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―Tales of D―  作者: snoil
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第九話

 東の空が白み始めたころ、三人が降り立ったホーリーヘッドは、周囲を海に囲まれ、殺風景な牧草地帯が広がる荒涼とした地だった。樹木も、背後にそびえるセフィロト以外、一本もない。とてもアングルシーの都とは思えず、辺りに民家らしきものはほとんどない。いるのは、草の上で眠る牛や羊などの家畜、それにエサを求めて歩く野生の獣たちだけだ。

「州都なのに、家が十軒もないなんて……」ウィルトは絶句した。

「動物の方が、人間より多いんじゃないかな?」とセリーヌ。「ウサギはいないみたいだけど……」

「あの家に行ってみない?」トムが遠くを指差した。その先には、一軒の青い屋根の家がポツンと建っている。

「この牧場の所有者みたいだし」


 三人はまるまる五分以上もかけて広大な牧草地を歩き通し、ようやくその家の前にたどり着いた。こっそり窓から中の様子を伺うと、当然ながら居間には誰もおらず、二階の寝室で眠っているようだった。

 ウィルトたちは早く来すぎてしまったことを後悔しつつ、数十分間もドアの前に立ち尽くして、この家の住人が目覚めるのをじっと待った。

「そういえばさ、僕ら三人が朝いないことに気付かれたら、どうするんだ?」

 ウィルトは待っている間、トムに訊いた。

「カナーヴォン城に何人の人がいると思ってる? たかが三人くらい数日見かけなくたって、誰も気づきやしないさ」

「でも、ルーワリンは? ルーワリンが僕やトムを呼び出そうとしたとき、どう言い訳するつもりだ?」

「言い忘れたけど、ルーには三日間だけ君と一緒に外出する許可を貰ったんだ」トムは答えた。

「三日間で、アングルシー中を回りきれるかな。そのうえ総督に会うだなんて」

「さあな、でもやるしかないだろ。もし、四日目の朝もここで迎えるようなことになったら、その時はその時だ……」


 そして、家畜たちが起き始めるのとほぼ同時に、階段から寝間着で下って来る一人の中年男の姿を、ウィルトは確かに見た。

「おい、起きて来たぞ」

「こんな朝早く、失礼じゃないかなあ」セリーヌが心配そうに言う。

「仕方ないだろ。どうせなら、朝食もいただいていこうぜ」トムは冗談交じりに言った。

「こんなにどでかい牧場を持ってるくらいだ。三人分の朝食を余計に用意することなんか、それこそ朝飯前に違いない」

 ここでタイミング良く、ウィルトとセリーヌの腹が同時に間の抜けた音を鳴らした。

 トムはそれを見て苦笑いを浮かべながら、白い木の扉に近づき、拳でドアを小突いた。ほどなくパタパタという足音が近づいてドアが開き、寝間着姿の男が姿を現す。男は口髭を生やし、頭頂部の髪はなくなりかけていた。

「……こんな朝早くに何の用だ、ガキ共」

 男はかなり面食らった様子で、眠気など一気に吹き飛んでしまったようだった。

「僕たち旅をしてたんですが、食糧もお金も尽きてしまって、困ってたんです」ウィルトが訴える。

「そしたら偶然、この家を見かけて――」

「ほーう、子供三人で旅かい。そりゃ殊勝なこった」

 男はあからさまに皮肉る。その顔は、下らない冗談はやめてさっさと失せろ、と通告していた。

「あたしたち、お腹がすいてるのは本当だもん」

 ここでセリーヌが、ふらふらとおぼつかない足取りで男の前に現れる。

「あたし、ウサギのシチューが食べたいなあ。もう何年も食べてないの」

「ウ、ウサギのシチュー? 何年も食べてない?」

「うん」セリーヌはしょんぼりとした。

「おじさん、あたしたちにシチューを分けてくれないの?」

「い、いや、ちょっと待て――」

「あ、そっか。ここにウサギはいないもんね……。じゃあ他をあたるよ」セリーヌは心底がっかりしたように溜め息をつく。

 たまらず、男が血相を変えて叫んだ。

「おい待て! シチューは無いが、パンならあるぞ。……それでもよければ、食っていけ」

「ええっ、いいんですか?」

 ウィルトは仰天して、トムと顔を見合わせる。どうやら夢見心地のセリーヌの表情で、本当に飢えた旅人たちだと思ってくれたらしい

「ああ。目の前のひもじい子供たちを見捨てるほど、ケチな鬼だと思われたくないからな。さあ、入った入った」

 ウィルトとトムは恐ろしい罪悪感にさいなまれつつ、男に従った。軽快な足取りのセリーヌがその後に続く。屋内は洒落た壁紙で彩られた近代的な作りで、裕福であることは一目瞭然だ。

「おい、お前」男は、ちょうど大欠伸をしながら居間に降りてきた、妻と思しき女性に声をかける。

「おはよう、あなた」

「客だよ。朝食を三人分、増やしてもらえるか?」

「ええ……」女性は深く追及はせず、慌ただしく炊事場の方へと消えていった。

「食事はあと二十分もすれば出来上がるだろう。牧場らしく、パンと牛乳と羊肉だけだがな」

「いえ、恩に着ます」

「それよりも問題なのは」男は、中央の椅子とテーブルを指差す。「椅子が足りん。あいにく二人暮らしなんでね」

「心配には及びませんよ」

 トムはすぐさま答えて、パチンと指を鳴らし、たちまち三つの木椅子を出現させた。

「驚いたな。小僧、魔法使いか」男は目を丸くする。同時に、再び疑念の表情を浮かべた。

「魔法を使えるのに、なんでひもじい思いなんか?」

「魔法とはいえ、万能じゃない。水は出せても食べ物は無理なんです」

 ウィルトがトムの表情から察するに、どうやら本当の事らしかった。

 やがて香ばしい小麦の匂いが漂い始め、四人はおもむろに席に着いた。男はしばし黙って、三人のそれぞれの姿をじっくりと観察してから口を開いた。

「そう言えば、まだ名乗っていなかったな。私はアルバート・フィリップス。この牧場の共同管理人の一人だ」

「僕は、ウィルト・ウィリアムスです」

「トーマス・リンドバーク」

「セリーヌ・ダッシュウッドっていうの。とっても素敵な名前じゃない?」

「ああ、そうだな」アルバートという男は愛想笑いを浮かべて受け流す。

 ここで女性が、朝食が並ぶいくつもの皿を乗せた大盆を持って現れ、アルバートの隣に腰かけた。アルバートより幾分若いように見え、やや肌は褐色で、白髪のほとんどない黒髪を後ろで束ねている。

「こいつは妻のモニカだ」

「皆さんようこそ、はじめまして。そしておはよう」モニカは優しく微笑んだ。「どうぞ遠慮せずに召し上がってくださいな」

 トムが真っ先に巨大なパンを引っ掴む。ウィルトは一瞬、後ろめたさから食べるのを躊躇ったが、空腹には勝てず、トムに続いてパンを手に取った。

「ところで、あなたたちはどこから来たの?」

 一心不乱に貪るウィルトたちを見つめながら、モニカが訊ねる。

「グウィネズからです」ウィルトが答えた。

「あら、ずいぶん近いのね」

「えっと、グウィネズからいろんな州を経由して来たので」

「セフィロトは使わずに?」

「はい……あまり」ウィルトは嘘をつくことで、さらなる罪悪感に苛まれた

「どうして子供だけで旅を?」

 今度はアルバートが訊いた。

「ある人を探しているんです」ここは正直に答えることにした。「スコット・マクベインという人なんですが、最近このアングルシー州で総督をやっていると聞いて」

「総督を?」アルバートは訝る。

「何の用件だ」

「それは……言えません。でもとにかく、会わなければならないんです」ウィルトは早口で言った。

「お前ら、ただの旅人じゃないな? 魔法使いがいる上に、子供だけだし、おまけに総督に秘密の用件があるとくりゃあ――どっかの使者か何かか?」

「実は、そうなんです」

 答えられずにドギマギするウィルトを、トムが援護する。

「これは極秘なんですが、あなたは僕たちの命の恩人なので、話しましょう」トムはそれらしく、深刻そうな表情をして見せる。

「僕らは、アイルランドからの使いなんです。最初は船で直接アングルシーに―アイルランドにはセフィロトの樹が無いので―到着する予定だったんですが、途中で急な嵐に遭って、遠く離れた場所に漂着してしまって」

「何とまあ」アルバートはあんぐりとした。

「アイルランド政府が、アングルシーに何の用だ?」

「それは本当にトップシークレットなので、あなたたちと言えど話すことはできません。でも、僕たちがこうして旅をしているのはそういう訳です」

 うまいぞ、とウィルトは心の中でトムにウインクした。

「それにしても、子供だけだなんて、アイルランド政府も酷いことするのねえ」

「それは心配いりません。ウィルトは武術の名人、僕は魔法使い、セリーヌは――セリーヌは、とても勘がいいので」

「勘がいい?」

「ええ。それで何度も救われたことがあります」

 トムは苦笑いを浮かべる。当のセリーヌは、ラム肉を頬張りながらあさっての方向を見つめ、いつものようにブツブツと独り言を唱えていて、誰の話も全く聞こえていない様子だった。

 

 食事がひと段落し、太陽がすっかり上ってきてからも、三人はフィリップス夫妻と会話を続けた。

 どうやら広大な牧場はアルバートとその息子夫婦、そして二人の仲間と一緒に共同で経営しているらしく、ホーリーヘッドのあるホーリー島の大部分は、彼らの土地になっていた。

「州都なのに、どうしてそんなことに?」

「そんなの名ばかりさ。ずっと前からホーリーヘッドが都だったから、今もそのままにしてあるだけらしい。ホーリー島より、本島のビューマリスやアムルフの方がずっと賑やかだよ。特にビューマリスにいけば、美しい左右対称のビューマリス城がある――そうだ、あの城にこそ、君らが会いたがっているマクベイン総督がいるんだ」

「本当ですか?」

「ああ。外出していれば別だが、基本的には城の中にいるはずだ」

 言いながらアルバートは時計をちらりと見やり、そして顔つきを変えた。

「しまった、もうこんな時間か! 早く仕事に取り掛からないと」

「そうですか。それじゃあ僕らはこれで……」

 三人もおもむろに立ち上がり、身支度を始める。

「朝食をごちそうになった上に、情報まで下さって、どうもありがとうございました」

「礼には及ばん。これからも、せいぜい飢えて野たれ死にしないことだな。もう二度と来るなよ」

「はい……すみません」

「冗談だ、アイルランドの子供たちよ。久々に朝食を楽しめたよ。事情は知らんが、うまくいくように願っている」

 アルバートは心からの笑みを浮かべて言った。

「さあ、家畜たちを起こすとうるさくなる。あのセフィロトを使うと良い。早く行きなさい」

「最初はいけ好かないおっさんだったけどさ、めちゃくちゃ良い人だったな」

 ウィルトはアルバートの家に背を向け、歩きながら二人にそう言った。

「人は見かけと第一印象によらないものよ」とセリーヌ。

「でもさ、最後まであの人たち、僕らのことをアイルランドから来たんだと思い込んでたぜ。ちょっと可哀想だな」

「トム、そもそも君が言い出したことだろ」

「まあね。でも、何もかも正直に説明するよりは面倒じゃないだろ?」トムが言った。

「そうそう、世の中には知らないほうが幸せな事もあるんだよ」

 ウィルトはセリーヌの言葉にドキリとする。皇太子アーサー・エッジワースが王宮で言っていたことと、全く同じだったからだ。

「そんな事は存在しないよ、セリーヌ」ウィルトは、ほとんど反射的に答えた。

「僕たちには全てを知る権利があるんだ。……そう、歴史にしたって何にしたって」

「そうだね。だけど、それでみんなが幸せになるとは限らないよ」セリーヌは鼻歌交じりに言う。

「だから、ルーワリンだってこの国のことを全部知ってるのに、誰にも言おうとしない。なぜならそれがみんなに不幸をもたらすから」

「そんなの、知るまでわからないだろ」ウィルトは不意に足を止め、強い口調で言った。

「ルーワリンも君も、絶対に間違ってる。全員で真実と向き合って、たとえそれが不都合なものだったとしても、共に解決していく方が合理的じゃないか」

「あたし、あんたのことは好きだよ、ウィルト」

 セリーヌがにっこりと笑いながら唐突に言った。ウィルトは一瞬、何を言われたのかもわからず、呆然としてセリーヌの顔を見つめる。同時に、トムの眼つきが変わるのを感じた。

「あたしもあんたの意見に賛成したいな。でも、みんなで解決するってことは、みんなで不幸になるってことと一緒だよ。ルーワリンだって、不都合な真実を自分の中に封じ込めて、きっと誰も不幸にならないように一人で苦しんでるんだよ。それをわかってあげなきゃ、ね?」

 セリーヌにまともに説教されることに違和感はあったが、その一言一言はウィルトの心に重くのしかかった。一人で苦しんでいる――万が一、もし本当にそうだとしたら、僕はアドキンスや皇太子に何てひどい言い方をしてしまったのだろう――。

「ほらウィルト、行くぞ」

 トムの声で、ウィルトは脳内の世界から引き戻される。促すように背中を叩くトムの腕には、心なしか余計に力が加わっているように感じた。

 ほどなくセフィロトの前に辿り着き、三人は『アングルシー、ビューマリス』と言いながら次々と洞に飛び込んだ。


 ビューマリスは、アルバートの言った通り、人が集中する活気のある港町だった。いくつもの家屋が整然と立ち並び、漁船や商船が所狭しと港を埋め尽くし、通りは人でごった返している。

 そんな中で、低い平城(ひらじろ)のビューマリス城を探すのは、三人にとってはかなり骨だった。一番背の高いウィルトが精一杯人だかりの中で背伸びをして、ようやくその美しい城を視界にとらえることができた。

「うわぁ、本当にきれいな左右対称(シンメトリー)だ」ウィルトは思わずつぶやく。

 三人は押し寄せる人波を、はぐれないようにしっかりとお互いの衣服を掴みつつ、何とか掻き分け掻き分け城の方へと向かう。

「ホーリーウッドとは比べ物にならないな」トムが愚痴を漏らした。「人混みは嫌いだよ。家畜の群れの方がまだマシだ」

「愚痴ってる暇があったら、魔法でどうにかできないか?」

 ウィルトは喧騒にかき消されないよう、ほとんど怒鳴るように言った。

「どうしろって? このうるさい市民どもを<衝撃呪文>で吹き飛ばすのか?」

「そりゃ名案だ。わざわざ行くまでもなく、総督の前に引きずり出されるだろうな……ただし縄につながれた状態で」

「そもそも、セフィロトで城の名前を言っておくんだったな。大抵の城の正門前にはセフィロトが植えてあるし」トムは言った。「仕方ない。最後の手段だ」

「最後の手段?」

「ああ」トムは嫌らしい笑みを浮かべる。ウィルトは悪い予感がした。

「ちょっとこっちへ」

 トムは二人の手を引き、人気のない裏路地に連れ込んだ。

「少し危険だけど、まあ大丈夫だろう」

 そう言うと、近くの大きな古いバケツを引っ掴み、片手を突っ込む。するとバケツが中から強い光を発し、そしてすぐに消えた。

「何をする気だ、トム?」

「人工のセフィロトの洞だよ。セフィロトの洞の内部は、樹の持つ強力な魔力によって時空が歪んでるんだ。だから瞬間移動できる。それを、人間が使うのに都合よく、地名を言えばそこに移動できるように特殊な品種改良をしてあるんだ。……まあとにかく、このバケツに僕の魔力を大量に照射して、一時的に洞を作ったってわけ」

 ここでトムは言葉を切り、不気味な表情を浮かべる。

「ただし、きちんと完成してるかどうかは、使ってみなきゃわからない。僕を信じてバケツに飛び込むか。あるいは安全だけどむさくるしい人混みの中を、何時間もかけて移動するか。……もちろん、僕のオススメは前者の方だ」

「もし、きちんと完成してなかったら……?」ウィルトは恐る恐る尋ねた。

「とんでもない場所の樹に飛ばされるか、下手すりゃ異世界に飛ばされて、二度と戻れない。さらにもっと悪くすれば――」

「悪くすれば?」

「バケツの底に頭をぶつける」

ウィルトは笑った。

「異世界?」セリーヌが興味津々に言った。「異世界なんてあるの? 素敵だなあ」

「セリーヌ、異世界ってのは、要するに冥界のことだよ」トムは笑いながら答えた。

「さあ、早く決めないとせっかくの人工セフィロトがただのバケツに戻っちまう。結構体力を使うから、できれば何度も作らせないでほしいんだけど」

「せっかく作ってくれたんだから、あたしはトムを信じるよ」セリーヌは言った。

「良い子だ、セリーヌ。で、ウィルトは?」

「この雰囲気の中で断ったら、僕は大馬鹿野郎だ」ウィルトは仕方なさそうに苦笑いした。

「決まりだな。じゃあ、誰から行く?」

「あたしが行くよ」

「オーケー、幸運を祈る」

 トムが言い終える前に、セリーヌは『ビューマリス城』と唱えながらバケツに頭から飛びこむ。次の瞬間、その姿はバケツの底の黒い空間に吸い込まれ、見えなくなった。

「じゃあ、僕らも行くとするか」






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