第八十一話:壮烈
本日は二話投稿です。
「立て」
軍務卿ガルンダは、膝をついた将校の肩へ軍杖を押し当てた。
「ですが、門が……敵が、王都の中へ……」
「見れば分かる」
将校の視線の先では、砕けた門扉の向こうから“横ツノ”が身体をねじ込もうとしている。瓦礫へ伸ばされた腕が動くたびに積み上げた荷車や土嚢が崩れ、城内へ通じる隙間が広がっていた。
「門は破られた。だから何だ」
ガルンダは将校の軍服を掴んで強引に立ち上がらせた。
「門は破られたが、壁は残っている。兵も尽きてはいない。ましてや、王都が落ちたわけでもないだろう」
「しかし……」
「貴様が座り込んでいる間にも、部下が死んでいる!」
一喝が門裏へ響いた。将校の肩が跳ね、呆然とガルンダへ向けられていた目に僅かな光が戻る。
「門が破られたなら、その穴を守れ。瓦礫があるなら壁として使え。何をすべきか分からないなら、目の前の敵を一体でも多く殺せ!」
将校は息を呑み、周囲を見た。指示を求める兵士。負傷者を担いだまま立ち尽くす者。瓦礫の向こうから城内へ踏み込もうとする鎧人。
確かに門は失われた。それでも、まだ戦える者は残っている。
「……ははっ!」
将校は軍杖を握り直し、城門へ向き直った。
ガルンダはその軍服から手を離すと、軍杖の石突きを石畳へ打ちつけた。
「聞け!」
門裏を埋めていた怒号の中を、その声が貫いた。
「我が名はガルンダ!国王陛下のもと、王国の軍務を預かる者である!」
瓦礫を押さえていた兵士も、負傷者を運んでいた者も、思わずガルンダへ顔を向ける。
「お前たちが背にしているのは、ただ石と煉瓦を積み上げただけの街ではない!炉王の時代より、数え切れぬ父祖たちが守り、築き、連綿と受け継いできた王都ワラネだ!」
ガルンダは再度、軍杖を石畳へ打ちつけた。
「そして今、その受け継がれてきた都市には、お前たちの家族がいる!友がいる!お前たちが生きて帰りたいと願う理由、そのすべてがある!」
砕けた城門の向こうから、“横ツノ”の咆哮が響いた。
ガルンダは一歩も退かず、杖の先を破られた門へ向ける。
「門を壊されたのなら、我らが次の門となればいい!恐怖を恥じる必要はない。だが、恐怖に膝をつくことだけは許さん!」
ガルンダは杖を掲げた。
「立て!武器を取れ!炉王より受け継いだ王都を!お前たちの愛する者たちを!今ここで守り抜け!」
一瞬の静寂のあと、一人の兵士が槍を掲げた。
「おおぉぉぉぉっ!」
その雄叫びは周囲へ伝播し、門裏を揺るがす鬨の声へ変わっていった。
鬨の声が広がる中、ガルンダが引き連れてきた老将校たちは、すでに動き始めていた。
「瓦礫を退かすな!左右へ寄せて敵の通れる場所を狭めろ!盾兵はその陰へ並べ!」
「負傷者は南北の通りへ分けて運べ!中央を空け、槍兵と術士官を前へ出せ!」
明確な指示を与えられ、右往左往していた兵士たちが再び動き始めた。崩れた荷車を斜めに起こし、敷石と土嚢を左右へ積み直す。破られた城門の前には、人が数人並べるほどの細い道だけが残された。
その奥へ盾兵が列を作り、後ろから槍兵が穂先を突き出す。左右では術士官が触媒を握り、瓦礫を越えてくる敵へ狙いを定めた。
「来るぞ!」
破れた門扉が外側から押し開かれ、一体の“横ツノ”が瓦礫を越えた。両腕で荷車を押し退け、狭められた進路へ踏み込んでくる。
「盾兵、止めろ!」
巨大な腕が盾へ叩きつけられ、最前列が大きく後退した。だが、その背を後列が支えて崩れかけた隊列を押し戻す。
「槍!」
盾の隙間から突き出された長槍が”横ツノ”の腕や脚の継ぎ目へ食い込む。“横ツノ”は柄を折りながらも前へ出ようとした。
「術士官、放て!」
左右から走った火炎が“横ツノ”を包み込んだ。逃げ場のない狭い進路で巨体が初めて足を止める。両腕で頭部を庇った瞬間、ガルンダが兵士たちの間を抜けて軍杖を向けた。
「押し返せ!」
号令と同時に新たな火炎が放たれた。視界を奪われた“横ツノ”の脚へ槍が集中し、盾兵が足並みを揃えて踏み込む。片膝をついた巨体は後方へ押し戻され、瓦礫の上へ倒れたまま城門の外側へ転がり落ちた。後続が巻き込まれ、門前で折り重なる。
「押し返したぞ!」
「喜ぶのはあとだ!盾を並べ直せ!」
老将校の叱声に、兵士たちはすぐさま隊列を組み直す。倒れた“横ツノ”の身体は新たな障害となった。後続は死骸を越えるたびに勢いを失い、その都度、盾と槍と火術によって外側へ押し戻される。
城門は壊された。だが、まだ抜けられたわけではない。
「正面を維持しろ!敵を一体も通すな!」
先ほどまで膝をついていた将校の号令に兵士たちが応じる。負傷者の抜けた場所へ新たな盾兵が入り、消耗した術士官も後方の者と交代する。崩れかけていた防衛線は再び形を取り戻しつつあった。
そのとき、壁上から伝令が駆け下りてきた。
「長梯子多数!南側外壁全域に敵が殺到しています!」
「これまでと同じように押し返せ!」
「数が違います!前方の“平鎧”が一斉に動き出しました!すでに複数箇所で壁上へ侵入されています!」
ガルンダは壁の向こうへ顔を向けた。
外の様子は見えない。それでも、重なる咆哮と地鳴りは先ほどまでとは明らかに違っている。
これまでの突撃は三角屋根の構造物を城門へ到達させるための支援にすぎなかった。構造物が役目を果たした今、敵は残る戦力を一斉に動かし始めたのだ。
「ここからが主攻か」
壁上から立て続けに鐘が鳴らされる。各区画で敵の侵入を知らせる合図だった。
「予備兵の半数を壁上へ回せ!残りは城門を維持!」
老将校が即座に兵を分ける。だが、どちらにも充分な数ではない。城門を守るために兵を残せば壁上が薄くなり、壁上へ増援を送れば破られた門から鎧人が入り込む。
その隙を突くように、門外から新たな影が走り込んできた。
「毒尾接近!」
毒尾の群れは折れた門扉や積み上がった土嚢を足場にして城内へ駆け込んでくる。正面から戦おうとはせず、槍の下を潜り、盾兵の脇をすり抜け、そのまま市街へ続く通りを目指した。
目的は門前の兵士ではない。その先に広がる市街だった。
「抜けさせるな!」
術士官が石畳を隆起させ、一体の脚を絡め取る。槍兵が止めを刺している間にも次の二体が瓦礫を越えた。
兵を振り分けなければ市街へ抜けられる。だが、毒尾を追えば正面の盾が薄くなる。
その隙を逃さず新たな“横ツノ”が城門を越えた。太い腕が盾兵の列へ叩き込まれ、一人が後方へ弾き飛ばされる。空いた場所へ“平鎧”が身体をねじ込み、狭めていたはずの進路を押し広げていく。
「盾兵、穴を埋めろ!」
「壁上から増援要請!」
「毒尾が市街へ抜けるぞ!」
「正面を崩すな!」
報告と悲鳴が重なり合う。壁上へ送った兵は戻せない。毒尾を追った者も正面へ加われない。
一度は押し返した防衛線が今度は城内側へ押され始めた。
一歩。
さらに一歩。
積み上げた重量物を境に食い止めていた戦線が、少しずつ市街へ近づいていく。
「軍務卿に続け!」
「まだ戦える者は前へ出ろ!」
ガルンダは軍杖を構え、再び火術を放った。城門を越えた“平鎧”が炎に包まれ、後続へ倒れ込む。その左右には、老将校たちも武器を手に並んでいた。
老いを迎えてなお、その動きに迷いはない。異形の民との戦い方を彼らはまだ忘れていなかった。
その姿を見て、後退しかけていた兵士たちが踏み止まる。
だが、敵の勢いは止まらない。
城門では三体の毒尾が同時に瓦礫を越え、その背後から、さらに二体の“横ツノ”が迫っていた。
すべてを止めるには、兵も術士も足りない。
ガルンダは周囲を見渡し、傍らの将校へ告げた。
「若い者を連れて、次の通りまで下がれ」
「閣下は、どうなさるおつもりで?」
「ここに残る。第二の防衛線を作る時間くらいは稼いでやる」
「ならば、私も残りましょう」
老将校の一人が軍杖を握り直した。
「命令だ。下がれ」
「閣下の命令を聞かなかったことなど、これまで一度もありません」
その口元に、薄い笑みが浮かぶ。
「ですが、今日くらいはお許しを。どこまでもお供しますぞ」
その言葉に、ほかの老将校たちもガルンダの左右へ並んだ。誰一人として、後方へ向かおうとはしない。
ガルンダは長い付き合いの者たちの顔を順に見た。説得している時間はない。そもそも、何を言っても聞かないことは分かっていた。
「まったく、融通の利かん爺どもだ」
「閣下にだけは言われたくありませんな」
ガルンダは鼻を鳴らし、城門へ向き直った。
瓦礫を越えた“横ツノ”が腕を広げ、その後ろには“平鎧”と毒尾が途切れることなく続いている。
老将校が静かに尋ねた。
「心残りはございませんか」
「無い——と、言いたいところだが」
ガルンダは軍杖を構えた。
その先端へ、残された力が炎となって集まっていく。
「孫娘の晴れ姿を、この目で見れんのは惜しいな」




