自称サバサバ女の『男友達』に、幼なじみを追加してみた
「あのね。助けて欲しいんだけど」
イリーナは幼なじみのアレクセイに、両手を合わせて頼み込んだ。
「何なに。どした?」
アレクセイは、やれやれといった様子で返事をする。
母親同士が親友で、家族ぐるみの付き合いがある。
今日はピクニックに来ていた。
日向に出ると太陽に焼かれるが、木陰に入れば湿度のない爽やかな風を感じることができる。
イリーナに湖まで行こうと誘われたときから、アレクセイは厄介ごとの気配を感じていた。
「友達が『自サバ女』に困らされてて」
「じさばおんな?」
「自分で『あたし、サバサバしてるから』って言う女」
イリーナはアレクセイの反応を見る。
どうやら知らないらしい。
「自分で言うタイプか。ふーん。そんで? せっかくだから、ボートに乗るか?」
アレクセイは、イリーナの返事を待たずに桟橋の方へ向かった。
イリーナも大人しくついていく。
「友達の婚約者にベタベタしておいて、『これくらいで目くじら立てるなんて、心が狭い』とか言うわけ」
思い出しただけで、イリーナは怒りが再燃しているようだ。桟橋を歩く足音に、力が入っている。
アレクセイはボートの縁を押さえながら、「気をつけな」と声をかけた。
イリーナがスカートをふわりと膨らませながら、ボートに座る。
それを見届けてから、アレクセイもボートに乗り込んだ。
「婚約者を差し置いて、ベタベタするわけか。そんなことが許されるのか?」
アレクセイは岸に残ったイリーナの侍女を横目で確認し、うなずいてみせた。
侍女はほっとした顔で、軽く頭を下げる。
貴族の令嬢には自由が少ないが、こうやって見守られているのだ。
イリーナはそれを気にする様子もなく、おしゃべりを続ける。
「そうだよね。男から見ても変だよね?」
イリーナの目がきらりと輝いた。
アレクセイはオールを手に取り、トンと桟橋を突いてボートを動かした。
「その婚約者の男も、自サバ女が纏わり付くのを許しているんだろ?」
アレクセイがオールを一漕ぎすると、すうっと岸が遠くなる。
イリーナは、自分の侍女に軽く手を振った。
こんな企みを知られたら、お小言を言われるか親に密告されかねない。ボートを選んでくれたアレクセイに心の中で感謝した。
「う~ん。そうね。両手に花とか思ってそう」
イリーナは不快だと言うように顔をしかめ、べっと舌を出した。
親友が一目惚れして婚約したドミトリーは、確かに顔がいい。
グレーの瞳に、黒に近い茶髪。鼻筋の通った、いかにも女性受けしそうな顔立ちだ。
「まあ、気持ちはわからないでもないがな」
「リョーシャ!」
「なんだよ。両手に花なんて、男の浪漫だろ」
「そんな男、嫌いだわ」
イリーナが頬を膨らませる。
「まあな。実際にやってしまうのはリスキーだ」
「そうでしょ? それでね――」
イリーナは我が意を得たりとばかりに、目を見開いた。次の瞬間、眩しそう目を細める。
日の光を反射した湖面はキラキラして美しいが、時に人の視界を奪う。
「日傘を持ってくるべきだったな。俺とお前が喧嘩してどうするよ。で? 何をしろって?」
アレクセイはベストを脱いで、イリーナの頭にかぶせた。
イリーナは黙ってそれを受け入れ、ベストの位置をずらして顔に日陰を作る。
「あのね。命令するわけじゃないわよ?」
「はいはい。いつもの『お願い』な」
「そう。それで考えたんだけど――」
誰に聞かれることもない状況だが、イリーナは内緒話をするように身を乗り出す。
アレクセイは耳を寄せながら、岸辺の侍女はやきもきしているだろうとおかしくなった。
九月になり、新年度が始まった。
学園の食堂は、慣れない新入生たちでいつもより混み合っている。
「私も交ぜてもらっていい?」
イリーナはランチトレーを持って、親友のエカテリーナに声をかけた。
四人がけのテーブルには、エカテリーナとその婚約者ドミトリー、それに騎士科の制服を着た女性の三人が座っていた。
「どうぞ」
エカテリーナは微笑んで、イリーナを招いた。
「ありがとう。この時期は席を見つけるのも大変なのよね」
新入生たちが学園生活に慣れてくれば、食堂以外の場所を見つけて人数が減るはずだ。
「え、なんで勝手にっ」
騎士科の女性が抗議の声をあげた。
「エカテリーナと婚約者のランチデートに、あなただって乱入しているじゃない。
もう一人増えたところで、デートが台無しということに変わりはないわ」
イリーナの滅茶苦茶な理屈に、ぷっと誰かが吹き出した。
そちらを見ると、アレクセイが立っている。
「俺も交ぜてもらっていいかな」
「じゃあ、椅子を持ってきて」
イリーナは自分の椅子を横にずらしてスペースを作った。
「君の友達は、なんというか――積極的だね?」
ドミトリーは、図々しいと言いたいところを婉曲に表現した。
「そうかしら。アナスタシアさんも同じような感じよ? イリーナには、わたくしたちのランチの様子を聞いてもらっているの。だから、そういうことをしていいと思ったのかもしれないわね」
エカテリーナは、何を考えているのか読みとれない淑女の笑みを浮かべた。ただ、丸みのある可愛らしい顔立ちなので、迫力はない。
珍しく言い返してきたエカテリーナに、ドミトリーは戸惑った。
何か、いつもと違う……?
「な……! 何か言いつけているわけ?」
アナスタシアが声を荒げた。
「悪口ではないですよ。『こんなことを言われたけれど、それって普通なのかしら』と、相談されただけですから」
イリーナは、争いを好まないエカテリーナの代わりに反論した。
「ああ、女の子って、そういう感じよね。陰でこそこそ、卑怯だわ。
あたしはサバサバしているから、そういうの気持ち悪いって思っちゃうけど。
ちゃんと『一緒に食べていいか』って訊いたし、あなただって『喜んで』と応じたでしょ」
アナスタシアはエカテリーナに責任を転嫁した。
「人前で言えばいいってものでもないと思いますけどね」
椅子を調達してきたアレクセイが、割って入った。
「話を戻すと、すでに婚約者のランチデートじゃなくなっているんだから、もう一人二人増えても構わないだろ」
ドミトリーは何も言わずに、黒パンを千切っている。
婚約者のエカテリーナを庇うでも、男友達のアナスタシアの味方になるでもなく、まるで他人事のようだ。
「ダサ眼鏡か。お呼びじゃないわね」
アナスタシアがボソッとつぶやいた。
「え、何か言った?」
イリーナの声が低くなった。
――アレクセイは眼鏡をかけている。まさか、それを侮辱したの?
イリーナは今まで以上にアナスタシアのことが嫌いになった。
作戦など投げ捨てて、この場でアナスタシアと喧嘩してもいいとさえ思った。
「君が、男友達が多くて有名なアナスタシアさんだよね。俺も友達に入れてほしいな」
イリーナの苛立ちを知ってか知らずか、アレクセイは作戦を続行している。
自分で仕掛けたことだけれど、イリーナの胸にもやもやが広がった。
「え?」
アナスタシアは、アレクセイの言葉に引っかかりを覚えたようだ。片方の眉を上げた。
「男友達が多い」という言い方に、悪意を感じる。
「ああ、いいんじゃないかしら? アナスタシアさんは男友達がたくさんいるらしいから、今さら一人増えたって構わないでしょ」
イリーナが怒りのあまり言えなくなった台詞を、エカテリーナが代わって言い放った。
常に微笑みをたたえて、淑やかに振る舞っていたエカテリーナ。
彼女の静かな怒りを察知して、ドミトリーはスープをすくっていた手を止めた。
「いや……。でも、それは厳選して……」
突然雰囲気が変わったエカテリーナに、アナスタシアは上手く対応できていない。
婚約者のドミトリーは二人の様子に、自分が調子に乗っていたことにようやく気付いた。
「まあ。どういう基準で選んでいるのか、興味があるわ。わたくしの婚約者、ドミトリーはどのあたりで合格したのかしら?」
エカテリーナは、アナスタシアの顔を静かに見つめた。
ドミトリーは目をぱちくりさせ、どちらの味方をするでもなく固まっている。
「あの……。まあ、いいけど」
アナスタシアは馬鹿正直に、自慢できそうな男たちと言うこともできずに口ごもった。
不承不承という感じで提案を受け入れ、アレクセイは無事に彼女の「男友達」となったのだった。
それからアナスタシアの受難が始まった。
アレクセイは食堂でアナスタシアを見かけると、勝手に肩を組んでくる。
「テーブルを取っているんだ。一緒に食べようぜ」
「ちょっと、何すんのよ」
「え? だってドミトリーとも肩組んでたじゃん。俺も友達だからいいかと思ったんだけど。駄目だった?」
アレクセイはとぼけて、そんなことを言う。
「だめじゃないけど……」
アナスタシアは、自分の好みではない男からの接触には、眉をひそめる。
たいていはそこで離れていくのだが、アレクセイは使命を帯びているので、ガンガン行く。
そんな日々を重ねるうちに、アナスタシアの態度が変わってきた。
ドミトリーが少しだけエカテリーナに気を遣うようになったのだ。
その隙間に、アレクセイがピタリとハマったらしい。
初めのうちはアレクセイが馴れ馴れしいと気に入らない様子だったが、積極的に好意を見せられてまんざらでもない顔をし始めた。
態度が変わったのは、アレクセイが眼鏡を取ったところを見てからだ。
最近のランチタイムは、六人掛けのテーブルで五人でランチを取っている。
最初の何回かは、アナスタシアの「男友達」が参加したこともあった。
だが、アナスタシアのマウント発言とエカテリーナとイリーナの応戦に、二度とこのテーブルには近づかないと決めたようだ。
ドミトリーは大人しく、六人掛けのテーブルにやってきた。
ちらちらと婚約者のエカテリーナと、親友のアナスタシアに視線を動かしている。
一時期は反省してエカテリーナを大切にするような素振りを見せた。だが、慣れてくると「俺のために争わないで」と自惚れる様子が出てきた。
アナスタシアの「男友達だから」というボディタッチが、アレクセイにも向けられるようになっている。
「さすがね。婚約者でもない殿方と肩を組むなんて、私たちでは考えられないけど、アナスタシアさんっておおらかなのね」
イリーナは苛立ちのまま、嫌味をぶつける。最近、怒りっぽいのを自覚しているが、抑えるのが難しい。そんな自分を持て余していた。
「女って、そういう陰険なところが嫌らしいと思うわ。ああ、ずばっと言ってしまってごめんなさいね。傷ついたかしら。」
新年度が始まって一か月過ぎても、アナスタシアは変わらなかった。
「大丈夫よ。女性の社交って、こんな感じですもの。
これくらい乗り越えられないと、嫁ぎ先のために情報を得ることもできないでしょう」
エカテリーナが、穏やかにアナスタシアに説明する。
「私も好きじゃないけど、社交術は磨いているわ。女の社交界に出る予定がない、あなたが羨ましい」
イリーナは、アナスタシアに爆弾をぶつけた。
「な、何を……失礼ね!」
「だって、殿方を友達としか思えないのでしょう? 恋愛対象ではないから、結婚しなくても生きていける騎士を目指していると思ったのだけど、違った?」
イリーナは準備していた台詞を、大きめの声で言った。
食堂がざわついた。
実際に様々な理由で、結婚しない道を進むために騎士科を選んだ女性たちがいる。
彼女たちはアナスタシアとは覚悟が違う。
アナスタシアは、「女なんて」と批判する一方で、都合のいいときだけ「女」を出してくる。
それは二枚舌と言うのではないだろうか。
他にも同じように感じていた人は多かったようだ。
「淑女らしくしようとする人の揚げ足を取っているだけだよね」
「殿方にちやほやされて喜ぶなんて、いかにも女って感じ」
アナスタシアを非難する声が聞こえてきた。
こんなときに黙り込むのは悪手だ。
「あ、あたしは、そんなつもりはなくて……」
「『そんな』とは、何を指して言ってらっしゃるの?」
エカテリーナは、言い逃れを許さない。
「二人を邪魔するつもりなんか……」
「わたくしがお友達と別行動をして、婚約者と並んでいたランチタイムに?
わたくしの父が取ってくれた観劇のチケットを、『そんなものより鍛錬だ』と無駄にさせて?
長い夏休みに、あなたたちは何度約束をして出かけたの?」
次々と出てくる告発に、ドミトリーは「違う。それは……」と意味のないつぶやきを返すだけだ。
「なあ、好きでもない女としゃべるのって、結構苦痛なんだけど」
途中から闘いから離脱していたアレクセイは、デザートのパイを口に入れた。
「あら、そう? ごめんなさいね。じゃあ、もういいわ」
仕掛け人のイリーナは、紅茶を飲んでからあっさりとそう返した。
「なんだよ。もういいなら早く言えよ。ランチタイムが憂鬱になりそうだったじゃねぇか」
「うん。エカテリーナが、あんな男とは婚約解消するって決めたから」
その言葉に、ドミトリーがイリーナに顔を向けた。
「それ、どういう意味だい?」
青ざめて、震えている。
同じテーブルについているが、イリーナとアレクセイはドミトリーを無視して会話を続けた。
「ああ、そうなのか。問題が解決したなら、下手な芝居を打った甲斐があるよ」
「ふふ。お疲れさま、ありがとね」
「エカテリーナさんが、婚約者と浮気相手に言い返せないって聞いてたからさ。社交界で生きていけないんじゃないかって心配してたんだ。けど、こうして見ると、結構言う方じゃん。俺の手助け、必要だった?」
「普段は言える子なの。惚れた弱みで、嫌われたくなくて――言えなくなっちゃってただけ」
「そーかよ。で、お前は不愉快になったりしなかったわけ?」
そこで、午後の授業が始まる十分前の鐘が鳴った。
それを合図に、みんなは昼休みを終えて、午後の準備に向かう。
ドミトリーは自分の勘違いと、もう手遅れだということを知って、椅子から立ち上がれなかった。
数日後。ドミトリーはエカテリーナとの婚約を解消された。
アナスタシアは学園に姿を見せなくなった。
「両手に花なんて、現実的じゃないわよね」
イリーナは、学内でドミトリーを見かけてつぶやいた。
アナスタシアと仲良くしていた男友達たちは、保身のためにドミトリーと距離を置いている。
彼らの「友情を隠れ蓑にした軽い浮気」を不快に思っていた男子生徒とは、今さら友達になれるわけもない。
両手に花どころか、孤独な学生生活を送っているようだ。
エカテリーナは、新しい婚約者を両親と相談しながら決めるのだと張り切っていた。
今度は外見だけでなく、中身も見るのだと言って……。
休日。イリーナはアレクセイに誘われて、公園に来た。
「でさ。無事にアナスタシアを撃退したわけですが」
「うん。ありがとう」
「俺が彼女と一緒にいて不愉快じゃないかって、あれ。答えを聞いてないんだけど」
「……なったわよ」
「じゃあ……友達辞めて、恋人になる?」
アレクセイはうつむき加減で、耳まで真っ赤になっている。
「そうね。それもいいかもね」
「じゃあ、まずはハグだ」
「いきなり、それ? いやらしい」
「違うって。好きでもない女の感触を忘れさせてって言ってんの。あの女、調子に乗って俺に乗り換えるとか言い出したんだぞ」
アレクセイは自分の腕をさすった。不快な記憶を払うように。
「そ、そっか。ごめん」
女性らしく生きることを求められている自分たちを、見下すようなアナスタシアをギャフンと言わせたかった。
それは成功したけれど、予想以上にアナスタシアは打たれ弱く、少し後味が悪かった。
けれど、アレクセイを次のターゲットにしようとしたなら、もう同情はしない。
それに……アレクセイが他の女の子とベタベタする作戦を考えるなんて。
夏の自分をぶってやりたい。
「お。焼き栗だ。食うか?」
「うふふ。当然、食べるわよ」
ほんのり温かく、ちょっと焦げた栗。
ほくほくとした秋の味覚を楽しみながら、恋人になったことをいつ母に報告すればいいのかと――悩みは尽きないのだった。




