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アウストロメリアの炎  作者: 白月一
第四幕:虚空の英雄

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第七十三話:不動

 第一戦団は、いまだ出撃命令を受けていなかった。

 臨時の待機場所として指定された鐘楼塔に隣接する広場には、戦装束を整えた術士たちが隊列を組んで待機している。

 触媒箱を背負い、術具を携え、あとは命令を待つだけ。分隊ごとに固まった術士たちは、遠くから響く轟音へ何度も顔を向けていた。

 外壁の向こうでは、すでに戦いが始まっている。大地を震わせる投石器の音。術が爆ぜる音。何千何万という鎧人が重ねる咆哮。そのすべてが、建物と建物の間を抜けて待機広場まで届いていた。

 戦える準備はできている。しかし、戦えという命令だけが来ない。

 ダルミンは鐘楼塔の屋上に立ち、外壁の向こうへ立ち昇る土煙を見つめていた。


「戦団長、軍司令部からの状況報告です!」


 階段を駆け上がってきた連絡兵が、書簡を片手に敬礼する。


「読み上げろ」


「西側外壁、全域で敵第一陣と交戦中! 複数箇所に長梯子が到達するも、現時点で壁上への大規模な侵入はありません!」


 外壁の防衛には、王国軍とワラネ都市軍から複数の部隊が投入されている。ヤラミラ率いる第九大隊も、そのうちの一つにすぎない。それぞれが割り当てられた区画を守り、外壁へ迫る鎧人を迎撃していた。


「敵の構造物は」


「複数の区画で破壊に成功! 車輪と車軸へ質量を伴う術を集中させる方法が、外壁上の各部隊へ伝達されています!」


「第九大隊の担当区画は?」


 尋ねたのはタルガンだった。

 ダルミンの少し後ろで腕を組み、外壁を見据えている。


「漆黒の構造物を複数撃破。消耗は少なくありませんが、防衛線は維持されています!」


「そうか」


 タルガンは短く答え、それ以上は何も聞かなかった。


「西側全体の損害は」


 ダルミンが尋ねる。


「現在集計中です。複数の区画から負傷者多数との報告がありますが、崩壊した区画はありません!」


 崩壊していない。ダルミンが必要としていたのは、それだけだった。


「続けろ」


「敵軍の一部が西方本隊から離脱! 北側、南側の双方へ展開を始めています! 王国軍及び都市軍が、各外壁の守備兵力を再配置中!」


 軍司令部は、すでに敵の動きへ対応している。どの大隊をどこへ回すのか。予備兵をどの区画へ補充するのか。矢や投石用の岩をどれだけ運ばせるのか。それらを決めるのは、王国軍や都市軍の将校たちだ。ダルミンの仕事ではない。


「東は」


「東側外壁及び港湾部に、現時点で敵影なし!」


 西、北、南。

 三方へ鎧人が広がる一方で、東だけは静かなままだった。


「第一戦団は、引き続き待機。以上です!」


 軍司令部から届いた命令を読み終え、連絡兵が書簡を閉じた。


「了解したと伝えろ」


「了解!」


 連絡兵は敬礼し、階段を駆け下りていった。

 ダルミンは外壁へ視線を戻す。

 戦況は、今のところ想定された範囲に収まっている。鎧人の数は途方もなく、未知の構造物も投入された。それでも外壁は破られていない。各部隊は自分たちの役割を果たし、迫る敵を押し返している。第一戦団を投入する理由はなかった。


「随分と余裕そうじゃねぇか」


 背後から聞き慣れた声がした。

 振り返ると、バルドが屋上へ顔を出していた。戦装束を整え、普段は使わない軍杖まで背負っている。


「そう見えるか?」


「見えねぇな。だから言ってみただけだ」


 バルドはダルミンの隣まで歩き、外壁の向こうを眺めた。


「部下が焦れてやがる」


「座らせておけ」


「もう座ってらぁ」


「なら寝かせろ」


「この音の中で子守唄でも聴かせるか?」


 軽口を叩きながらも、バルドの目は笑っていなかった。

 城壁の向こうから黒煙が上がるたび、わずかに眉が動いている。


「戦団長。一応聞くが、まだ出ないのか?」


「出ない」


「西壁じゃ、もう壁際まで敵が迫ってる」


「知っている」


「俺たちが出りゃ押し返せる」


「だろうな」


 ダルミンは否定しなかった。

 第一戦団の術士を西側外壁へ投入すれば、目の前の敵を大きく押し返せる。並の鎧人であれば、城壁へ辿り着く前にまとめて消し飛ばすことも可能だ。

 だが、それによって第一戦団の魔力と触媒は消耗する。西へ配置を偏らせれば、別の方面で異変が起きた際の対応も遅れる。

 何より、まだ鎧人しか現れていない。北方から帰還したカリムは、四種族が連携していたと報告した。糸女、毒尾、敵対するデカポダ。その姿は、現在の戦場では一体も確認されていない。


「今、西へ出たとして」


 ダルミンが言う。


「直後に港からデカポダが上がってきたら、どうする」


「走る」


「南北に毒尾が現れたら」


「走る」


「市内へ糸女が入り込んだら」


「走る」


「全部同時なら?」


「……走る」


「無理だろ。それに歳だ」


 バルドは頭を掻いた。

 どれほど足が速くとも、同時に複数の場所へ行くことはできない。そもそも、それだけ走ったあとでバルドが使い物になるかも分からない。


「第一戦団は、苦戦している部隊の代わりに戦うための部隊じゃない」


 ダルミンは眼下の待機広場へ目を向けた。

 幾度も壁外へ出て、異形の民と戦ってきた術士たち。個々の力量も、集団で術を運用する練度も、王国内で彼らに勝る部隊はない。


「現場の戦力では処理できない事態が起きたとき、そこへ行って無理やり片づける。それが俺たちの仕事だ」


「今は、まだそのときじゃないってか?」


「壁は保たれている」


 短い返答だった。

 バルドはしばらく黙って外壁を見つめ、やがて肩をすくめた。


「分かったよ。部下には、もう少し座ってろって言っておく」


「寝かせてもいいぞ」


「俺の子守唄で寝れるならな」


 バルドは来た道を戻り、屋上から姿を消した。

 味方が戦っている。傷ついている者もいるだろう。自分たちが出れば、そのうち何人かは助けられるかもしれない。

 それでも動かない。

 第一戦団を率いて敵陣へ突っ込む方が、ダルミンにとっては遥かに楽だった。眼前の敵を倒し続ければいい。迷う必要も、待つ必要もない。

 味方の悲鳴を聞きながら、出番ではないと言い聞かせる方が、よほど苦しかった。


「戦団長」


 タルガンの声に呼ばれ、ダルミンは視線を上げる。


「空堀を」


 外壁の手前には、王都を囲うように複数の空堀が設けられていた。

 戦闘が始まる前は、切り開かれた平地に細長く伸びる溝が、屋上からでもはっきりと確認できた。

 今は、その一部が見えなくなっている。

 空堀へ落ちた”平鎧”。杭に貫かれた”ツノ持ち”。後続に踏み潰された死骸。投げ込まれた土嚢、丸太、長梯子。そして、倒壊した漆黒の構造物。それらが折り重なり、堀を埋め、城壁へ向かう緩やかな斜面を作り始めていた。

 人類側が倒した敵の数は、すでに数千へ届いているのかもしれない。戦果だけを見れば、緒戦は人類側が優勢だった。

 だが、敵を倒すたびに空堀は失われていく。死骸が新たな足場となり、その上を次の鎧人が踏み越えてくる。


「このまま積み上がれば……」


 タルガンは静かにつぶやいた。


「壁の上まで届くんじゃないですか」


 五十万。今積み上がっている死骸など、その総数からすればごく一部にすぎない。死骸だけで、本当に外壁の高さまで届くかも分からない。それでもダルミンは、あり得ないとは言えなかった。


「届いたら、その上で殺すだけだ」


 ダルミンが答える。


「……はい」


「まだ壁は破られていない」


 それは部下へ向けた言葉であると同時に、ダルミン自身へ向けた言葉でもあった。


 階段から、再び足音が近づいてくる。


「戦団長、哨戒班について続報です!」


 現れた連絡兵の言葉に、ダルミンの表情がわずかに強張った。


「ほかの班は」


 哨戒に出ていたのは、第一戦団の者だけではない。ほかの戦団からも術士が選出され、王国軍も複数の斥候班を壁外へ送り出していた。


「すべて帰還を確認しました!」


「ウチの哨戒班員は」


「新たな帰還者はありません。現在までに戻ったのは、カリム術士一名のみです」


 予想していた報告だった。それでも、実際に言葉として聞けば、胸の奥に重いものが沈む。

 ミラリ。カラン。残る班員たち。ルナリやダーバルだってそうだ。

 生きているのか。負傷し、どこかに潜んでいるのか。それとも、すでに命を落としているのか。確かめる術はない。鎧人の軍勢が王都の北側へ回り始めた今、捜索隊を出すこともできない。

 ミラリは、第一戦団でも一、二を争うほど信頼を置く術士だった。普段は人をからかってばかりいるが、壁外での判断は的確で、何よりも部下をよく見ている。自分の後任を選ぶなら、ミラリ以外には考えられなかった。

 カランは、第一戦団最大の戦力だ。あの男一人がいるだけで、打開できる局面は数え切れない。だが、今はいない。

 生死不明の者を、戦力として数えることはできない。ダルミンは第一戦団の戦力から、カランとミラリを外した。

 死んだと判断したわけではない。帰還を諦めたわけでもない。ただ、この戦場にはいないものとして考える。それが、今のダルミンにできる唯一の判断だった。


「続報があれば、すぐに知らせろ」


「了解!」


 連絡兵が階段を下りていく。

 代わって、別の兵士が屋上へ駆け込んできた。その顔には、これまでの報告とは明らかに異なる緊張が浮かんでいる。


「軍司令部より緊急の状況共有!」


 ダルミンとタルガンが同時に振り返った。


「南西の敵陣に、新たな異形を確認! 鎧人の隊列を抜け、南側外壁へ向けて移動を開始しています!」


「特徴は」


「巨大な鋏と六本脚、尾の先端に毒針と思われる器官!」


 毒尾。カリムが報告した、二つ目の種族だった。

 待機広場にも報告が伝わったのか、待機していた第一戦団の術士たちが一斉に立ち上がる。

 バルドが屋上を見上げていた。

 出るのか。

 その表情が、そう問いかけている。

 ダルミンは南側へ立ち昇り始めた土煙を見つめた。

 鎧人とは比較にならない速度で、いくつもの影が荒野を駆けている。


「第一戦団は?」


 タルガンが尋ねた。


「待機を継続する」


 ダルミンは、まだ動かなかった。

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