57の運用最高速度は145km/h、
「弁天島通過、制限無し。」
制限いっぱいで浜名湖の上を渡って行く。
橋の上から見える海側の高い高架、国道のバイパスを路面電車が渡って行く。
バイパスも今は自動車専用指定はなく、海岸部の交通運輸のライトレールが走っていた。
この先は大きな速度規制区間もない、名古屋まではもうすぐだ。
「コンテナだけじゃ空き足らず、電動機萌えとかどんだけフェチだよオマエ」といわれたら、我々の業界ではむしろご褒美です。