第三十五話:宙空のキャンベラ
青き森にて確認された鎧人の軍勢は、最大十万規模の可能性あり。
「ーーそう、軍上層部は結論付けたらしい」
「んな馬鹿な」
戦団長ダルミンの報告に第一連隊第四分隊長バルドがポカンと呆けた顔を晒した。
「俺だって最初は耳を疑ったよ。だが上からのお達しはさっき説明した通りだ」
ダルミンは肩をすくめる。半ば投げやりになっているようにも見える。
術士兵団第一戦団の兵舎の一角では、戦団の主だった面子が集まり、小会議を開いていた。
「でも可能性の話でしょ?」
第二連隊長のミラリは右手を腰に当てながら言った。
「まあな」
ダルミンは軽くため息を吐きながらそれに答えた。
「あくまで最大十万規模。もしかしたら五万かもしれないし、なんなら一万もいないかもしれない」
第三連隊長のタルガンはそうこぼす。視線は下がり、その表情には思慮の色が濃い。
「そういうことだ。だが上層部も考えなしじゃない。十万規模って可能性を捨てきれないと判断した」
「それって結構やばくない?」
あくまでミラリはいつもの態度を崩さない。それでも瞳には鋭さが宿っているように見えた。
「数はともかく、そうだな」
「ともかくってどういうことだ?」
ミラリとダルミンを交互に見て、バルドは相変わらず呆けた顔をしている。その答えに先に気がついたのはタルガンだった。
「なるほど。もし、青き森に出現した軍勢が十万規模であるならば、状況は相当厳しいことになる」
「そりゃそうだ、十万なんて聞いたこともねぇ」
「単純にその数が脅威なのは確かですが、事態はそれだけでは止まらないということです」
バルドはまだ事態を理解しきれていない。タルガンは続けて説明した。
「我々はキャンベラで数万規模の鎧人の軍勢を撃退しました」
「そうだな」
バルドは深く頷く。そして表情を変えた。
「待て。青き森の連中はキャンベラを攻めていた連中とは別口だってことか?」
「青き森の軍勢が十万規模であるならば、それはキャンベラに攻勢を仕掛けた軍勢を大きく上回ります。ならば我々が撃退した軍勢がそれに合流している、していないに関わらず、別の軍勢が存在することは自明でしょう」
「確かに、そういうことになるな…」
事態を理解し始めたバルドの表情は険しい。
「はい。では青き森の軍勢は、キャンベラで別の軍勢が攻勢を仕掛けている間は何をしていたのか」
「おいおい、まさか」
「…ナールムはもう落ちているだろうな」
ダルミンは頬杖をつきながら、静かにつぶやいた。
「はい、青き森方面の軍勢がキャンベラに現れたものとは別の軍勢なら、我々が攻撃を受けている間、ナールム方面で行動していた可能性が高い。これならナールム方面からの連絡が途絶した理由も頷けます」
「そ、それがなんでナールムが落ちたってことになるんだよ。俺たちが守ったキャンベラみたいにナールムも撃退したかもしれねぇじゃねえか、今その報告が来てもおかしくはないだろっ!?」
バルドだってすでにある程度事態を把握できているはずだ。それでも否定したがるのは信じたくないからか。
「だとするなら軍勢は青き森ではなく、ナールムに集結したはずです。そもそもキャンベラに姿を現したことすら解せなくなります。わざわざ戦力は分散する必要はなかったでしょうから、キャンベラに敵が姿を現した時点で、ナールム陥落の可能性を視野に入れるべきでした」
「くそっ!」
バルドは拳を机に叩きつけながら雑言を吐き捨てた。
「で?さっきからずっと黙っているが、お前はどう見る?」
タルガンが問うた先は、部屋の隅で壁に背を預け、瞳を閉じ腕組みしていたカランだった。
「……」
「英雄殿の意見を伺おうか」
タルガンが会話の矛先をカランに向ける。
「…ナールムは落ちた」
「それで?」
タルガンは静かに言い切ったカランに無理にでも会話を続けさせようとする。カランはそんなタルガンを一瞥したあと、自らの意見を語り出した。
「問題はナールムが落ちたことじゃない」
「大問題だろ…」
カランの意見にバルドは頭を抱えている。しかし、カランはバルドとは取り合わず続ける。
「上層部は最大十万規模と結論を出したようですが、俺の意見は違います。青き森に現れた軍勢は最低十万規模でしょう。そして、それも大した問題ではありません」
「なんだと?」
このカランの意見に次はタルガンも表情を変えた。
「鎧人の軍勢が青き森に姿を現したこと。この事実自体が最大の問題点です」
カランが第一戦団の兵舎で意見を語り出したとき、キャンベラ要塞の司令室ではジャイグが一人。静かに地図を俯瞰していた。
キャンベラ要塞は、完勝とまではいかずとも、鎧人の大攻勢を防ぎきった。その功績は大きく、キャンベラ要塞が十全にその役割を全うし得るということだ。
しかし、キャンベラの総司令ジャイグは、その事実を確かなものにしながらも、全くと言っていいほど勝利に浮かれていなかった。
それは、最終的な勝利がカランの大規模殲滅術によってもたらされたからでも、キャンベラ要塞に改修すべき点が残されていたからでもない。
「鎧人の軍勢は、概算で四万」
防衛戦が終結して日数が経ち、鎧人の総数もおおよその見当がつくようになっていた。
「山岳の陰にいた未確認兵力を含めれば、総数は六万」
鎧人が撤退し始めた段階では、まだ西方山岳の山肌には多くの鎧人の影があった。観測しきれなかった山岳より西方に、予備兵力が存在した可能性は充分に考え得る。
「その場合、”ツノ持ち”の総数は二百体以上…」
防衛戦で討伐した”ツノ持ち”は確認できただけで百を超えた。撤退開始時点で、おおよそだが山岳には三十体は”ツノ持ち”が残っているのを確認している。
そこから未確認の兵力を含めて割り出すと、攻勢に参加した”ツノ持ち”は二百を超えるという結果になった。
「……」
そして、ジャイグは予備兵力が存在したという考えを支持している。
それだけの大軍勢がキャンベラに攻め入った。出現したのは西方山岳。おそらくは、その先の山岳地帯を拠点にしていた。と、報告ではまとめられている。
しかし、この報告にはジャイグは否定的だった。地図の上で視線をすべらせる。
南西にある山岳地帯。晴れた日には西方山岳の頂上から、その雄大な姿が望めるアウストロメリア最高峰の山々だ。その山々のさらに南西にはナールムがある。
「やはり、違うな」
ジャイグは此度の軍勢が南西の山岳地帯に根付く勢力だとは考えていなかった。
キャンベラからずっと西へ行くと、地図には何も記されていない人類にとっての空白地帯が存在する。
キャンベラから北上した防壁の建設予定地まではジャイグも視察したことがある。小高い丘に登って西を向けば、青い空の下、大草原はどこまでも広がっていた。どんなに目を凝らしても、大地の端を視界にとらえることは叶わなかった。
何度も夢想した。その大地を人類が手にすることができればと。同時に悟った。異形の民は、この大地を自在とまでは言えずとも、境界なく闊歩しているのだと。
異形の民の世界は、人類の知る地図の中だけにはとどまらない。
人類が空白としている西方地帯を、軍勢の移動経路として利用している可能性がある。山々を越えるよりも効率的に行軍できる方法がないとは言い切れない。
ナールムからの報告は依然として途絶えたままだ。報告を求めて送った伝令も、一人として戻っていない。
「…ナールムは陥落したと見るべきだな」
タルナ陥落。ナールム閉鎖。そしてキャンベラへの大攻勢。一連の流れを見れば、おおよその見当はついた。そして。
「兵力がありながらなぜ引いた…?」
”ツノ持ち”討伐百体越えの内、およそ半数は最後のカランの大規模殲滅術があってこその戦果だ。”平鎧”とて、それに近いことが言える。指揮官と目される個体を外壁から弾き落とした段階で撤退が始まったが、鎧人はそれだけで戦いを止めるような柔な存在でなはい。
「…まさか、な」
もし仮に、鎧人の軍勢が西方地帯を移動しているのだとしたら。
人類が考えている前提は大きく覆る。
敵がタルナ、ナールムと順に侵攻しているのであれば、必然的に次に落としたい都市はワラネとなり、そのためにはキャンベラを無視しては通れない。
だが、西方の大地を境界なく行き来する異形の民にとって、その位置関係にどれほどの意味があるのか。
彼らにとって、人類の都市も、要塞も、順番に攻略しなければならない拠点ではない。広大な大地に離れて存在する、いくつかの人類の巣に過ぎない。あるのはそれぞれの都市までの距離だけだ。
ならば、キャンベラはいったい何を遮っていたのか。要塞は陥落していない。綻びはあったかもしれないが、城壁も兵も健在である。
それでもジャイグの目には、地図の上のキャンベラが王国から切り離され、宙に浮かんでいるように見えた。




