第六話
なかなか推敲する時間がないので、変なところや誤植等指摘していただけたら助かります。。。
辿り着いた洞から出てみると、そこはトーマス=ハーレック宮殿の牢獄によく似た、寒々しい石室の中だった。蝋燭が数本揺らめいているだけで、窓は無く、他に灯かりは一切無い。さらに、樹自体や洞の直径も普通のそれより小さいので、長身のウィルトは這い出るのに苦労した。
微かな明かりを頼りにざっと辺りを見回し、ウィルトは洞のある側の反対の壁に、縦長の四角い切れ込みがあるのを見つける。どうやら出入り口らしく、取っ手らしき出っ張りもある。ウィルトはゆっくりとそこに近づき、嫌な予感を覚えつつも、取っ手に手をかけた。
「名を名乗れ」
瞬間、ウィルトは飛び上がった。信じられないことに――何と、取っ手が口を開いて喋っている。ウィルトは危うく手を噛まれそうになり、素早く引っ込めた。
「名を名乗れ」取っ手が再び、歯をむき出しにして無機質な声で言う。
「ウィルト! ウィルト・ウィリアムス……」
「ウィルト・ウィリアムス」取っ手が繰り返した。
「……指紋及び姓名認証により、クリフォード・アドキンスの手引きを確認。貴殿の入城を許可する」
取っ手はそう言うと口を閉じ、歯を引っ込めておとなしくなった。ウィルトは恐る恐る再び取っ手に手を伸ばし、しっかりと握りしめて左へ捻り、重い石の扉を前に押し開けた。 扉の外は、王宮に比べるとだいぶ古ぼけていて、飾り気のない回廊になっていた。天井が高い割に窓はほとんどなく、陽光が入りにくいので辺りは黄昏時のように薄暗い。その上、ウィルトを除いては誰一人としてその場にはおらず、ウィルトの足音や荒い息遣いだけが鈍く反響している。
「あの……誰かいませんか?」
ウィルトは回廊の中央に進み出て、左右を見渡しながらそっと訊ねる。だが、その声はすぐに洞窟のような回廊の奥へと吸い込まれ、消えていった。もう一度、今度は先ほどより大きな声で叫んでみるも、やはり何の変化もない。ウィルトは迷った挙句、全くの山勘で左手の方へと進みだした。
進んでいくうちに、回廊の途中からは窓が一切なくなり、蝋燭の弱々しいオレンジ色の光だけが唯一の頼りだった。ウィルトは真夜中のような暗闇の中を必死で目を凝らして人影を探したが、どうしても見つからない。
何事もなくただ時間だけが過ぎ去り、諦めかけたその時――ウィルトは背後に何者かの鋭い気配を感じて、勢いよく振り返った。だが、その視線の先にはやはり誰もいない。それでもウィルトは確信した……誰かが近くにいる。それも、どうやら一人ではないらしい。
「誰だ?」ウィルトは試しに呼びかけてみたが、もちろん返事は無い。
ウィルトは油断なく警戒しながらじりじりと後ずさり、壁の方に近づいた。背後をとらせないためだ。だが背中が壁に付く寸前、左右からほぼ同時に不吉な風切り音が聞こえ、ウィルトは本能的に屈んで頭を引っ込めた。直後、頭上で何かが交差し、こすれ合うような奇妙な物音が聞こえる。同時に一本の蝋燭の炎がフッと消し飛び、ウィルトの周りは完全な暗闇に包まれた。
「やったか?」
「まだ声を出すな! はっきりと手応えはなかった……」
ウィルトがじっと音を立てずに耳を澄ましていると、押し殺した二人の声が僅かに聞こえてきた。暗闇のせいで自分の姿は見えていないようだが、同様にウィルトの方からも相手の人数や姿を視認できない。ただ分かったことは、相手がウィルトを傷付け、あるいは殺そうと狙っているということ。さらに少なくとも二人以上はいるということだった。
冗談じゃない、とウィルトは思う。ついさっき王宮から命からがら逃げ延び来たというのに、その逃げ延びた場所でまたこれだ。こんな立て続けに散々な目に遭わされるんだったら、いっそ孤児院で孤独な生活を続けていた方がまだましというものだ――。
「そこに居る侵入者よ」
不意に相手の声が聞こえ、ウィルトはびくりとして態勢を整える。
「名前と身分を言え。抵抗せずにおとなしくしていれば、殺しはしない」
できれば傷付けてもほしくなかったが、相手は複数で、かつ飛び道具らしき武器を持っている。ウィルトの圧倒的不利は否めなかった。
「僕はウィルト・ウィリアムス。……孤児だ」
名乗った直後に、ウィルトは孤児などという身分は存在しないことに気付いた。自分でもアホらしくて、こんな状況だというのに思わず吹き出しそうになるが、辛うじてこらえる。
「はあ、孤児だと?」別の乱暴な声が言う。
「おちょっくってるのか? ……というか、子供?」
「子供だって?」もう一人の声も訝しげに尋ねる。どうやら、相手は二人だけのようだった。
「子供がどうやってここに――?」
「僕は、クリフォード・アドキンスの手引きでここに来た」ウィルトは急いで付け加える。
「アドキンスの手引き? 証拠でもあるのか?」乱暴な声が言う。
「何を言ってる、オリバー。子供がこの城に不法に侵入することなど不可能だ。ということは、このウィルトとかいう子が今こうしてここにいることが、何よりの証拠じゃないか」
もう一人の方は静かに言うと、今度はウィルトに呼びかけた。
「ウィルトとやら、我々は君を信用する。姿を現してくれ」
ウィルトはできるだけ音をたてないように立ち上がると、武器を持たないことを知らせるために両手を上げ、一歩一歩慎重に、声の聞こえた方へと歩き出した。途中で不意にパチンという音がして、頭上の消えたはずの蝋燭が再び燃え上がり、ウィルトは二人の姿をぼんやりと見た。髪の色などは判別できないが、一人はウィルトより背が高く若い男で、もう一人はがっしりとした鬚面の男だった。二人とも引き絞った弓矢をウィルトに向けたまま、様子をうかがっている。
「……驚いたな。本当に子どもじゃないか」
「いや、化けてるだけかもしれないぜ、ナイジェル。俺よりのっぽだ」ずんぐりとした男が笑う。
「オリバー、ちょっと黙ってろ。……君は、アドキンスの手引きでここに来たと言ったね?」ナイジェルと呼ばれた男は、弓矢を持つ手を降ろしながらウィルトに訊いた。
「ああ」
「なるほど、わかった。では話を聞こう。我々に付いて来るんだ」
ナイジェルがくるりと背を向ける。ウィルトはようやく安心して、少し距離を置いたまま、二人の男たちの後に続いた。
「俺たちはこの城の見廻りをやってる、オリバーとナイジェルだ」再び窓のある比較的明るい回廊まで戻ると、ナイジェルは相方とともに自己紹介した。
「先ほどは君を殺しかけた。てっきり侵入者かと……本当にすまない。怪我はないか?」
「大丈夫だけど」ウィルトは、金髪のナイジェルと黒髪のオリバーを交互に見つめる。「どうしてすぐに殺そうとしたの? もしかしたらこの城の人だったかもしれないのに」
「今、このカナーヴォン城に居るのは、俺たちも含めてたった数人だけだからだ」オリバーが言った。
「どうやらトーマス=ハーレック宮殿で一悶着あったらしく、アドキンスや皇太子たちと全く連絡が取れない。それで皆、こっそり様子を見に行っちまったんだ。で、そんな真っ只中に来たのが――」
「アドキンスの手引きで、ここにやって来たという君だった。ちなみにこの城に生えている樹には特別な魔法がかけられていて、特定の人やその人が許可した者以外は、どんなことをしても辿り着くことができないようになってる」ナイジェルが後を引き継ぐ。
「で、いったい王宮で何があったのか、ここで俺たちに話してほしいんだが……」
「おいおい待てよ、ナイジェル」オリバーが言う。「俺たちにじゃなくて、まずはルーワリンにだろ?」
「それはそうだが」ナイジェルは不服そうに渋った。
「俺たちだけじゃ、ルーワリンの部屋までは行けない。魔法使いたちがトーマス=ハーレック宮殿から戻って来ないと――」
「おや、お呼びかな?」
突然、オリバーの背後から朗らかな子供の声がして、三人は思わずのけ反った。
声の主は、緑色の奇妙なつなぎ服を着た、茶髪の小柄な少年だった。たった今戻ってきたらしく、ふとウィルトがセフィロトの樹があった石室の扉を見やると、やはり続々と人が出て来ているところだった。
少年は大きな青色の眼でウィルトをまじまじと観察しながら、怪訝そうに首をかしげた。
「誰、この子? 見ない顔だけど」
「アドキンスの手引きでやって来たそうだ。恐らく、お前が言うところの『新入り』の可能性が高そうだな」ナイジェルは謎めいた答えを返す。
「そんなことよりトム、宮殿はどうだった?」
「いやあ、僕もほかのみんなも、ほとんど見れなかったんじゃないかな。城中を衛兵があちこち走り回ってて、とても見物なんて場合じゃなかったね。おまけにどういうわけか移動の間の扉がぶっ壊れててさ、危うく僕も見つかりそうになったよ」
「……だから行っても無駄だと言ったろうに」
「僕は、みんなが行くって言うから便乗してあげただけさ。要はノリだよノリ。ノリが悪いと嫌われるよ、ナイジェル」
「余計なお世話だ」ナイジェルが気分を悪くしたのを見て少年はケタケタと笑うと、次にまたウィルトに視線を戻し、にこやかに言った。
「やあ、初めまして、新入りさん」
「新入り……?」
「あ、そうか。新入りって言っても最初はわかんないよね」少年は焦れったそうに頭を掻く。
「まあいいや、後で説明するよ。……とりあえず自己紹介しておこうか、僕はトーマス・リンドバーク。ほら、王宮と同じ名前だろ?」
「そ、そうだね。……僕は、ウィルト・ウィリアムス」ウィルトは無難に言った。
「反応が薄いなあ。まあ、別にいいけどね。とにかく僕のことはトムって呼んでよ」
「うん。よろしく、トム」トムは差し出されたウィルトの手を握ってブラブラと握手をした。さらにそのまま手を離さず、パチンと指を鳴らす。
次の瞬間、内臓がせり上がって来そうなフワリという嫌な浮遊感を感じたかと思うと、ウィルトとトムは自分の身体から抜け出し、霧のような姿になっていた。ウィルトが仰天している間もなく、そのまま猛スピードで天井に突進し、そして何もないかのように通過していく。
どんどん昇っていくと、ほどなくして、二人はウィルトの居た孤児院の個室にそっくりな、ほこりっぽくて小さなベッドしかない部屋にたどり着き、停止した。ベッドには一人の痩せ細った老人が毛布にくるまり、、スースーと微かな寝息を立てて眠っている。
「ああもう、参ったなぁ……おい、ルー。ルーってば!」トムが老人の耳元で叫んだ。
「……ん……ト、トムか?」
老人は薄目を開け、アドキンスよりもかなりしわがれた弱々しい声で呟く。
「どうした、トム? わしの眠りを妨げるとは……」
「この頃は四六時中寝てるくせに、よく言うよ。ところでルー、あなたが呑気に鼾かいてる間に緊急事態だ」
「……なに、緊急事態じゃと?」ルーと呼ばれた長い白髪の老人はよろよろと上半身を起こし、トム、そしてウィルトへと視線を走らせる。
「何があったのかね?」
「それは、この子が知ってるはずさ」トムはウィルトの背中を叩いて前に押し出した。「アドキンスがここに来させたらしい。どうやら騒ぎが起こる直前にね」
「騒ぎだと?」
「うん、たぶん。アドキンスたちから危険だと警告が来てから、全く連絡がつかない。様子を見に行ったけど、詳しいことはわからずじまいだ」
「何たることだ……トム、今後皆に、そのような軽率な行動は二度ととるなと伝えてくれ。もちろん君もじゃがな」
老人は言いながら、寝間着のままベッドから下りた。ウィルトの正面に立ち、その深い漆黒の瞳でウィルトの顔をしげしげと見上げる。身長はトムと同じくらいで、手足はやせ細り、肌はしわくちゃ。おまけに寝間着という間抜けな格好だったが、そこには奇妙な風格が漂っていた。
「この人はルーワリンっていうんだ。僕らのボスみたいなものかな」トムが紹介する。「ルー、この子はウォルター・ウィリアムス――」
「ウィルトだよ」
「おっと、ごめん――ウィルト・ウィリアムスっていう名前だ」
「ウィリアムス……」
ルーワリンはそう呟いたかと思うと、カッと目を見開いて言った。
「もしや君は、エドウィン・ウィリアムスの息子か!」
「そうです」ウィルトは答えつつ、ここ数日で立て続けに父の知り合いと出会えたことに驚いていた。
「ウェールズは狭いものじゃな。髪の色、眼の色、口元まで実にお父上にそっくりじゃ……身長だけは今の君の方が高いかもしれぬがのう」
「あなたは、父とどのような関係だったんですか?」
「師弟関係のようなものじゃった」ルーワリンは懐かしそうに答える。
「もちろん、武術のではないぞ。主に知識や経験に関してじゃ。彼の実家は極めて貧しく、学校に行くお金さえもなかった。私はかつて、そうした哀れむべき子供たちの為に無償の青空教室を開いておった。君のお父上、エドウィンはその生徒の一人じゃ。彼は呑み込みが早いとは正直言えなかったが、強い責任感とリーダーシップで、教室の悪戯っ子たちをよく抑えていてくれたものだ」
ここで言葉を切ったルーワリンは急に表情を曇らせ、さらには俯いて涙を流し始めた。
「実に嘆かわしいことじゃ。彼がこんなにも健やかに成長した息子の姿を見ることなく、あの世に逝ってしまったとは……そう、君のお母上も同様じゃ」
ウィルトは慰めようにも相応しい言葉が見つからず、困ったようにトムを振り返る。しかしトムは状況がほとんど理解できていない様子で、きょとんとした表情でウィルトを見つめ返すばかりだった。
「いや、すまんな。君の姿を見ていたら、つい想い出に浸ってしもうた」
「い、いえ……」
「そうだ、君が混血であることも、以前エドウィンから聴いている」ルーワリンが涙をぬぐいながら、再び顔を上げて言った。
「ってことは、やっぱり君も新入りなんだね」
「だから、その新入りって何のこと?」
「はあ? そりゃ混血軍団に決まってるだろ」トムはあっさりと言ったが、ウィルトには相変わらずさっぱりだった。
「アドキンスから聞いてないのか?」
「いや、全然」
「嘘だろ」トムは目を丸くする。「じゃあ、何でアドキンスは君をここに?」
「そうじゃな、それもわからぬ」ルーワリンも言った。
「いったい王宮で何があったのか、話してくれ」
ウィルトは、牢獄でパーシーに話した時と同じように、一つ一つ順序立てて細かく経緯を説明していった。何度かトムが質問したそうな素振りを見せたが、ルーワリンが制し、ウィルトは最後まで途切れずに説明することができた。
ウィルトの長い話が終わると、ルーワリンはほとんど間を置かずに言った。
「では、アドキンスは間もなく、君たちのような姿でここにやって来るというわけじゃな?」
「えっ、どういうことですか?」ウィルトは意外な答えに訝った。
「まあ、見ていればわかる……」
果たして、ルーワリンの予想は見事に当たった。
ものの数分と経たないうちに、アドキンスが煙のような姿をウィルトたちの横に現したのだ。アドキンスはたった数時間しか経っていないにもかかわらず、最後に会った時より大分やつれているように見えたが、目立った外傷は特になさそうだった。
「こんにちは、アドキンス」ルーワリンは微笑みを浮かべながら言った。
「ウィルト、無事に着いたようだな……。ルー、話はもうこの子から聞いたであろう?」
「ああ、たった今聞いた。とんだ災難じゃったのう」
「正直なところ、災難どころではなかった」アドキンスは苦々しげに言った。「計画の全貌が暴露され、あなた方にまで被害が及びかねなかった。現にこうして無事なのは、ひとえに皇太子閣下のお蔭だ」
「皇太子?」ウィルトが意外そうな声を上げる。
「そうだとも、ウィルト。私が禁錮二週間という軽い処罰で済んだのも、計画が明るみに出なかったのもすべてあの方のお蔭だ。あの方が自らの廃嫡・厳罰と引き換えに全ての責任を背負い、我々全員を守ってくださったのだ」
ウィルトは、見るからに冷酷なあの皇太子が、そのような献身的行為をするなどとはまったく想像もつかなかった。むしろ、自分だけが助かるように取り計らうのではないかとさえ思っていた。
「ともあれ計画の発案者でもある閣下を失ったのは、実に大きな痛手だ。私一人でここと王宮を往復するのにはさすがに限界がある。そこでルー、今後この城での指揮はあなたにお願いしたい」
「いやいや、アドキンス」ルーワリンは、とんでもないとばかりに首を何度も横に振る。
「わしはこの通り、このごろいつも体調が優れぬ。もういつ死ぬかもわからん身じゃ」
「これは私からのたっての望みだ。どうか引き受けてはくれぬか?」アドキンスに懇願されると、ルーワリンはあいまいな返事を返して深く溜め息をついた。
「トム、君はできる限りルーをサポートしてくれ、頼む」
「はいはい、了解」トムは適当に流し返事すると、ふと真面目な顔でアドキンスに尋ねた。
「ところでさ、計画のことを国王にチクったのは結局誰なの?」
「わからぬ」
アドキンスは即座にかぶりを振った。
「有り得るとすれば王宮内部の人間だろう。私は重臣たちを信用してはいるが、この状況では謹慎が解け次第、直ちに尋問を行わねばならぬ。あるいは、誰かがうっかりミスをした可能性も否めんが……」アドキンスはここで何かに気付いたかのように急に口をつぐみ、そして早口でまくしたてた。
「いかん、人が来たようだ。私は戻らねばならぬ……ではルー、トム、くれぐれも頼んだぞ。そしてウィルト、君にも幸運を祈っておる」
アドキンスは最後にそう付け加え、やがてスーッと消えていった。アドキンスが消えるのを見届けると、ルーワリンは再び大きく息を吐き出し、ベッドに座り込む。
「……アドキンスは分かっておらんな」
「何が?」トムが訊ねた。
「死にゆくわしのような者をリーダーに据えれば、死後に必ずや大きな混乱が起き、状況はより悪化するじゃろう。アドキンスにはそこまで見えておらん」
「あの人も、そろそろ耄碌して来たってこと?」
「いや、そんなことはない。あやつは確かに今も変わらず賢い。だが生来、何かを優先するがあまり、他のことをおろそかにしてしまう傾向がある。焦りを感じている時などには、特にその傾向が顕著になるのじゃ」
「へぇ、言われてみれば、そうかもね」トムは感心したように頷く。
「パーシー・ラングフォードも同じようなことを言っていました」
ウィルトが言った。牢獄での出来事は、まだ詳しく説明していなかった。
「ラングフォード、聞いたことがあるのう」
「僕の父さんの元部下で、三年前までアングルシー州の総督だった人です。昔はアドキンスと同じ職場で働いていたそうです」ウィルトが答える。
「エルフと共謀して州を乗っ取ろうとした、という反逆罪で捕まっていますが、僕にはどうも冤罪にしか思えなくて……」
「アングルシーっていったら、この城のすぐ近くじゃないか」トムが口を挟む。「でも、そんな事件は聞いたことがないなあ」
「いや、思い出した。わしは確かにその話をアドキンスから聞いた」
ウィルトは一瞬ドキリとしたが、ルーワリンの言葉ですぐに胸を撫で下ろした。
「密告者がいたとのことじゃった。その密告者こそ、アングルシー州現職総督のスコット・マクベインだと聞いておる」
「それだ!」ウィルトは思わず叫んでいた。「やっぱりそうだったんだ。そのマクベインとかいう奴は、ラングフォードを追いやって、自分が総督になるために嘘の密告をしたに違いない!」
「わしもそう思った」ルーワリンが同意したので、ウィルトは一刻も早くその事実をアドキンスに伝え、パーシーを解放してくれと頼みたい衝動に駆られた。
「でも、現段階じゃ解放は無理だろうね」トムが言う。「証拠がないもん」
「だから、密告者のマクベインが総督になってることが何よりの証拠じゃないか!」
「それは証拠じゃなくてあくまで疑惑だろ? 何か臭うとは僕も思うけどさ」
「……それに、アドキンスもアドキンスだ」ウィルトは憤慨した。「どうして、意図が見え見えの密告なんか信じたんだろう……」
「わしは、あれはアピールじゃろうと思う」ルーワリンが言った。
「アピール?」
「うむ。アドキンスがエルフであるということは、宮廷内では周知の事実だったそうじゃ。アドキンスはエルフに対して厳しい態度で臨むことで、一族からの決別をアピールし、宰相就任に弾みをつけたかったのかもしれぬ」
「何だって……!」ウィルトは一度静まっていたアドキンスへの怒りが、またも腹の底から湧き上がってくるのを感じた。
「もっとも、あくまでわしの推測じゃがな」
「……それじゃラングフォードは、アドキンスが権力を握るための肥やしにされたってことですか?」
ウィルトはルーワリンの言葉もほとんど聞かずに言った。
「あいつは密告を利用して宰相にのし上がった……いや、ということはマクベインもグルだ!」
「おいウィルト、そりゃさすがに深読みしすぎだぜ」トムが諫めたが、ウィルトは全く気にも留めない。
「人を食い物にして――道具のように使い捨てにして権力を得たんだ……何て奴らだ」
「というか、ルー、僕この話聞かされたことないんだけど。アドキンスがそんな気に食わない奴だったなんてさ」
「君が訊いてこなかったからじゃよ。……とにかく、当時アドキンスは必死だったのじゃ。エルフに追放され、人間世界で成功しようとしたものの、エルフということだけで目の敵にされ、何度も引き摺り下ろされそうになったことじゃろう。宰相にまで上り詰めれば、そう簡単には誰も手出しはできぬと考えたのも無理からぬことじゃ」
「だからと言って、あいつの行為を許すわけにはいかない!」
「もちろんだとも。だが忘れてはならぬと言いたいだけじゃよ――周りの人間が、あやつをそのような行為に走らせた可能性も少なからずあるということをな」
「まあ、どっちにしろ話は変わるけどさ、ウィルト」トムが言った。
「君がアドキンスの頼みを蹴ったのは間違いだったね」
「どこが? あんな奴の為に協力するなんて、ぞっとする。しかも最後はラングフォードみたいに捨てられるのが目に見えてるよ」
「ということは、君は僕らに協力しないってわけだ?」
「ああ、そうさ!」ウィルトは投げ槍に言った。アドキンスが捕まった以上、フェリシアはもう安全だろうという自信もあった。
「君たちがどうしてアドキンスに加担するのか、僕には不思議でたまらないよ」
「……それは、君が個人的な恨みを持ってるからだろ?」
「違う!」ウィルトの声は部屋中に轟いた。アドキンスだけでなく、目の前のトムやルーワリンに対してもウィルトは腹が立って仕方なかった。
「ウィルト、君の判断が間違っていたとは、わしは思っておらぬ」ルーワリンが静かに言った。
「そもそも正しい、間違っているなどとは我々の決めることではない。今回のような個人的な問題では、正否を決めるのは君自身じゃ」
「個人的な問題じゃないだろ」トムが不満そうに反論する。「魔力を持った混血が一人増えるだけで、計画の成功率は人間が一〇〇人増えた時よりもずっと上がるのに」
「ウィルト、混血のような者があまりにも強力な魔力を得た場合、その者にはどのような変化が現れると思うかね?」
ルーワリンはトムを無視して訊ねる。
「寿命が減るだけじゃないんですか?」
「いや、違う。『罪』を背負うことになるのじゃ」ルーワリンは、トムに気付かれないように憐れみを込めた視線を向けながら言った。
「トムの場合は八〇〇年以上もの寿命を削っておる。それ故に、彼は『罪』を被った――トムは一生、未熟な子供の身体のまま、これ以上はもはや成長しないのじゃ」
「果たしてそれが『罪』なのかどうか、怪しいところだけどね」
トムは気楽そうに言ったが、ウィルトはその瞳が微かに陰っているのを見逃さなかった。ずっと幼い子供の身体のままだったら、身体能力は低いままで、まともな恋愛もできないに違いない。きっと家族も持てないだろう。それがどんなに辛いことなのか、ウィルトにはまだよくわからなかったが、それでも目の前の悲しげなトムがいっそう小さく見えたのは確かだった。
「『罪』は、基本的に数百年単位の寿命を切り取った場合に背負わされることになる。境界線には個人差がある上に、『罪』の中身は全く予想がつかない。人間には縁の無い恐怖じゃよ」
「でも、『罪』を背負うだけの価値はあるね」トムが指を何度も鳴らして、自分の服の色を次々と変えながら言った。「魔力ってのは便利だ。お金なんかよりもよっぽど人生を豊かにしてくれる。そう思わない?」
「わしは思わん」ルーワリンが言った。
「ルー、君って僕を落ち込ませてくれる名人だよ」
「そんなことはこれっぽっちも思っておらん。ウィルトが自分なりに正しい判断を下せるよう、真実を伝えているだけじゃよ。……よいかウィルト、魔力を手に入れる方法は他にもある。その方法で得られる魔力の方がずっと大切で、簡単かつ安全に得ることができる」
「僕はその方法、あんまり良いとは思えないけど」トムが茶々を入れた。
「わしも君と同様、未だに<不死の壺>で魔力を手に入れたことはない。『罪』を背負うことがどんなに恐ろしいことか、わしはこの目で幾度となく見て来たからじゃ」ルーワリンは再び立ち上がり、ウィルトたちに背を向けて窓の外の夕陽を眺めた。
「生きることじゃよ、ウィルト」
「生きること?」
「左様。一秒でも長く、とにかく生き続けることじゃ。さすれば知識と経験という、この上なく強力な魔力を手にすることができる――謙遜に欠ける言い方じゃが、例えばわしのようにな」
「……あの、失礼ですが、おいくつなんですか?」ウィルトは寝間着姿の老人の背中に向かって尋ねた。
「聞いたらきっと腰抜かすぜ」トムが言う。「僕の何十倍っていうくらいさ」
「詳しい年齢は覚えておらんが、数年前に九五〇歳の誕生日を祝ってもらったことは覚えておるのう」
「なっ……九五〇――!?」ウィルトは文字通り仰天した。この国の年齢の二倍近い数字だ。
「ということは、この国の歴史もすべて……」
「うむ。何もかも知っている。故にわしは、名誉なことにウェールズの第一級お尋ね者の極秘リストに載っているそうじゃ」
「えっ、お尋ね者?」
ウィルトとトムは同時に声を上げた。ルーワリンは刹那の沈黙の後、二人に向き直って言う。
「生き続けることの弊害は、老化に伴って注意力が散漫になることかもしれんのう。……この話は忘れるのじゃ。よいな?」
トムが早く戻って誰かに言いたそうにそわそわしているのを、ウィルトは咎めるように睨んだ。
「トム……これは計画の根幹にかかわる重大な失言じゃった。頼むから、今は君とウィルトだけの秘密にしておいてくれぬか? いずれ、全てを話す時が来ると約束しよう」
「はいはい、わかりましたよ」トムはしぶしぶ頷いた。
「さて、それではウィルト、長々と話してもらってすまなかった。君が計画に参加する意思がないのはわかっておるが、当分はここで生活してもらうことになる。よいな?」
「……はい」
ウィルトは、フェリシアのことを思い浮かべ、ちょっと躊躇いながらも頷いた。約束を粉々に破ってしまったので、今頃どんな思いをしているか、そして後になって姿を見せればどんな反応を見せるかを想像すると、ウィルトは胸が痛んだ。
その晩、ウィルトはトムの部屋にもう一つベッドを出してもらい、簡単な夕食を済ませて床に就いた。消灯してすぐに寝息を立て始めるトムとは対照的に、ウィルトはなかなか眠れなかった。昼間の戦闘による興奮もあったのだろうが、何よりルーワリンが言ったさまざまなことが頭にしっかりとこびりつき、気になって仕方がなかった。
まるで昔の自分のようだ、とウィルトは思った。少しでも気になることがあると、そのことばかりが気になって、ほとんど眠れなかったっけ。父さんと母さんがケンカしたとき、フェリシアが病気になった時、絵本に奇妙な記号を見つけた時――。幼いころの記憶に浸っているうちに、ようやくウィルトは睡魔に襲われ、夢の世界へと落ちていった。