その3
「え、今週の金曜?」
夜、番匠の部屋へ泊まりに来た千鶴が買い込んできた料理をテーブルに広げながら聞き返した。付き合い始めて数カ月、ふたりはお互いのマンションに時々行き来している。
「うん、高校からのくされ縁なんだけどさ、一度会わせろってうるさいんだ」
「で?一緒に飲みに行くわけ?」
「いやか?」
「ううん、んなことないよ。ちょっと照れるけどな~・・・友達に紹介されるって、彼女っぽくていいじゃん」
「彼女っぽいって、千鶴、彼女じゃないの?」
「え、そうだったの?」
「このやろ!」
番匠が千鶴のわき腹をこちょこちょくすぐって、千鶴は悲鳴をあげてソファに転がった。
「やめ、やめ!か、彼女です!彼女ですってば!!」
番匠はくすぐるのをやめ、千鶴はひーひーと笑いが止まらない。
「ひ、ひど・・・お料理、こぼしちゃったらどーすんの」
番匠は笑いながら千鶴が起き上がるのに手を貸す。
「で?金曜日、行くって事でいいんだよな?」
「うん、いいよ。お店は?どっか予約しとこうか?」
「俺がやっとくよ・・・そろそろ、メシ食おうか」
ダイニングテーブルに向かい合わせに座り、ビールで乾杯する。今日は中華の惣菜をいろいろ買い込んできた。春巻、エビチリ、八宝菜などが一杯並ぶ。
「あのさ、最初に話した友達の話なんだけどさ」
焼売をほおばりながら千鶴が話し出した。
「亡くなった友達・・・太田くんっていうんだけど、太田くんのお母さんから電話かかってきたんだよ。で、太田くんの件について雑誌で取り上げてくれないかっていうんだよ」
「えっ」
「会社に問いただしても知らぬ存ぜぬだし、あのうち、母ひとり子ひとりだったから、やりきれないんだろうね。雑誌に載せて調べてほしいみたいなんだ」
「それ、やめたほうがよくないか」
「どうして」
「まず第一に、検死で病死って扱いになったんだろ?それが薬害だったっていう証拠がない。唯一の根拠は太田くん本人の話だけだし、キングケミカルでも『そんな薬は開発してません』ってシラを切っちゃえば終わりだ。太田くんは亡くなっちゃったから、もう一度証言することも無理だよな。そもそも、本当に新薬開発に着手してたとして、太田くんは彼の言によると、試作品を盗んで服薬したわけだろ?彼自身のメンツにも関わる問題じゃないか・・・千鶴の雑誌社にも、たぶん根拠が薄いって言われるんじゃないか?」
「う・・・・・」
そんな風に説明はしたが、番匠の本心は千鶴に危ない橋を渡って欲しくないだけだ。キングケミカルがキナ臭い感じがするだけに、そこに手を出してほしくないのだが、それを説明したら千鶴は突っ走ってしまいそうな気がする。なんとなく、そんな気がする。
そんな番匠の気持ちがわかったのかわからないのか、千鶴はしぶしぶ頷く。
「うん・・・わかったよ。」
わかったとは言ったものの、正直なところ、これが真実ならきちんと解明してやりたい記者魂のようなものもある。
「いーや、わかったって顔してないぞ、千鶴。とにかく、あんまり関わるな」
千鶴はちょっとかちんときた。
「仕事のことで口出すのはルール違反じゃないの?」
「でも、千鶴の場合、多分に私情が入ってるだろ?仕事とそれを混同するのはよくないと思うぞ」
「う…」
その部分を突かれると言い返せない。
言い返せない悔しさと、かちんときた気持ちがもやもやして、どうやら顔にでてしまっていたらしい。
「怒るなよ」
「…」
しばらく部屋に沈黙が流れる。
「…わかった。悔しいけど、拓海の言う通りかもしれない」
千鶴がそういって顔を上げると、番匠はにっと笑顔を見せた。
「よし、じゃこの話はおしまいな。ほら、食おうぜ」
番匠がエビチリのエビを箸でつまみあげ、ほら、と千鶴の口の前に突きだす。千鶴は一瞬躊躇したが、ぱくりとそれを口に入れた。
金曜日。
番匠と千鶴は銀座の駅で待ち合わせをし、予約していた店へ向かった。
夜の数寄屋橋を渡りながら歩く。
「どんな人?」
「真面目だけど気さくなヤツだよ」
会ったらびっくりするだろうな、と、番匠はひそかに楽しみにしている。
「あ、ヤツのほうも彼女連れてくるって」
「へえ、わかった」
千鶴はものすごく緊張しているようで、眉毛が八の字に寄っている。
「緊張すんなって、ただの合コンだとでも思えばいいだろ?」
「んなわけにいかないよ」
「ほら、この眉毛なんとかしろって」
言いながら番匠が千鶴の眉間をデコピンする。
「何すんのー!拓海、ひど!」
千鶴はデコピンされた額を手で押さえて怒っているが、番匠は千鶴の腰に腕を回して大笑いしている。そのまま顔を寄せ、額と額をこつん、とさせる。
と。
「うわ。バカップルだよ」
「こらこら、蘇芳」
声がした。
はっとして振り向いて、千鶴はびっくりした。そこにいたのはあまりに美形のカップル。
男のほうは金髪碧眼の白人男性だ。背も高く、スーツがぴしっと似合っている。女のほうは千鶴よりは年下だろうか、ストレートの黒髪をあごの辺りでぴしっと切りそろえた、スレンダーな美女。
「げ!蘇芳!!」
横で番匠がびびっている。千鶴は顔をひきつらせながらおそるおそる訊いた。
「拓海・・・・ひょっとして」
すると、白人男性の方がにっこり笑って話しかけてきた。
「初めまして、拓海の友人の古川蘇芳です。こっちは僕の連れで、井原夏世っていいます」
「はじめまして~」
「・・・・・・はじめまして・・・・・長谷川千鶴です・・・・・とんだところを・・・・・」
穴があったら入りたい、とはこういうことかと身をもって体感した千鶴だった。
4人の入ったのは、ビールの種類が豊富なダイニングバーだった。店内はレンガが貼られた壁や赤銅色の金属で出来た照明が飾られ、むしろビアホールの雰囲気を醸し出している。店の中、奥まったところが1mほど高くなっており、広い店内が一望のもとに見える。店の中央にはステージがあり、日によってはそこでバンド演奏があるらしいが、あいにく今日はないらしい。
その高台の一角に陣取ると、4人はそれぞれビールを注文した。
「拓海と古川さん、高校からの腐れ縁なんですってね」
千鶴が聞いたとき、丁度ビールが運ばれてきた。4人でグラスを合わせ、乾杯をして飲み始める。
「うん、ず~っと一緒だよなあ」
のんびりと蘇芳が答える。
「いいなあ、親友。就職して離れたら寂しかったりして」
「あれ?言ってなかったっけ。職場も同じなんだ」
「え!!そうなんだ、それってすごい!まさかと思うけど、部署も一緒とか」
「そのまさかだよ」
「そ・・・それは本当に腐れ縁かも。・・・・あれ?拓海、どこの部署だっけ?営業?」
「俺は会長室だよ」
「会長室・・・・え?昴製薬だよね?社長室じゃなくて、会長室?」
雑誌記者のアンテナがぴぴっと立つ。思わず声をひそめて訊く。
「・・・・昴グループ会長って、表に顔ださないよね。拓海はそれ、知ってるわけだ」
「知ってるけど、教えない」
「え~!スクープなのに~!雑誌記者としては垂涎モノだよ~!」
「企業秘密です。取材は広報部を通してください」
言って番匠はすましてピルスナーをあおっている。
「古川さんも、知ってるんですよね?同じ会長室なんでしょ?」
「うん、まあ、そうだね。」
蘇芳はにこやかに笑い、横で夏世が複雑な顔をしている。まさか、目の前に座ってる蘇芳が会長本人だとは言い出せない。
結局、夏世が助け舟を出した。
「千鶴さん、雑誌記者なんですね~。かっこいいなあ!私、もうすぐ就活始まるから、そろそろ業種とか絞らなきゃと思ってるんですよ。マスコミって、どうですか?」
話の矛先が変わり、女性同士で盛り上がり始めた。
「かわいい人じゃないか。このバカップル」
「バカップルいうな。おまえ、人のこと言えないだろ」
「んなことないぞ。」
「そう思ってんのは自分だけだろ」
「・・・・・」
料理が運ばれてくる。ソーセージの盛り合わせやサラダ、つまみ、いろいろ並ぶ。
楽しく談笑していると、だれかの携帯が鳴った。
「あ、あたしだ・・・・ちょっと失礼」
電話を取ったのは千鶴だった。だが、携帯の液晶画面を見て、一瞬固まる。
「・・・・大田、キヨシ?」
番匠がその名前に気がつく。問いかける前に、千鶴が電話の着信ボタンを押しながら席を立って外へ出て行った。
「・・・・・あ!キヨシのお母さんかあ!!」
そんなこえが聞こえた。
ほどなく千鶴は戻ってきた。
「千鶴、今のって、この間言ってた・・・」
「うん、亡くなった友達。大田キヨシっていうんだけど、そのお母さんからだった。キヨシの携帯からかけたんだね」
「そっか・・・・で、何だって?」
「会えないかって」
番匠は眉をひそめた。
「あの話か?首突っ込むなっていっただろ?」
「だからさ、わかったっていったじゃん。ちゃんと話してわかってもらってくるよ」
「ならいいけど・・・・」
二人とも暗い表情になってしまった。はっとして、番匠が話題を変える。
「ああ、悪い悪い。で、なんの話だったっけ?」
そういって軽い雑談に戻っていくが、番匠はどこか不安な気持ちがぬぐい去れなかった。