第十話
結論から言えば、トムの即席セフィロトは完璧だった。三人は見事、ビューマリス城最寄りのセフィロトの洞の中に着地していた。
ビューマリス城は辺りを堀池に囲まれた、暗灰色の石で造られた城だった。左右で見事に均整がとれたその城は、六角形と四角形の城壁を備え、見た目以上に堅牢そうに思えた。正門前には十人近い衛兵が長槍を垂直に立てて構え、門前の通行人を油断なく見据えている。まるで戦争中か何かのようで、ウィルトは違和感を覚えた。まるで、総督の命が狙われていると言わんばかりだ。
「衛兵の数だけで言えば、トーマス・ハーレック宮殿よりも警備が厳重だな」
「ああ。だとすればたぶん、入り込むのは相当無理だな」トムが言った。
「会う予約も入っていないような輩を、ただで城に入れるようなことはまずないだろうね、この様子じゃ」
「いや、パーシー・ラングフォードの名を持ち出せば、入れるかもしれない」
言いつつも、ウィルトにはあまり自信がなかった。
「そうすると、もっと入れてくれなくならないか? 追及を恐れてさ」
「じゃあ、いったいどうすりゃいいんだよ?」短気なウィルトは苛立った。
「あのさあ、無いものは、作るしかないんじゃない?」セリーヌが言った。
「作るって? 無いものって?」
「そうだ! それだよ」トムが頷く。「召喚状をでっち上げちまおう」
「つ、作れるのか? 見本もないのに」
「召喚状の書式なんて、だいたい決まってるもんさ。ちょっと地名と名前を変えればいいだけだろ」
トムはそう言って、ウィルトとセリーヌを残して一度物陰に引っ込み、五分と経たずに高級羊皮紙の巻紙を持って出てきた。ウィルトがそれを広げて見ると、字体から何まで、王宮から送られてきたそれとほとんど遜色無かった。ただし宛名は『トミー・モーガン、ウォーリー・キャメロン、セレーナ・ジョーンズ(もちろんすべて偽名)』になっていて、差出人も『アングルシー州総督 スコット・マクベイン』になっていた。唯一の欠点と言えば、総督の名前の横の印判がでたらめであることだけだ。
「凄いよ、トム。ぜんぜん見分けがつかない」
「魔法って便利だろ? じゃあ、早速行くとするか」
三人は、ウィルトを先頭に衛兵の近くに駆け寄り、偽の召喚状を手渡した。衛兵はおかしな印判には気付かずに三人を門の中へ招き入れ、城門の手前まで案内した。すると王宮と同じように召使が現れ、城の中へと誘う。
城内の廊下は比較的簡素な作りで派手さはなく、至る所に部屋の扉が設けられており、書類などを腕いっぱいに抱えた役人たちが頻繁に出入りしていた。役人たちは場違いな三人と召使には目もくれず、扉から扉へと早足で往復している。
「こちらが執務室でございます」召使は、ひときわ綺麗な装飾の施された扉の前で立ち止まった。
「マクベイン総督は中におられます」
そう言って扉をノックすると、すぐに扉が開き、秘書らしき若い女性が現れる。
「何か?」
「総督閣下に会う予約のある方がいらしております」
「予約ですって?」秘書は訝る。
「総督閣下は、今日はどなたとも会う予定は無いはずだけど」
「いや、この方々なのですが……」
召使も疑念の表情を浮かべつつ、三人を前に押しやる。秘書は子供三人だけなのを見て、ますます首を傾げた。
「私には見覚えがありませんわ。いつ予約を?」
「召喚状を受け取りました」ウィルトは答えた。
「前総督のパーシー・ラングフォード氏のことに関してです」
途端に、秘書の顔からサッと血の気が引く。衝撃の色がありありと見て取れた。
「……ローズ、その方々を中にお通ししろ」
秘書が答える前に、うろたえた男の声が部屋の奥から聞こえた。三人は、弾かれたようにその場から走り去る召使を横目に、秘書に続いて執務室に足を踏み入れる。
執務室の机の向こうには、紺色のローブを身に纏ったスコット・マクベイン総督が腰掛けていた。マクベインは黒く長い髪を後ろで束ね、同じく黒い瞳でウィルトたちをじっと睨みつけている。どちらかといえば東洋系の容姿で、文民というよりは軍人に近いオーラを漂わせている。
「掛けたまえ」
マクベインに勧められ、秘書が引っ張り出した肘掛椅子にそれぞれ腰掛ける。マクベインが目配せすると、秘書はせわしなくお辞儀をして、逃げるように部屋から出て行った。
「君らは何者だ……王宮からの使いではないな?」ドアの閉まる音がした直後、マクベインは矢継ぎ早に質問した。
「どこから来た? 私に何の用だ? どうやってここに入った? なぜ前総督のことを知っている?」
「僕たちは――いえ、僕はパーシー・ラングフォードの知り合いです」ウィルトは答えた。
「彼に濡れ衣を着せたのはあなただと聞いて、ここに来ました」
言い過ぎだ、とトムが脇腹をつついたが、ウィルトは気にせず続ける。
「違いますか?」
「どうやってこの城に入り込んだのだね?」マクベインは、ウィルトを無視して再度尋ねた。
「あれだけの厳重な警備を、いったいどうやって?」
「この三人の誰かが、強力な魔法使いだ。だから召喚状をでっち上げることができた」トムが答えた。
「強力な魔法使いだと? ということは、エルフなのか?」
「エルフではありません。でもとにかく、警備を突破できたのはそのためです」
トムは不敵な笑みを浮かべた。これは方法を暴露すると同時に、相手に脅しを与えることにもなる。案の定、マクベインは見るからに警戒の色を強めた。
「それで、あなたに訊きたいことがあるんですが――」
「ふん、馬鹿馬鹿しい」マクベインは早口で言う。
「何の根拠があって、私を偽証者だと断じているのかね?」
「ラングフォードの証言と、その他の状況証拠から疑っているだけです。断定しているわけじゃない」
「同じようなものだろうが」マクベインは煩わしそうに言った。
「いったいどこの誰からそのような情報を仕入れたのか知らんが、私はその件については一切の覚えがない。他に用がないのなら速やかに帰ってくれ。残念なことに、私は君らのような子どもと違って暇じゃないんでね。アングルシー州は常にエルフと人間のいざこざが絶えない土地なのだよ」
「マクベイン総督、正直に話してください」
ウィルトは意味ありげに眉を吊り上げる。こちらには強力な魔法使いがいるんですよ、という警告だ。こんな手は使いたくはなかったが、パーシーの罪を晴らすためにはやむを得ない。
「あなたは密告によって権力を手にした。でもそのせいで無実の罪を被り、苦しんでいる人がいるんです」
「今すぐに帰ってくれ。私は何も知らない」マクベインは震える声で否定した。
「き、君らが何のことを言っているのか、私には全くもってさっぱりだ」
「じゃあどうして、ラングフォードの名を知っているという理由だけで、どこの馬の骨かも知れないような僕らを部屋に招き入れたんです?」
「そ、それは――何かの間違いだろう」
「総督閣下、正直に言ってくれと頼んだはずですよ」ウィルトが凄む。
「お、脅しのつもりか? いいかね、万が一私に手を出してみろ。仮にも一州の総督だぞ。き、君らもただでは済まん。然るべき厳罰に処されるぞ!」
「ふざけるな。そうされるべきなのは、あなたの方だ!」ウィルトは立ち上がり、声を荒げた。
「一州の総督だって? どんな手段で手に入れた地位だと思ってるんだ! あなたのような人間こそが、ラングフォードに代わって牢で惨めな生活をしているべきだ。あの人が今、あなたのせいでどんな状態で暮らしているか、知っていますか?」
「これ以上、根も葉もないくだらん戯言をグダグダぬかすと、衛兵たちを呼ぶぞ! 直ちに出て行きたまえ。二度と来るんじゃない!」
「あなたはクリフォード・アドキンス宰相とグルだった」ウィルトが静かに言うと、マクベインはハッとして口をつぐんだ。
「あなたは老いぼれエルフに手を貸して、ラングフォードを罠に嵌め、まんまとお互いに権力を手に入れたんだ。違いますか?」
「私は――断じて違う!」マクベインも立ち上がり、負けじと怒鳴った。
「私はきちんと正規の手順を踏んで、ラングフォード前総督の悪しき企みを看破し、暴き、この州をエルフどもの手から救った。その功績を王宮に認められ、新たな総督の地位を引き継いだだけだ」
「……嘘の密告をしたことを認めるんですね?」
「う、嘘ではない! 密告の内容は事実だとも」
「じゃあ、証拠でもあるんですか?」
「しょ、証拠?」マクベインが頓狂な声を上げる。
「もちろんだ。だが……そ、そんなものはとうの昔に失われた。もう三年も前の出来事だぞ? 証拠記録など残っているわけがなかろう。……とにかくだ、私は、そのようなやましいことは絶対にしていない。わかったらとっとと立ち去ってくれ!」
「総督閣下、これが最終通告です」ウィルトは言った。
「全ての質問に、真実を以って答えてください」
「ならば私の方も、君たちに最終通告だ! 本当にいい加減にしないと、十五人の衛兵を呼び寄せてやる」
「恥を知れ!」ウィルトは怒鳴った。
「そんなに地位と権力が大切か? 何の罪もない人を蹴落としてまで! 人として恥ずかしいと思わないのか? 少しでも罪悪感を感じないのか?」
「うるさい、黙れ! さっさと私の目の前から消え失せろ!」
言うが早いか、マクベインは背もたれの背後に一本だけ垂れ下がっている紐を、クイッと引いた。とたんに大きな鐘の音が城中に響き渡る。
「地下牢で仲良く三人で暮らすんだな。同じ房にしてやろう」
「ねえ、ここは逃げた方がいいと思う」
戦う気満々のウィルトとトムに向かって、セリーヌが言った。
「たかが人間の衛兵だぞ。そう簡単にやられるもんか」トムは鼻息も荒く言い返す。
セリーヌがもう一度何か言う前に、扉が壊れんばかりに勢いよく開いて、とうとう衛兵たちが姿を現した。トムは素早く<束縛呪文>を唱えてマクベインを縛り付け、自分たちの方へと引き寄せる。
「ほらほら、総督閣下がどうなっちゃってもいいの?」
「くそっ、卑怯な!」衛兵が悪態をつく。
「セリーヌ、君の直感は信用できる。ずらかることにするよ」
ウィルトは素早く耳打ちし、トムにも逃げるように小声で指示した。トムは不満そうだったが、最後はしぶしぶ従い、縛られたマクベインの手をしっかりと握ったまま、じりじりと衛兵が集う扉の方へと近づき出した。ウィルトとセリーヌもそのあとに続く。衛兵は総督を傷付けまいと長槍をできるだけ引っ込めつつ、徐々に後ずさった。
やがて衛兵たちを完全に執務室の外にまで押し戻すと、三人も素早く部屋から出て、マクベインをその場で突き倒し、出口に向かって一目散に走りだした。役人たちは疾走する三人とそれを追う衛兵たちを唖然とした表情で見つめ、脇に避けておろおろするばかりだった。
「くそっ、先回りされてたか」
城門前に辿り着いたものの、そこには既に六人の衛兵が待ち構え、ウィルトたちを見つけて迫ってきた。トムは最初の何人かを強烈な<衝撃呪文>で吹き飛ばしたが、直後、背後から迫ってきた衛兵の槍がその首筋を掠めた。ところが掠り傷のはずなのに、トムは耳をつんざくような悲鳴を上げる。
「どうしたんだ?」
「守護霊の短剣だ」トムは忌々しそうに舌打ちする。
「人数的にも分が悪いな……こっちへ!」
トムが指差した先にいる衛兵を、ウィルトが殴り倒し、トムはそちらの方へとセリーヌの手を引いて駆け出した。ウィルトも慌てて続く。三人はトムを先頭に役人たちを蹴散らしながら進み、やがて何の変哲もない一つの扉の前で急停止した。
「ここらでいいだろう」トムはそう呟くと、両手を扉の中央にかざす。かざした部分が眩い光を発しながら裂け、黒い空間が現れる。
「例の人工セフィロトだ。だいぶ予定が早まったけど、いったんカナーヴォン城に戻ろう!」
ウィルトは一瞬振り返り、目前に迫る衛兵たちの姿を確認した。迷っている暇はない。三人はセリーヌ、トム、ウィルトの順に次々と穴に飛び込み、騒然とするビューマリス城内から辛うじて脱出に成功した。
穴に吸い込まれたウィルトは、内部で奇妙な違和感を感じていた。いつもよりも回転が激しく、不安定な感じがする。次の瞬間、ウィルトは足からではなく、真っ逆さまの状態で着地していた。
おまけ どうでもいいので飛ばしてもらってもいいです
・十話時点での登場人物の名前の綴り
ウィルト・ヘンリー・ウィリアムス(Wyllt Henry Williams)
トーマス・リンドバーク(Thomas Lindbargh)
セリーヌ・ダッシュウッド(Celine Dashwood)
ルーワリン(Llywelyn)
クリフォード・アルフレッド・アドキンス(Clifford Alfred Adkins)
コンスタンティア(Constatia)
ナイジェル(Nigel)
オリバー(Oliver)
パーシー・ブライアン・ラングフォード(Parcy Brian Langford)
スコット・マクベイン(Scott McBain)
アーサー・エッジワース(Arthur Edgeworth)
ローレンス・エッジワース(Lawrence Edgeworth)
カトリーナ・ウィリアムス(Katrina Williams)
エドウィン・ギルバート・ウィリアムス(Edwin Gilbert Williams)
フェリシア・ケイティ・ブラックストーン(Felicia Katy Blackstone)
アルバート・フィリップス(Albert Philips)
モニカ・フィリップス(Monica Philips)
・固有名詞等
セフィロト(Sephiroth)
エルフ(elf)
メクシタス(mixtus)
ウェールズ(Wales)
サクソン人(Saxons)
トーマス・ハーレック宮殿(Thomas Harlech Palace)
グウィネズ(Gwynedd)
カナーヴォン城(Caernarfon Castle)
アングルシー(Anglesea)
ビューマリス城(Beaumaris Castle)
カーマーゼン(Carmarthen)
ペンブルックシャー(Pembrokeshire)
五人の偉人の物語(The Epic of the 5 Heroes)