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その6

千鶴は医者を驚かせるほど奇跡的に意識を取り戻し、数日後には集中治療室を出て一般病棟へ移る事が出来た。事故の被害者ということで、マスコミや興味本位の野次馬から守るため、千鶴の部屋は個室で、病室のドアには全然違う名前の札が下がっている。

千鶴の両親は、仕事がある父親の忠男だけが長野へ帰り、母親の千代子は千鶴につきそって東京にいた。番匠は毎日千鶴のところへ見舞いに寄り、仕事が休みの日は千代子にかわって千鶴に付き添っている。

「それにしても、よかったよ。命に別状なくて。ひどい事故だったのに」

番匠がなにげなく口にすると、ベッドでまだ動けない千鶴が天井をみあげたまま言った。

「本当に、事故だったのかなあ」

「え?」

「あの車の運転手、顔はよく覚えてないんだけど、表情を覚えてるんだ。・・・人を轢いちゃう、まずい!って顔じゃなくて、普通の表情だったんだ」

「普通?」

「うん、むしろ冷静な感じ。・・・ひょっとしたら、キヨシのお母さん、狙ったんじゃないかなあ・・・なんて」

真剣なまなざしで天井をにらみつける。

「まさか、だけど、あの新薬がらみでキヨシのお母さんに騒がれるとまずいから口をふさいだ・・・とか」

「いや、まさか」

番匠も一笑に伏そうとしたが、考えられないことじゃない。正直、慄然とした。もし、そうだとしたら、その一件に手出しをしたら千鶴だって命を狙われるかもしれないのだ。

顔色を変えて黙ってしまった番匠を見て、千鶴はにかっと笑った。

「な~んてね、退屈だからいろんなこと考えちゃうんだよ」

それから、何かを思い出したように「あ」といって、

「ねえ、拓海、事故のときあたしが持ってたバッグは?」

「ああ、ここにあるよ」

病室のロッカーから大き目のバッグを持ってくる。こすれて傷だらけになったバッグは、千鶴が事故にあったとき、偶然頭の下になり、千鶴の頭を守ってくれた命の恩人(?)だ。

千鶴に言われて中を探すと、1冊の青いノートがでてきた。

「これ、キヨシとおばさんの形見になっちゃった」

「え?太田さんのなの?」

「うん、店を出る前に貸してもらったんだけど。・・・中、見てもいいよ」

番匠は言われてノートを開き、ぱらぱらとめくる。

「この、⑭って?」

「キヨシのお母さんもわからないって言ってたよ」

「ふうん・・・」

番匠はノートを閉じる。開けてあった窓から吹く風が少し強くなり、薄いレースのカーテンがばさばさと音を立てるので、番匠はそれを閉めた。

「あたしの体、リハビリがんばったら歩けるようになるかも、って言われた」

うしろから小さな声で千鶴が言った。番匠は振り返って千鶴を見て、声をかけようとしたが、なんだか千鶴がとんでもなく小さくなってしまったような気がして、一瞬ためらった。

「つまり、しばらくは歩けないんだよね」

背骨を傷めているので、今はベッドに縛り付けられている千鶴は、上半身がなんともないことは不幸中の幸いだが、足は感覚がない。

「わかっちゃいたけど・・・・ちょっと、ショックだよね」

「千鶴・・・・・」

「両親がね、仕事やめて長野に帰ってこいって。それしか、しょうがないのはわかってるんだけど・・・なんか、くやしいよ」

番匠は千鶴の枕もとの椅子に座った。そっと千鶴の頬に触れる。

千鶴は番匠を見た。事故の直後、生死の境を彷徨っているとき、夢を見た。番匠が「戻って来い」と励ましてくれる夢を。そのおかげで、今ここにいられるような気がする。

夢の中で、たまらなく優しい瞳で「愛してる」と言ってくれた番匠。今も、同じ瞳で自分を見てくれている。

番匠といられる事が本当に嬉しくて幸せだと千鶴は思った。

でも、だからこそ。

「ねえ、もし本当にあれが事故じゃなかったら」

だからこそ、千鶴は心の中の不安が拭い去れない。

「怖いの。もし、本当にキヨシのお母さんが殺されたんだとしたら、って考えたら、たまらなく怖いの。薄情だと自分でも思うよ、でも・・・・怖くてしょうがないんだ。好きな仕事して、拓海がいてくれて、今がすごく幸せだから、怖くて・・・・」

「千鶴」

「なんだか、夜に真っ暗な部屋にひとりでいるみたいに不安なの。もうずっとこのままだったらどうしようって、そんなふうに思えて」

「千鶴…」

番匠は千鶴に覆いかぶさるようにして唇にそっとキスをした。

「心配すんな。あれは事故だ。いまにあの犯人が捕まって、ちゃんと解決するよ。おまえ、考えすぎだよ。地球が回ってる限り、良くても悪くても必ず朝はくるんだよ。第一、お前はひとりじゃないだろ?

早くよくなれ。こんなところで寝てばっかりいるから、突飛なこと考えるんだぜ。」

千鶴は自由になる右手で番匠の頬をなでる。

「たくみぃ・・・・」

「泣くなよ。どうしていいかわかんないじゃないか」

その手を握って、もう一度口づけをする。

甘く、深く。



病院からの帰り道、車を運転しながら番匠はさっきのことを考えていた。

(もしあれが事故じゃなかったら?)

そんな、サスペンスドラマみたいなことが現実に起こるだろうか。

そんなことない、と、頭の中で否定しながら、ではもし本当だったらどうだろうか、と考えてみた。

(大田夫人を事故を装って殺して逃げる。車は盗難車だったし、おそらく指紋とかの証拠も残されていないだろう。)

事件のとき、周りには通行人もたくさんいた。犯人は、車をぶつけるなりすぐに車から飛び降りて走り去ったのが目撃されている。車を捨てて逃げたのは、乗っているほうが目立って足がつきやすいからだろう。通行人は事故が起こったのに驚いて、犯人を引き止める暇はなかった、と証言している。

(・・・やっぱり、計画的なんだろうか)

信号が赤に変わり、番匠はブレーキを踏む。

では、大田夫人が狙われた理由は?こればかりは調べなければわからないが、キングケミカルにはたしかに大きな動機がある。

「だめだだめだ、何もかも憶測の域を出ないし、キングケミカルがやったという仮定の上での推論だ。これじゃ何の意味もない」

信号が青に変わり、アクセルを踏む。

番匠の運転は、必要以上に用心深くなっている。


翌日、番匠は事故の担当刑事と連絡を取った。警察署まで出向き、西川と名乗る壮年の刑事と、東と名乗る若手の刑事と面会したのだ。

「あいかわらず、犯人の足取りはつかめません。申し訳ないです」

若手の東刑事が頭を下げた。ひょろっと背の高い、なんとなく頼りなさそうな印象を受ける、30そこそこくらいの男だ。

「指紋や遺留品も無し、目撃者はいるけどまだ身元は判明してないです。くわしいことはまた追々・・・」

「東さん、千鶴が言うには運転していた男が冷静な表情だったって言うんですよ」

「・・・冷静?」

「はい。・・・すみません、こんなこと言ったら笑われるかも知れませんが、あいつはあの事故は大田夫人を狙ったんじゃないかって考えてるみたいなんです」

東は眉をひそめた。

「穏やかな話じゃないですねえ。根拠をお聞かせ願えますか?」

証拠があるわけじゃないんですが、と前置きをした上で、番匠は大田キヨシに関する一連の話をした。

「俺としては、彼女に安心してもらいたいのが第一です。だから、その件を調べて欲しい、っていうわけじゃないんです。大田夫人がそう疑っていた、トラブルがあったらしいということを念のためお伝えしておくのと、あと、いくつか教えていただけたらと」

番匠はそういって、何点か質問をすると帰っていった。

西川と東は玄関口まできて番匠を見送った。

「おい、東、今の話な、俺から報告しておくから」

「え?あ、はい・・・報告書くらい書きますよ?」

「いいんだ、おまえは関わるな」

言ってから、西川は先に建物に入っていった。

「関わるなって、西川さん!どういう意味ですか」

追いかけてきた東をトイレに引っ張り込んで壁際で胸倉をつかむと、西川は真剣な顔でささやいた。

「おまえは知らなくていい。俺はおまえを買ってるんだ。いい刑事になると思ってるよ。だから、これに関わるな。忘れろ。それ以上聞くんじゃない。いいな!」

西川のあまりの剣幕に、東はもともと細い目を大きく見開いた。西川は手を離し、「すまなかったな」とつぶやいてトイレを出て行った。



千鶴を安心させる材料が欲しくて行った警察署で、番匠はますます疑惑を増やす結果になってしまった。

逃亡した男は、すぐに姿をくらませてしまったが、目撃者の話ではニット帽をかぶり、手袋をしていたのがわかっている。偶然かもしれないが、計画的な臭いがする。

そうやって悶々としながら、昼は会社、夜は病院に顔をだしつつ毎日を過ごしていた番匠のところへ東刑事がやってきたのは1ヶ月ほどたったある日だった。

「お忙しいところをすみません、番匠さん」

会社へ訪ねてきた東は、なんだかひどく肩を落としている。

「今日は西川さんはご一緒じゃないんですか?」

会社の空いている会議室で、番匠はいつも二人一組で行動するはずの刑事がひとりで来たことをちょっとだけいぶかしんでいた。

「はい、実は・・・・・西川は、亡くなりました」

「えっ?!」

突然の話に番匠は驚きを隠せない。

「あのとき番匠さんが話してくださったこと、僕としてはきちんと調査したいと思ってました。けど、それを西川に止められたんです。関わるなって」

「・・・・?」

「どうも様子がおかしかったんですが、自分で調べていたようなんです。そうこうしているうちに、2週間ほど前になりますが、西川が事故で亡くなりました。車を運転していて、海に落ちたんです。死体からアルコールが検出されましてね、飲酒運転でハンドルミスをしたんだろうという話で決着がつきました。でも・・・・その数日後に、僕の自宅宛に西川から手紙が届いたんです。キングケミカルについての調査報告でした。」

「キングケミカルの」

「そうです。それを読んで愕然としました。実は、番匠さんからお話を聞くずいぶん前から、西川はある組織を調べていたようなんです。どうも、その組織とキングケミカルが関係があるんじゃないかと、前々からアタリをつけていたようなんです。

西川は、そりゃあいい酒を飲む人でした。悪酔いしたり、飲みすぎたりは絶対しなかった。その西川さんが、飲酒運転なんてするわけがないんだ!」

どん、と机を叩いて、はっとして手をひっこめる。

「すみません・・・・・」

この東という人は、西川刑事のことをよほど慕っていたんだろう、と番匠は思った。

「東さん、その報告書、見せてもらうことはできませんか?やっぱり極秘資料で警察外には見せられないんでしょうけど・・・」

「いえ、あれは西川が個人的に調べていたことで、警察官としてやっていたわけじゃないんです。だから、守秘義務があるわけじゃありません。・・・・・けど、それでもお見せするわけには行きません」

「どうして?」

「今日は、番匠さん、あなたに警告しに来たんです。報告書を読む限り、キングケミカルはその組織の一端だ。そして、組織自体はとってもヤバい。一個人が関わると、それこそ命の保証は出来ない。だから、あなたも長谷川さんも知らないほうがいい。・・・・あの事故の犯人はおそらく捕まらないでしょう。だから、本当に偶然のひき逃げ事故だったと思って納得しておいたほうがお二人の身のためです。どうか、忘れてください」

「でも、東さん」

「いいですか、絶対に関わってはいけません。あなたのためにも、長谷川さんのためにも。」

そういうと、東はぺこりと頭を下げて出て行った。

あとに残された番匠は、自分のオフィスへ戻りながらぐるぐると考えている。

考えながら会長室のドアを開けた瞬間。

「拓海、何があった?」

真剣な表情で蘇芳が訊いてきた。

「そっか、おまえに隠し事は無理だな」

「そういうことだ」

番匠は東から聞いた話をした。

「組織・・・・大田夫人も西川刑事も、口封じのために殺された、ってことか」

「ちょっと荒唐無稽な気もするけどな」

う~ん、と考え込んでいた蘇芳だったが、あ、と突然顔を上げた。

「でも、そうだとすると、逆に千鶴ちゃんは安全じゃないか?」

「どうして?」

「だって、二人も手を下してる組織が、だぞ、もし千鶴ちゃんがキングケミカルについて何か知ってたり疑ってたりしてると思ってたら、1ヶ月も放っておくはずがないだろ?今もって千鶴ちゃんが無事なのかその証拠だよ」

「そうか・・・・・・そうかもな」

蘇芳は椅子の背もたれにぎしりと体重を預け、難しい顔をした。

「14、か・・・・・何が狙いの組織なんだろう。」

蘇芳と番匠、この二人が東の協力を得て組織を追いだしたのは、このあとすぐだった。



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