第八話
ウィルトがカナーヴォン城に逃げ延びてから、数週間が経った。この間に、ウィルトは様々な新しい事実を知った。
まず一つ目、この世に混血がウィルト、トム、ルーワリンだけかと言えば、それは大間違いだということだ。
「この城には全部で五人いるね」トムは言っていた。
「まず僕、君、ルーワリン、それにあと二人。実質戦力になるのは三人だけどね」
「みんなウェールズ人?」
「いや、僕はアイルランドから来たんだ。あとはスコットランドから逃げてきたやつも一人いる」
「祖国でもないのに、どうしてウェールズのために戦うおうとするんだ?」ウィルトは尋ねた。
「ウェールズが落ちたら、アイルランドも危ないからさ。……ここだけの話、アイルランド政府からも極秘でそういう話を受けてる。たぶんアドキンスが根回ししたんだと思う」
「ええっ?」
「このことはルーワリンも知らない。絶対誰にも言うなよ」トムはしっかりと念を押した。
そして二つ目、どうやらトムは、セリーヌ・ダッシュウッドに気があるらしいということだった。
「いつも思うけど、もったいないよなあ」いつものようにセリーヌの前で朝食をとって部屋に戻る途中、トムはぽつりと言った。
「何の話?」
「セリーヌだよ」
「あの子がどうした?」
「だから、もったいないだろ?」トムは怪訝そうに訊ね返す。
「きちんとしてれば、コンスタンティアを食っちまうかもしれないのに」
「……トム、本気で言ってる?」
「君はそう思わないか?」トムは憧れるような目つきをしてみせる。
実のところ、セリーヌがいくら着飾ったとしても、コンスタンティアには遠く及ばないだろうというのがウィルトの感想だった。ただ、並みの女の子よりは可愛くなるだろうなとも思った。だが容姿はともかくとして、やはりウィルトはトムの趣味嗜好を疑わざるを得なかった。
「しかもコンスタンティアほど性格も悪くない……」
「トム、セリーヌに気があるわけじゃないよな?」
「まさか」トムは取り繕うように否定した。
「ただ、どっちを選ぶかと言えば……って感じだな。ウィルトは?」
「僕?」
ウィルトは、他愛もない話題にもかかわらず真剣に考え込む。しかしどう考えても、ウィルトの結論は『どっちも嫌だ』或いは『ややコンスタンティア』だった。そのときふと、ウィルトの頭に三人目の見慣れた女の子の姿が浮かび上がって来る。長い茶髪に、艶のある白い肌、それに大きな黒い瞳――フェリシア。
「おい、そんなに悩むことじゃないだろ?」トムの笑い声で、ウィルトは現実に引き戻された。
「そ、そうだね」
「で、どっちなんだ?」
「うーん……どっちも嫌かなあ」ウィルトは上の空だった。
きっと後ろめたいからだ――ウィルトは思った。僕は約束を破ったから、フェリシアに後ろめたい気持ちがある。だから頭の中に出て来たんだ。決してフェリシアを他の女の子と比べて、可愛いかどうかを品定めしようとしたわけじゃない。ましてや選択肢に含めようなどとは……。
ウィルトは、何とか自分をそう納得させた。
三つ目。どうやらカナーヴォン城の人々――ことほとんどの男たちは、ウィルトに対して好意的ではない。それもそのはず、皆の憧れの的であるコンスタンティアが、ウィルトにすっかり惚れ込んでいたためだ。
コンスタンティアはほとんど部屋から出てこないので、出くわす機会は多くなかった。それでもウィルトを見かけるたびに、たいていトムが一緒であるにもかかわらず、コンスタンティアは熱心に言い寄って来た。たまにウィルトが一人だと、それは一層大胆になった。
「ねえウィルト、どうして自分が世界一幸せな男だってわからないの?」
「……世界一幸せ?」
ウィルトは、コンスタンティアの美貌をできるだけ見ないようにしつつ言った。
「両親を殺され、孤児院で惨めに暮らし、王宮で殺されかけるような男のどこが幸せだって言うんだ?」
「この私に愛されているから!」コンスタンティアはウィルトの前に立ち、行く手を塞ぐ。
「それだけで十分じゃない?」
「悪いけど、友達を悪く言ったり、尊大な態度をとるような女性は、いくら綺麗でも僕の好みじゃない」
ウィルトは言ったが、内心では最高の気分だった――僕はこの世で一番美しい<美女>の子孫に愛されているんだ。
「取り消すわ。トムのこと」
「じゃあ、トムに謝ってくれ」
「嫌よ」コンスタンティアは即座に言った。プライドが許さないのだろう。
「ウィルト、それくらい別に構わないじゃない?」
「それは僕が決めることだ」
「秘宝は取り返さなくてもいいわ。貴方と一緒に居たいだけよ」
「嘘だな。そう言って僕を引き込んで、結局は行かせるに決まってる」
ウィルトはそう言って、コンスタンティの脇を抜けて再び歩き出した。これ以上コンスタンティアの姿を見ていたら、気が変わりかねなかった。もしもそうなったら、トムを裏切ることになる。それだけは絶対に駄目だった。
「強い男と美しい女――貴方と私なら、きっと素晴らしい子供を残せるわ!」コンスタンティアは回廊中に響く声で叫んだ。周囲の人々がぎょっとして二人を振り返った。
「こど――何を言ってるんだ!」ウィルトは真っ赤になって怒鳴り返す。
「それ以前の問題だ。僕は、君と付き合う気は一切無い……もう近づかないでくれ」
「いいえウィルト、私はあきらめないわ」
「……ああそう! じゃあ、どうぞご勝手に」ウィルトは怒りと恥ずかしさのあまり、赤蕪のように頬を赤らめながらその場を立ち去った。
ところがコンスタンティアと別れて五分と経たないうちに、ウィルトはまたも厄介なものに遭遇した。筋骨隆々でいかにも強そうな男が、二人の部下と思しきモヤシ男とともにウィルトの前に突如現れたのだ。
「お前が、噂のウィルト・ウィリアムスだな?」
「そうだけど」言った途端に、ウィルトは後悔した。
男はそれを聞くや否や、鼻息も荒くウィルトに一歩近づく。
「オリバーやトムから聞くところによると、お前は戦闘術の達人だそうだな」
「まさか」
ウィルトは苦笑いを浮かべながら嘘をついた。「そりゃ、きっとガセネタだ」
「さらに聞くところによれば――」男はウィルトを無視して続ける。
「ここに来た翌日から、我らがマドンナ、コンスタンティアをたぶらかし、あろうことか弄んでいるとな?」
「……はあ、僕が? この僕がコンスタンティアをたぶらかしただって?」ウィルトは、目の前の状況も忘れて怒った。
「ふざけるな、たぶらかされたのは僕の方だ! あいつの方が僕を弄んで、そのうえ利用しようとしてるんだ!」
「だまれ、下劣なクソ餓鬼め! 俺が天誅を下してやる!」
男は青筋を立てて怒鳴った。いつのまにやら周りに集まった野次馬たちも、何人かが男に同調してウィルトを罵った。男は上着を脱いでモヤシ男に預け、鍛え上げられた上半身を露わにする。男はウィルトよりもさらに長身で、えも言われぬ強烈な威圧感があった。
「俺は、元ポーイス第二地区治安維持官自衛部隊長だ。相手が悪かったな」
「ちょ……ちょっと待ってくれ」ウィルトは焦って後ずさった。「ここでやる気か?」
「当然だ。それとも、尻尾を巻いて逃げるというのか?」男が嘲った。
「ウィルト・ウィリアムス、勇猛なお前の父親のことも聞いてるぞ。その昔、カーマーゼンに化け物みたいな奴がいる、という噂を耳にしたことがある」
「そう、それだ。僕はその息子なんだ。筋金入りだぜ? だから手を出さないほうが――」
「だが、お前の親父とて、俺は負ける気がしなかったね。俺こそが本当のウェールズ最強の武人だった。お前の親父は、見かけばかりのとんだホラ吹きだったに違いない!」
下らない挑発だとわかりきっていたが、ウィルトはとうとう堪忍袋の緒が切れた。ウィルトはずいと一歩前に進み出て、男を思い切り睨み返した。とたんに野次馬から歓声が上がった。
「覚悟はいいか、小僧?」
「こっちのセリフだよ」
次の瞬間、男は凄まじい唸り声をあげつつ、ウィルトの首根っこめがけて丸太のような腕を突き出した。ウィルトは身体をひねって難なくかわすと、そのまま男の腕をがっしりと掴み、一本背負いに仕留める。野次馬たちが悲鳴を上げて逃げ去った直後、その場所に男の身体が激しく叩きつけられた。
「ぐはっ……!」
男が立ち上がる暇を与えず、ウィルトは素早く男に走り寄り、そのこめかみを思い切り蹴飛ばす。男は一瞬白眼をむいたかと思うと、口をぽかんと開けたまま、気を失って大の字に伸びた。
あまりにもあっけないウィルトの圧勝に、野次馬たちは誰一人として声を発せず、蔑むように男を見下ろすウィルトを凝視していた。それに気付いたウィルトが顔を上げると、取り巻きの人々は一斉にウィルトから離れ、散り散りになって逃げて行った。モヤシ男に至っては、男を助けようともせず、上着を投げ捨てて誰よりも先に走り去ってしまった。 後に残されたウィルトは怒りを抑えきれなかったことを後悔しながら、迷った挙句、男のことは放置してトムの部屋へと一目散に向かった。
そんなこんなはあったものの、ウィルトはカナーヴォン城での暮らしにはだいぶ馴染むことができた。娯楽は特に無く、食事などの時以外はトムといろんな話をしたり、城の中を案内してもらったりした。カナーヴォン城は、はるか昔に建てられた廃城を計画のために改装したもので、元々は戦闘用に特化した堅固な城だった。そのため、火薬庫や武器庫、籠城時の食糧庫などが至る所に設けられていた。トムによれば、人間やエルフには外から感知できないよう、強力な呪文で保護されているとのことだった。
王宮では大変な事態になっているだろうが、少なくともウィルトの周りは平和だった。ウィルトは孤児院の時とは比べ物にならないほどに楽しい生活を送っていた。
また、とある部屋では人々が魔法の訓練を行なっていた。残念ながら訓練は非公開で、ウィルトがその様子を目の当たりにする機会はなかった。
「ウィルト、つい先ほど、アドキンスから君に対して通告があった。王宮の安全が再び確保され次第、参上せよとのことじゃ」
ある日、ルーワリンに呼び出されたウィルトはそう告げられた。
「何故ですか?」
「<不死の壺>で寿命と魔力を交換してもらうためじゃ」
「……言ったはずですよ、僕はそれには応じない」
「アドキンスが言うには」ルーワリンは言いにくそうに顔をしかめる。「君の幼馴染のことを忘れてもらっては困る、ということじゃった」
「なっ……! まだフェリシアのことを?」ウィルトは悔しさのあまり、ところ構わず無性に蹴り飛ばしたくてたまらなくなった。
「わしは強く反対した。そのようなやり方には賛同しかねるとはっきり忠告した。じゃが、アドキンスは意志を曲げなんだ」
「どうして僕まで?」ウィルトは訝った。
「もう魔力を持った混血は三人もいるのに! どうして僕まで無理矢理に、犯罪まがいの手段を使ってまで、協力を要請する必要があるんですか?」
「アドキンスはウェールズの国土保持だけでなく、ブリテン島全土の奪回を狙っておる」ルーワリンは答えた。
「それには三人では足りぬということなのじゃろう」
「奪回? そんなの奪回じゃなくて、侵略じゃないですか。もともとウェールズの領土じゃないんだから」
「あくまでもサクソン人をブリテン島から一掃しない限り、心配の火種は残り続ける。アドキンスはそう考えているのかもしれぬ」
「でも、そんなの――トムはどうなるんですか? 彼はアイルランドから来たのに、ウェールズの侵略に加担させられるなんて!」
「わしもそう思う」ルーワリンは頷いた。
「実を言うとわしは、アドキンスの計画にはもともと反対だったのじゃ」
「えっ?」ルーワリンの意外な言葉に、ウィルトは素っ頓狂な声を上げた。「じゃあ、どうして協力を?」
「何となれば、アドキンスはわしの命の恩人だからじゃ。あやつはわしの逃亡生活に手を貸してくれ、幾度も危機を救ってくれた。それに応えぬわけにはいかんじゃろう?」
「でもそんな感情に流されて、アドキンスが暴走するのを黙認していることが、果たして許されることでしょうか?」
「もちろん、理由は他にもある」ルーワリンは言った。
「わしはあやつの計画を利用して、あることを成し遂げようと志しているのじゃ」
「あること?」
「左様、今はまだ言えぬがのう。時が来れば、話す機会があるかもしれぬが……」
ルーワリンは謎めいた笑みを浮かべながら言った。
「それと、君にも伝えておいたほうが良いじゃろうと思って言うが、近々アドキンスは、パーシー・ラングフォードを極秘尋問するとのことじゃ。王宮での計画の密告に関して――」
「ラングフォードが?」ウィルトは耳を疑った。
「まさか……どうして?」
「ラングフォードは君と同房にいた。君から事情を聴いて、その内容を看守を通じて国王に報告した疑いがあるとのことじゃ」
トムが何か反論する前に、ルーワリンは静かに続ける。
「ウィルト、気持ちはわかるが、状況的にも可能性は完全には否定できぬ。今は状況を見守るしかあるまい。よいな?」
「一度、アングルシーに行ってみないか?」
ウィルトが部屋に戻り、ルーワリンから言われたことを話すと、トムは目を輝かせて提案した。
「現総督に会ったり、街の様子を見て回ったりして、真実を突き止めよう」
「いい考えだ」ウィルトは言った。「けどさ、そんなことしてもいいのかな? きっとルーワリンが許さないと思うけど」
「大丈夫だって! 何せ武術の達人と、八〇〇年分の魔力を持つ混血の名コンビだぜ。何が有ろうと恐るるに足らずだろ?」
「だといいけど……」ウィルトは、どうしても不安を拭い去れなかった。
「そんなに不安なら、セリーヌを連れて行こうか?」
「セリーヌ?」ウィルトはとんでもないと首を振った。「馬鹿言うな。連れて行って何になる?」
「あいつはルーワリンとテレパシーで会話できる」
「テレ――何だって?」
「テレパシーだよ。本当さ、ルーワリン自身も証言してる。理由はどうだか知らないけど、とにかくあいつは出来るんだ」
それもセリーヌの超能力の一つなのだろうか、とウィルトは首をかしげた。全く理解できない。
ウィルトは何とかしてセリーヌと一緒に行くべきでない理由を探したが、どれも個人的なものばかりで、トムを納得させることなど不可能に近かった。「その上、あいつは勘がいい。何かと迷った時の助けになる。何より一緒にいて面白い! だろ?」
ノーと答えてトムの機嫌を損ねるわけにもいかず、ウィルトはあいまいな返事を返す。
「よし、じゃあ決まりだ。メンバーは僕と君とセリーヌ、出発はいつでもいいよ。君が決めてくれ」
出発は三日後の早朝未明と決まった。できるだけ姿を見られないようにするためだ。
セリーヌに声をかけると、ウィルトの願いも虚しく、彼女は二つ返事で了承した。
「なんだか楽しそうだもん」
「……セリーヌ、遊びで行く訳じゃないんだ」ウィルトは呆れ顔で諭した。
「わかってるよ。でもあたし、外に出るなんて久し振りだなあ。青い空、白い雲……」
セリーヌは嬉しそうに呟き、ふわふわとその場で踊り出した。ウィルトは振り回されるセリーヌの腕をよけ、一緒に踊り出しそうなトムを残して先に部屋で準備を始めた。
「ウィルト、その格好はまずいな。目立ち過ぎるし、動きにくい」
出発の前日、トムがウィルトのフロックコートを見て言った。だいぶ薄汚れてしまってはいるが、確かにこの服装では怪しまれかねない。戦いにも不便だ。
「今から変えてやるよ――」
「ちょ、ちょっとストップ」指を鳴らそうとするトムを、ウィルトは慌てて制止した。
「変えるのはだめだ。一張羅だし」
「黒いフロックぐらい、後でまた立派なやつを出してやるから」
「駄目だ」ウィルトは頑なに拒んだ。
「これは駄目だ。誕生日プレゼントでもらったんだ――ええっと、友達から」
「へぇ……プレゼントに正装なんて、変わってるなあ、君の友達」
「僕の方から頼んだんだ。王宮に呼び出されたから。……とにかく、変えるのは勘弁してくれ。新しい服を出してもらえると助かるよ」
ウィルトはフロックを脱いで丁寧に畳むと、トムに出してもらったワイシャツとニッカ―を身に着けた。これで端から見れば、青年労働者にしか見えないだろう。トムも、子供らしい半ズボンにTシャツという格好に着替えた。問題はセリーヌで、当日どのような服装で来るか、全く予想がつかなかった。
「目立たない格好なら、何でもいいって言っておいたよ」トムは言った。
果たして当日未明、眠い目をこすりながらセフィロトの有る石室の前に集合すると、やや遅れて来たセリーヌはいつものベージュのワンピースに、桜色の薄いジャケットを羽織っただけという出で立ちだった。予想に反して割合まともな服装だったので、ウィルトとトムはホッと胸を撫で下ろした。
「お待たせ」
「それじゃ、行こうか」
ウィルトが石室の重い扉を開け、二人がそれに続く。
「目的地は?」
「アングルシー、州都ホーリーヘッドだろ」
「オーケー、みんな言い間違えるなよ……アングルシー、ホーリーヘッド!」
ウィルトは暗いセフィロトの穴に飛び込んだ。そのまま渦潮に吸い込まれるのように回転しながら、ウィルトの身体はアングルシーへ――かつてパーシーが総督を務めた、エルフと人間の争う地へと運ばれていった。