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―Tales of D―  作者: snoil
3/13

第二話

『召喚状  ウィルト・ヘンリー・ウィリアムス


 明後日(みょうごにち)正午、貴公にトーマス=ハーレック宮殿への参上を命ずる。

 日時の変更は不可能につき、遅れずに参られよ。

 なお、当文書は誰にも見られぬことのないよう保管し、当日持参すること。またこの令状の内容に関しては一切他言無用とする。


 ウェールズ第二十一代皇太子:アーサー・エッジワース 

 ウェールズ第二十八代宰相:クリフォード・アルフレッド・アドキンス』



 最高級羊皮紙に書かれた無愛想な文書は、たっぷりと余白を残して実質たった四行しかなかった。ウィルトは、ベッドと小さな窓しかないカビ臭い自室で、月明かりを頼りにその文を三回も読み返した。(たち)の悪い悪戯かもしれない、という思いが頭をよぎる。しかし皇太子と宰相の名前の横に押された印判は、いかにもそれらしく見えた。それに万が一本物だった場合、悪戯だと決めつけてこの文に従わなければ、どんな処罰を受けるやもわからない。迷った挙句、ウィルトは召喚状をベッドの下に滑り込ませ、眠りに落ちた。




「あなたの方から家に来るなんて、ずいぶん珍しいじゃない」

 翌日の午前にフェリシアの家を訪ねると、出てきた彼女は怪訝そうに言った。

「とにかく、入って」

「いや、ちょっと言いたいことがあるだけだから……」ウィルトは慌てて言った。

「あのさ、誕生日プレゼントに服をくれるって言ったよな?」

「うん」

「それ、どうせくれるなら」ウィルトは、厚かましいことこの上ないと思いながら言った。「正装か礼服にしてほしいんだ」

「正装か礼服?」フェリシアはますます訝る。

「なんで?」

「駄目ならいいんだ、正装とかって高いし」

「お金の問題じゃないわ」フェリシアは言った。確かに、ブラックストーン家はどちらかと言えば富裕層と呼ばれる階層に属している家だ。

「どうしてそんなものが必要なのかって訊いてるんだけど」

「あの、あれだよ。……育成学校の入学式で着るためさ」

「それ、私服で出席してもいいんだって前に自分で言ってなかった?」

「そ、そうだっけ?」ウィルトはぎこちなく笑った。必死ででっち上げ話を考えていると、思いもよらずフェリシアが助け舟を出してくれた。

「もしかして、周りがみんな正装で来るだろうから、一人だけ私服は気まずいってこと?」

「えっと、そう。まあそんなところだ」

 しどろもどろにそう答えると、フェリシアは気分を害したような表情をした。

「そんなことの為に、正装を買ってほしいってはるばる家まで頼みに来たわけ?」

「いや、その……」

「見上げた心がけね」フェリシアは冷たく言う。

「違う。そんな目的じゃない」

「へえ、そう。じゃあ本当の目的は?」

「えっと」ウィルトは迷った。それはあの文書で他人に話すのを禁じられていたからではなく、余計な心配をかけたくなかったからだった。

「実は……言えないんだ」

「やっぱりね」フェリシアは昨日と同じように鼻を鳴らした。「最初に顔を見たときから、どうせそんなこったろうとは薄々思ってたけど」

 ウィルトは少し感心したように眼を見開いた。

「君――嘘だろ?」

「嘘じゃないわ。もうあなたと何年の付き合いだと思ってるの。そっちこそ、私がどう思ってるのかってことくらい、ちゃんとわかるはずなのにね」フェリシアはますます気分を悪くしたようだった。

「まあ安心して、別にしつこく問いただそうなんて思ってないから。……でも」ここでフェリシアは急に声をひそめ、顔を近づけた。フワリとした甘い香りが、ウィルトの嗅覚をくすぐる。「できれば教えられるところまでは言って。何があったの?」

「呼び出されたんだ」辺りにだれも聞き耳を立てていないのを確認すると、ウィルトもヒソヒソ声で答えた。

「それも、王宮に」

「お、王宮?」フェリシアは叫び声に近い声を上げた。

「……難しいだろうけどさ、フェリシア、頼むから小声で叫んでくれ」

「ごめん――それで、本当なの? どういうこと?」

「召喚状が来たんだよ、つい昨日の夕方にね」

 フェリシアはしばし雷に打たれたかのように呆然としていたが、やがてますます顔を近づけ、疑うような口調で尋ねる。

「あなた、何かやらかしたの?」

「もちろん、違う」ウィルトはきっぱりと否定した。「心当たりが一切無いんだ」

「無意識のうちに、何か法律違反でもしてたんじゃないの? 街中で乱闘したり、市場で本能的に万引きしてたり――」

「あのさあ」ウィルトは呆れ顔で言った。

「君はどうしても僕のせいにしたいみたいだけど、これだけは本当だ――僕はこの数ヶ月、君と孤児院の職員以外とは一切会話もしてないし、道で誰かと肩がぶつかったことすらなかった。あとついでに言っておくけど、僕には夢遊病の()なんてこれっぽっちもないぜ」

「わかったわよ」フェリシアはため息をつく。

「それに第一、乱闘や万引きごときで王宮に呼び出されるもんか」

「そうね、悪かったわ。……でも、とにかく話しは呑み込めた」

 少し気を取り直したように、フェリシアはいつもの話し方に近い口調で言った。

「何はともあれ、正装を一式、プレゼントすればいいのね?」

「ああ。正午には王宮に行かなきゃいけないから、できれば午前中に」

「オーケー。パパとママには、あなたがどうしても正装で入学式に出たいってごねてる、とでも言っておくわ」

 フェリシアは一瞬フッと笑みを浮かべたが、すぐにまた不安げな表情に戻った。

「でもやっぱり、ウィルト、私は王宮には行かないほうがいいと思うな」

「馬鹿言うな」ウィルトはすぐに言い返す。「逆らったら、それこそ酷い目に遭うに決まってる」

「だけど、単なる悪質な悪戯の可能性だってあるでしょ?」

「僕もそう思ったさ。でも、僕みたいなやつにこんな手の込んだ悪戯をしたがる物好きが、いったい世の中に何人いる? そもそも本当に悪戯かどうかを確かめるためにも、僕は行くしかないだろ」

「そうね、確かにそうだけど」フェリシアはそわそわと落ち着きがなかった。

「嫌な予感がするわ。何かとんでもなく悪いことが起こりそう……」

「何だよ、その小説みたいなセリフ」ウィルトは小さく笑ったが、フェリシアは心なしか潤んでいるようなブルーの目でウィルトを見つめる。

「何か罠みたいな……そんなものが待ち受けてるかも。とにかく不安で仕方ないの」

「大丈夫だってば。大袈裟な」ウィルトは困惑した。

 フェリシアはいよいよ本格的に泣き出しそうだった。一瞬ピクリと身動きしたので、ウィルトはフェリシアが抱き着いてくるのかと思ってドキリとした。しかしフェリシアは、何かを必死で念じるかのような眼差しで、じっとウィルトの顔を見つめるだけだった。

「絶対に大丈夫だから。無事に帰るからさ」ウィルトは励ますように言った。

「約束してね」

「もちろん」

 ウィルトははっきりと言った。

 ここでタイミングの良いことに、フェリシアの母が彼女を呼ぶ声が、足音と共にウィルトの耳にも聞こえてきた。

「フェリシア、そこで何してるの? お客さん?」

「ウィルトよ」フェリシアが答える。

「まあ、ウィルトですって。ずいぶん久しぶりじゃない」

 ブラックストーン夫人は、玄関口まで駆け寄ると娘の隣に立ち、愛想良くウィルトに笑いかけた。

「さあさあウィルト、中に入ってお茶でも召し上がっていきなさいな」

「いえ、ブラックストーンさん」ウィルトは礼儀正しく言った。

「ちょうど話も終わったところなので」

「あら、そう」残念ね、とブラックストーン夫人は呟く。

「それじゃ、フェリシア」

「またね、ウィルト」

 二人がお互いにそう言うと、ウィルトは立派なブラックストーン家の屋敷に背を向け、また昨日のように街中をぶらぶらと歩きに戻った。





 また朝が来て、ウィルトはゆっくりとベッドから身を起こした。

 十年前、初めてこの部屋に連れて来られたときには、分不相応に広すぎると感じたものだ。今では、逆に分不相応に狭すぎると感じている自分に気づき、ウィルトは今日、改めてまた一つ歳を重ねたのだと実感する。

  その後ウィルトは慎重に身支度を始めた。髪を整え、倍の時間をかけて歯を磨き、念入りに身体のホコリを払う。

「デートにでも行くのか?」

 出発間近になっても、トイレの鏡の前で頑固な寝癖を撫でつけているウィルトを見て、職員の一人が冷やかしてきた。

「まあ、そんなところです」

「へえ、相手は誰だ?」

「お偉いさんです」ウィルトは答えた。「普通の人じゃお目にかかれないようなね」

「まさか、貴族の()か?」職員は信じられないとばかりにあんぐりとした。ウィルトは苦笑すると、寝癖を直すのをあきらめ、最後にもう一度だけしっかり撫でつけてから建物の出口へ向かった。


「ウィルト、誕生日おめでとう!」

 屋敷から出てくるなり、フェリシアは快活な笑顔とともに丁寧に折り畳まれた黒い服を渡した。一見して昨日のことなど無かったような態度を見せてはいるが、ウィルトにはそれが不安の裏返しであるということがはっきりと感じ取れた。

「うわぁ、フェリシア、ありがとう」

 ウィルトは心からお礼を言って服を受け取り、中に入って着替え始めた。

「意外と似合ってるじゃない」数分後、部屋から出てきた正装を纏った見たウィルトを見て、フェリシアは満足そうに言った。

「そうかな?」

「うん。ずっと良くなった」

 ウィルトは自分の身体を見下ろした。黒いフロックコート(中近世ヨーロッパの正装)は、十代中盤にしては背が高いとはいえ、未だ面影に多少の幼さが残るウィルトにとっては、明らかに不似合いであるように思えてならなかった。だが、先ほどまでのみすぼらしい格好に比べれば、こと清潔感においてはその違いは歴然だった。

「フェリシア、本当にありがとう」

「いいのよ、別に」フェリシアは優しく言った。「無事に戻って来てくれさえすればね」

「だから、約束しただろう。心配するな」

「そうね……それじゃあ、ウィルト」

 ウィルトは壁にかかった振り子時計を見た。正午まであと二〇分程度だ。時間が押していた。

「うん、そろそろ行くよ」

「約束、破らないでね」

「ああ」

「破ったら、一生許さないからね」

「ああ」

「破ったら死ぬまでひっぱたくからね。何発でも」

 わかったわかった、とウィルトは笑った。

「心配は身体に毒だよ、その辺にしときな」ウィルトはポンとフェリシアの頭に片手を乗せて言った。

「戻ったら真っ先にここに来るから。……じゃあ、行って来る」

「行ってらっしゃい」


 ウィルトは街の中心部へ早足で向かった。人混みを避けて、くねくねと曲がる裏道を通り抜けて行く。それでも行き交う人はウィルトの服装を見るたびに物珍しそうな表情を見せたり、クスクスと笑ったりした。ウィルトはできるだけ地面だけを見ながら、最後の方は小走りになってようやく目的地の広場にたどり着いた。

 広場にはクリーム色の幹をした二本の巨木が立っていて、どちらの幹にも直径一六〇センチほどの洞がある。右側の木の前には人々が列をなし、先頭から順に何かつぶやきながら次々と洞の中へ飛び込んでいく。一方左側の木からは、対照的に洞からぞろぞろと人が出て来ていた。ウィルトは右側の方の列の最後尾に並んだ。

 ウィルトは以前、何度かこの木のある場所に来たことがあった。父の出勤を見送るときや、迎えに行くときにも母と一緒に行った記憶がある。しかし実際に自分が木を使うのは初めてだった。

『セフィロトの樹は、魔力を持つ唯一の植物である。故に生命力が強く、植樹後一年で高さ数メートルに達してしまう』と、以前読んだ図鑑に書いてあった気がする。『現存するセフィロトの多くは利用しやすいように品種改良されており、全ての樹の幹には巨大な洞がある。目的地を口にしながらその洞に入れば、その目的地に一番近いセフィロトの洞まで瞬時に移動することが可能である』『ただしうっかり目的地を言い忘れたり、野生のセフィロトの洞に飛び込んでしまった場合、まったく予期せぬ場所や、下手をすれば異世界に飛ばされることもある』と。

 ほどなくしてウィルトの順番がやって来る。ウィルトは大きく深呼吸してから、はきはきと『トーマス=ハーレック宮殿』と言いながら、片足を真っ黒な穴の中へ踏み入れた。

 途端にウィルトの身体は、文字通り穴の奥へと吸い込まれた。全ての光が瞬時に消えうせ、身体は延々とぐるぐる回転する――ウィルトは胃の中身が暴れ回っているのを感じた。

 ものの五秒と経たずに、ウィルトの両足は再び固い地を打った。ほっとしたのもつかの間、次の瞬間、何者かに背中を嫌というほど蹴り飛ばされ、ウィルトは痛みと驚きで叫び声をあげながら宙を舞い、顔をかばって咄嗟に突いた両手から、派手に地面に落下した。

「おい小僧、何考えてやがる? 洞の中で立ち止まりやがって!」

 ウィルトがすぐに立ち上がり、貰ったばかりのフロックコートに付いた土を払っていると、どうやら蹴り飛ばした張本人と思しき禿げ頭の男が喚いた。ウィルトは男に向かって平謝りに頭をペコペコと下げると、周囲からの痛々しい視線を一身に受けるのを感じつつ、宮殿を見ようと顔を上げる。

 その瞬間、ウィルトは背中の痛みも羞恥心もどこかへ吹っ飛んでしまった。

 周りを黄土色の城壁に囲まれ、色とりどりの花や噴水の噴き上がる大庭園を隔ててそびえ立つトーマス=ハーレック宮殿は、息を呑むほどに美しい城だった。純白に塗り尽くされた外装は陽光を眩く反射し、まるでその城だけが、周囲の景色から切り取られているかのような幻想的な光景を醸している。ウィルトはここまでやって来た目的さえも忘れ、しばしの間その壮麗さに圧倒されていた。ハッと我に返った時にようやく貴重な時間を無駄にしてしまったことを悟り、ウィルトは全速力で城の正門まで走った。

「すみません、これ……」ウィルトは門番に召喚状を渡した。門番は召喚状を受け取ると、隈なく調べた挙句、「入ってよろしい」と門を開け始めた。

 門番の一人が前に進み出て、ウィルトを先導し始める。城まで一直線に走る道を歩きながら、ウィルトは巨大な噴水や見たこともない植物、見事な彫刻等をたっぷりと鑑賞した。やがて城の入口まで続く階段の前に着くと、今度は赤いローブを着た召使と思しき小男が現れた。

「ウィルト・ウィリアムス殿ですね?」

「はい」

「遅刻ですよ」小男はそっけなく言った。

「はい……すみません」

「急ぎましょう。こちらです」

 ウィルトは小男に続いて階段を駆け上がり、黒い扉の前に立った。召使が合図すると、そこにいる門番が三人がかりで扉を開ける。小男はウィルトをちらりと振り返ってから、城の中に入った。

 宮殿内の回廊も見事だった。天井には今にも動き出しそうな絵が描かれ、ステンドグラスが陽光を美しく彩っている。しかしそれを堪能する間もなく、ウィルトと召使は何度も角を曲がり、やがて六人もの槍を持った衛兵が構える、銀色の鉄扉の前で立ち止まった。

「ここが王座の間でございます」召使がウィルトを見上げて言った。

「皇太子閣下と、宰相閣下以下重臣の者十名が貴殿をお待ちです。どうぞお入りください」

 召使が指をパチンと鳴らすと、誰も手を触れていないのに、重い鉄扉がゆっくりと開きだした。ウィルトは思わず後ずさり、扉が完全に開くのを待ってから、ようやく前に進み出た。

 王座は床より数段高い所にあり、そこにはウィルトと同い年程度の金髪金眼の少年が、いくつもの宝石が埋め込まれた王冠をかぶって座っている。それが皇太子アーサー・エッジワースだとわかるには時間はかからなかった。少年とはいえ見事に礼服を着こなし、悠然とウィルトを見下ろすその姿には、君主たる者の威厳が十二分に感じられた。王座の右下の質素な肘掛け椅子には、色つき眼鏡をかけた痩せて蒼白な老人が座っている。さらに王座まで続くレッドカーペットを取り囲むように、重臣たちが座っていた。皆、たった今姿を見せた場違いな少年に注目している。

「ウィルト・ヘンリー・ウィリアムス、前へ」

 眼鏡の老人が言った。ウィルトは昨晩、付け焼刃で読んだ本のとおりにレッドカーペットをできるだけまっすぐ歩き、ある程度王座に近づいたところで片膝を突き、(こうべ)を垂れた。

「四分の遅刻だ、ウィリアムス」重臣の一人が、明らかに怒気を含んだ声で言った。ウィルトはただじっと目をつむり、精一杯申し訳なさそうに見える態度を取った。

「謁見に遅刻するなど言語道断! これだから田舎者は……」

「もう良い、フランク」老人がなだめる。

「ウィルトよ、案ずることはない。皇太子閣下は決して、たかが数分の遅刻で腹を立てるような器の小さい御方ではない」老人が優しい口調でそう言ったので、ウィルトは一安心した。

「紹介が遅れたな。私はウェールズ第二十八代宰相、クリフォード・アルフレッド・アドキンス。そしてあの王座にいらっしゃる御方こそ、ウェールズ第二十一代皇太子、アーサー・エッジワース閣下だ。本日は国王ローレンス・エッジワース二十一世陛下の代理としておいでなさった」皇太子はじっとウィルトを見つめたまま、小さく身動きしただけだった。

「……ふむ、では早速本題に入ることとしよう。ウィルトよ、楽にするが良い」アドキンスはそう言って、先ほどの召使いと同じように指を鳴らした。するとどこからともなく現れた木椅子が、背後からウィルトの足をすくって座らせる。

「よろしい」アドキンスは細い眼をさらに細めて、満足そうに言った。

「さてウィルト、今日はなぜここに召喚されたのか、君にはその理由がわかるかね?」

「わかりません」

 ウィルトは正直に即答した。

「それが当然だ。なぜなら、その理由となる出来事が起こったのは、君がこの世に生を受ける以前のことなのだからな」アドキンスは言った。

「君が両親と過ごした時間は、あまりにも短かった。ほぼ同時期に、父エドウィンは勇敢にも戦死し、母カトリーナはいわれのない罪をこうむって死んだ……実に悲劇的で同情を禁じ得ないことだ。故に君は、ご両親が生前どのようなことをしていたのか、知る由もなかろう」

 アドキンスの言い方には、どこか引っかかるような感じがあった。ウィルトは無意識に体を硬くする。

「ところで君は、不思議に思ったことはないかね? 特に母親の死の状況について―辛い記憶を思い出させてしまって申し訳ないが―おかしいと思ったところが少なからずあることだろう?」

「はい」

「犯人がエルフであることはもちろん、極めつけはその動機だ。明らかに不可解で、説得力のないものであったことに異論を挟む者はおるまい。しかし当時の上層部はエルフとの抗争を恐れるがあまり、君にとっては憎んでも憎み足りないであろう母親の仇敵を厳しく処罰するどころか、みすみす無罪放免としてしまった……」

 アドキンスは観察するような鋭い目つきでウィルトの眼を覗き込んだ。

「ここでウィルト、私は君にヒントを与えようと思う。まず一つ目……この国の法律では、エルフと人間との結婚を禁じておる。二つ目……エルフと人間は、基本的に互いを蔑視している」

 ウィルトは急に心臓が高鳴り始めるのを感じた。無論それは期待感からではなく、むしろ恐れからだった。ウィルトはカラカラに乾いた口で言う。

「僕、まだわかりません」

「いや、君にはもうわかっているはずだ」アドキンスは言った。

「母親がなぜ殺されなければならなかったのか、なぜエルフに殺されたのか……」

「わかりません」ウィルトは頑なに言い張った。

「ならば、私が代わりに答えて進ぜよう」アドキンスは、先ほどまでとは打って変わった冷酷な声で言った。

「君の母親、カトリーナ・ウィリアムスは、エルフだ」

 ウィルトは、大声で否定したかった。単なる戯言(たわごと)だと笑い飛ばしたかった。だが、言葉が出てこない。……思えば、母がエルフであったとすれば辻褄が合うことがいくつもある――フェリシアとは比較にならないほど異常なまでに白い肌、普通の人間にはあり得ない濃い紫色の瞳、そして極力外出を避け、やむなく外に出る時は頭からフードをかぶり、顔を隠していた。あれは、正体を隠すためだったのだろうか――。

「君の母親は、推測するに、父親と駆け落ちしたに違いない――あのエルフが、一族の者が人間と結婚するのを認めたとは思えぬ。そして何かの拍子に居場所を突き止められ、人間と交わった罰として殺されてしまったのだろう」

 アドキンスは話し続けたが、ウィルトは半分しか聞いていなかった。

「しかも話はこれだけでは終わらぬ……ウィルトよ、君は母親だけでなく、君自身の正体も知る必要があるのだ」

「僕の正体?」

 この期に及んで、この老いぼれはいったい何を言い出すのだろう、とウィルトは思った。僕は僕だ。それ以下でも以上でもない。それは自分自身が一番わかっている。他人にとやかく言われる筋合いなど無いはずだ――と。

「通常、エルフと人間が交配した場合、その子供は九割以上の―限りなく十割に近い―確率で、純粋なエルフまたは人間として生まれてくる。だが稀に……ごくごく稀だが、例外もないことはない」

 アドキンスは妙にもったいぶった言い方をした。

「その例外とは、一般に混血(メクシタス)と呼ばれる、人間でもエルフでもない生き物だ。……彼らの肉体には人間とエルフ双方の血が流れているとされ、我々人間やエルフの比にならないほどの、極めて長い寿命を持っている。それこそ二〇〇年、三〇〇年などはほんの序の口で、時には一〇〇〇年にも達することすらあると云う」

 アドキンスはここで言葉を切り、そしてウィルトを指差す。

「そしてウィルト・ウィリアムス、今私の目の前にいる君こそが――」

 ウィルトは勢いよく立ちあがった。椅子が大きな音を立てて倒れ、ガンガンと部屋中に反響する。 

「僕が、混血(メクシタス)?」答えは聞くまでもなかった。

「そうか、そうおっしゃりたいんですね?」






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