その5
そのとき、足音がして、誰かが近づいてきた。だが番匠は顔もあげなかった。
「拓海、千鶴ちゃんは」
蘇芳の声だ、と気づいたが、顔を上げる事が出来ない。
「・・・・今夜が峠だそうだ。助かっても、障害が残るかもしれないって・・・」
息を呑む声がする。やっと顔を上げると、蘇芳と一緒に夏世もいた。
「蘇芳・・・夏世ちゃんも・・・」
蘇芳はすっと眼鏡をはずし、目を細めて集中治療室の窓から中の様子をみている。しばらく黙ってそうしていたが、そのうち眼鏡をかけなおし、番匠を振り返った。
「背骨が損傷してる。肋骨も、それから足もだ。内臓は・・・よかった、ちゃんと全部治療してある。頭は・・・・無事みたいだな。すごい事故だったみたいなのに、ラッキーだ」
「・・・蘇芳?どこかで聞いたのか?」
「いや、今見た」
「・・・・・・?」
蘇芳は穏やかに笑っているが、夏世が不安そうな顔で蘇芳のそばへ行く。
「蘇芳・・・」
「いいんだよ、拓海の役に立ちたいからな」
それから、思い切った様子で口を開いた。
「拓海、僕はもうひとつだけおまえに隠し事してたんだ。信じるか信じないかはおまえの自由だけど・・・」
「?」
「僕は、人の考えてる事がわかる。それから、今みたいに、見えないものを見る事が出来る。」
「・・・なんだそれ、超能力ってやつか?ばかにすんなよ、そんなのにつきあっていられる精神状態じゃないんだ」
「だから、信じるかどうかはおまえ次第だって言っただろ?ただ、もしも信じてくれるなら、千鶴ちゃんを助ける手助けが出来るかもしれない」
「・・・・・・どういうことだ?」
「いま、千鶴ちゃんの心は眠っている。っていうか、事故の恐怖ですくんで閉じ込められてる状態だ。このままだと・・・彼女自身が、生きることを放棄してしまう。そうなると、治るものも治らなくなるぞ。・・・だから、拓海、おまえが千鶴ちゃんを呼び戻せ」
「どうやって」
「だから、僕がそれを中継する。拓海の心と、千鶴ちゃんの心をつなぐんだ」
「・・・そんなことが、できるのか」
「夏世、手伝って」
「うん」
「?」
蘇芳と夏世は番匠の横に並んで座った。番匠と夏世の間に座った蘇芳が、両腕を上げて二人の肩に手を置く。
とたんに、何が起こったかわからないが、番匠にも千鶴の心が伝わってきた。
(本当だ・・・本当に、蘇芳の言ったとおりだ)
千鶴の心は奥底にいて、事故の瞬間の映像を何度も繰り返し見ている感じだった。恐怖に囚われ、そこから動けないでいるのが見える。
「千鶴!」
番匠は声をかけた。
「千鶴!俺だ、拓海だよ」
それでもまだ千鶴はこちらに気がつかない。
「千鶴、戻ってこいよ・・・千鶴がいないと、俺、だめなんだ。もう、千鶴のいない毎日なんて考えられない。戻ってきて、そばにいてくれよ」
千鶴の心がぴくりと反応する。
「千鶴のご両親も心配してる。千鶴の実家のある長野からかけつけてきたそうだ。あ、俺、おつきあいしてますって親父さんに挨拶しちまったからな」
「・・・・た・・く」
千鶴が更に反応をかえす。
番匠はここぞとばかりによびかけた。
「千鶴!いますぐ戻ってこないと、おまえの恥ずかしいいろいろをご両親に全部しゃべっちまうぞ!いいのか!」
「なあんですってえ?!」
千鶴はがばっと跳ね起きた。目の前に番匠がいる。
「拓海・・・」
「千鶴、戻って来い。絶対だぞ。さもないと、俺は悲嘆にくれて酒の飲みすぎで身を持ち崩して、最後はホームレスになって不良高校生にホームレス狩りにあって終わってやるからな」
「なにそれ」
番匠はにやっと笑った。それから、とんでもなく優しい目で、言った。
「千鶴・・・愛してる」
「拓海・・・・」
「たぶん、もう大丈夫だ」
はっと気がつくと、集中治療室の前のベンチに3人で座っていた。
「千鶴」
番匠は立ち上がって集中治療室の中を覗く。丁度、スタッフが計器の数値をチェックしているようだ。医者がなにやらうなずいて看護士に話しかけ、それからその看護士が外へ出てきた。
「長谷川さんのお身内の方ですか?」
「・・・はい」
「長谷川さん、血圧や脳波が安定してきました。もう、大丈夫ですよ」
番匠が驚きの表情をして、それが満面の笑みに変わっていった。
「あ、ありがとうございます!!」
看護士はまた集中治療室へ戻っていき、番匠はすぐに蘇芳と夏世を振り返った。二人とも、疲れた顔をしている。
「蘇芳・・・ありがとう」
「はは、中継するのはさすがにちょっと骨が折れるな。夏世にも手伝ってもらったよ。」
「・・・夏世ちゃんも、そうなのか?」
「うん。夏世は、他人の能力をパワーアップさせる能力を持ってるんだ。おかげでなんとか、な。」
「ありがとう」
番匠がいうと、夏世も疲れた顔でにっこり笑った。
「拓海、千鶴ちゃんのご両親に連絡しろよ。喜ぶぞ。僕らはもう帰るから」
「そうか、そうだな。タクシー呼ぶよ」
「いいよ、一平呼ぶから」
「一平?」
一平は蘇芳の義理の弟で、今は高校3年生。大学受験に忙しく、運転免許も持っていないはずなのだが。
蘇芳は近くにあった公衆電話から電話をかけた。
「あ、一平?悪いけど、迎えに来てくれないか。うん、僕と夏世といるよ・・・悪いな。じゃ」
蘇芳が受話器を切った瞬間だった。
「人使い荒いよ、蘇芳」
横に突然人が出現した。
「悪いな、一平」
「い、一平?!」
番匠もよく知っている、蘇芳の弟の一平だ。
「あ・・・・ありゃ?!拓にい?!」
番匠に気がついて、一平は焦っている。
「や、やばいよ蘇芳、拓にいに見られちゃった」
「いいんだよ、今全部話したところだから。もう、拓海に隠し事したくないし」
そういって、蘇芳は番匠に視線をもどした。
「そういうわけだ。こいつも僕たちの同類でね。これで、隠し事は全部だよ。・・・夏世」
夏世が蘇芳と一平に近寄る。
「拓海、もし気味が悪くていやなら配置転換するから言ってくれよな。かまわないから。・・・じゃ、先に帰るよ」
そういうと、3人はふっと消えた。今までもだれもいなかったかのように、そこには番匠しかいなくって、ひたすら静かなだけの場所になった。
番匠はしばらく呆然としていたが、やがて頭をぐしゃぐしゃと掻いて、それから携帯を取り出した。
「あの野郎・・・・あとで一発ぶん殴ってやる。気味悪いだあ?親友をみくびるな、ってんだ」
それから、千鶴の両親に連絡をするために、屋外へのドアを出て行った。
明朝5時にあと2話公開します。これで最後です。