第二十四話:無敗の初陣
黒い影の群れーー鎧人の軍勢はすでに西方の山を覆い尽くしていた。
西方山岳にも見張りを兼ねた小規模の前線基地があったはずだが、あの様子だとひとたまりもなかっただろう。
山の麓からは片時もあれば要塞まで辿り着ける。開戦は目前だった。
「多すぎだろ」
ダルミンは改めて低くつぶやいた。その言葉に返す者はいない。誰の目にも明らかだった。
山肌を覆う黒い影、その大半を占めているのは”平鎧”だった。巨大な角を持たぬ、鎧人の大多数を占める労働力であり主要兵力。
一体一体で見れば術士にとっては容易い相手、一般兵でも充分に相手ができる相手だ。
「千……いや」
城壁の上で見張りの兵士の一人が数えようとして途中で諦めた。見張りの兵士は皆、ひと目である程度の軍勢の数を把握できるように訓練する。しかし、いまだかつて無い鎧人の大軍勢。数えられるような数ではなかった。
木々の間から次々と姿を現し、山を下り、荒野へ広がっていく。一つの黒い塊だった軍勢は平地に出るにつれて横へ横へと広がり始めていた。
「”横ツノ”か…」
カランがつぶやく。”平鎧”の群れの中、左右へ大きく張り出した角が見える。”平鎧”とは明らかに異なる巨大な体躯が軍勢の中に点在している。
「随分いるな」
ダルミンの表情は険しい。いつもの童顔は鳴りをひそめ、斜め傷も相まっていかめしい将校の顔をしていた。
「これだけの”横ツノ”が集まっているとなると、ただの寄せ集めじゃないな」
カランも同意する。
”横ツノ”は鎧人の中でも高い戦闘力を持ち、”平鎧”を率いる支配階級だ。それがこれほどの数、一つの軍勢に集まっている。
「指揮官がいますね」
「だろうな」
問題は、それがどこにいるかだった。カランは軍勢のさらに奥を目を凝らして見る。山頂からは続々と鎧人が増え続けていた。中には巨大な角も混じっている。黒い影、巨大な角、揺れる木々、それだけだ。
「指揮官なら見渡しのいい場所に陣取りそうですが」
「まだ山の向こうかもな」
「ええ、今のところ”縦ツノ”はいないようですね」
「最後まで出てこなきゃいいけどな」
本来、同じ鎧人同士でも”縦ツノ”と”横ツノ”は水と油のように相入れないとされる。人類も”縦ツノ”と”横ツノ”がそれぞれ率いる鎧人同士の戦闘を何度か観測している。だが、これだけの異常事態、何が起きても不思議はなかった。
「そうですね」
鎧人の軍勢はもうその姿をはっきりと捉えられる距離まで近づいていた。
そんな中でキャンベラの総司令、ジャイグは司令室で両肘を付き、顔の前で指を組んでいた。その視線は鋭く、険しい。
「報告!敵軍勢は鎧人!数は断定ですが一万を超えると思われます!軍勢の中には多数の”ツノ持ち”を確認!”横ツノ”です!」
「来たか」
ジャイグは低く返した。
「すでに敵は西方山岳を越え、麓に軍勢を広げつつあります!」
「敵の頭が”横ツノ”であるならば、前線基地は襲撃で潰されたか…」
突撃を至上とする”縦ツノ”と異なり、”横ツノ”は戦術を用いる。奇襲、遊撃はもちろんのこと、山岳戦にも理解がある。キャンベラ西方の山は標高800メートル程だが、さらにその西には荒野を挟み、深い山林が広がっている。そこに”平鎧”の軍勢を隠し、先に精鋭で前線基地を襲撃して潰したといったところか。見張り用の小規模な前線基地では救難の狼煙をあげる間もなかったのだろう。
「改修の余地があるな、前線基地の兵たちには悪いことをした。此度の完全なる撃退を持ってして弔いとしよう」
その瞳には悲しみも恐怖もない。敗北の可能性を一欠片も滲ませず、勝利の次さえ見据えている。
「司令、ご命令を」
それは彼の部下たる兵たちも同じだった。たとえ相手が万の軍勢であろうと、どれだけの”ツノ持ち”がいようと、確固たる勝利を信じて疑わなかった。
「うむ」
ジャイグは立ち上がる。彼の信念は揺らがない。このキャンベラはいかなる異種族にも侵せぬ鉄壁を誇ると確信する。
重厚な扉を通り過ぎ、廊下へ強く踏み出した。
「西の防壁に第二大隊を集めろ、第四大隊を中隊に分け他の壁に配置。相手が”横ツノ”である以上全方位に警戒は必要だ」
現在、キャンベラ要塞に駐屯するのはジャイグ直轄の王国軍第二大隊三千名、そして第四大隊二千五百名、第六大隊二千名、第八大隊二千名、第九大隊第一中隊五百名の約一万名に術士兵団第一戦団を加えた軍勢だ。
「第六は西の防壁で後方待機、第八は第四の予備軍に、第九は中央で待機」
ジャイグの指示は短く早い。一言一言飛ぶごとに伝令の兵があちこちへ駆けていく。
「第一戦団はどうされますか?すでに西の防壁で戦闘配置しているようですが」
「それでいい。第一戦団には独立行動を許している。好きに戦わせた方がよく働く」
「了解しました!」
ジャイグは決して他人を過大評価しない。しかし過小評価もしない。第一戦団とそれを率いる戦団長の気質をよく理解していた。
「ああは言ったが…」
ジャイグは初日のカランとの会話を思い出す。
「能力がある者は、その能力を十全に発揮する必要がある」
組織として戦い、その構成要素として個人の力も最大限使う。
「西の防壁は私が直接指揮を取る」
ジャイグが向かったのは西の尖塔だった。そこは西側全体が見渡すことができる。指示を出すには最適の場所だった。
「閣下」
第二大隊の副官が膝を突く。彼はジャイグの小隊時代からの腐れ縁だった。
「うむ」
「こちらの態勢は整っています。敵軍勢の塹壕接触までは間も無くです」
「始めろ」
「はっ!」
山肌と荒野を埋め尽くす影を見てもジャイグの表情は変わらなかった。
キャンベラが今の形になって異形の民に攻められた事は一度もない。しかし、無敗の初陣を待つこの要塞に欠陥はない。
鎧人の軍勢が荒野を進む。要塞の西は黒い影で溢れている。
中央に仁王立ちする”横ツノ”が野太い咆哮をあげた。それに伴い”平鎧”たちが耳障りな雄叫びを上げた。
一斉突撃。
どのように戦うにしろ、攻勢なくして壁は落とせない。防壁までは遠くないが、まだ距離がある。
人類の反撃はすでに始まっていた。
「投石機、攻撃開始ぃ!」
防壁上に取り付けられた木材と獣の腱で作られた大型の絡繰りは空気を唸らせ、巨岩を空中へ放り出す。
埋め尽くすほど並んだ”平鎧”に、それをかわす事は叶わない。荒野へ飛び込んだ巨岩は一瞬で複数の”平鎧”を押しつぶし、絶命させた。潰れた”平鎧”は悲鳴も許されない。
投石機は一つではない。次々に巨岩が空で弧を描き、”平鎧”の群れを押しつぶす。されど”平鎧”は止まらない。落ちた巨岩を避け、よじ登り、進んでくる。
第一陣が塹壕まで迷いなく進んんで来た。だが、そこで足を止める。その”平鎧”には塹壕の越え方がわからなかったからだ。それでも後続はどんどん押し寄せる。第一陣の”平鎧”たちはそのまま押し出され、塹壕へ落ちていった。逆茂木が深々と突き刺さり悲鳴をあげる。しかし次々に塹壕へ押し出される”平鎧”が積み重なり、それも次第に聞こえなくなっていった。
「敵軍!胸壁に取り付きました!」
塹壕の奥には、掘り上げた際に出た土で盛り上げた胸壁がある。大した防御能力はないが、進行速度を遅らせるには充分だった。
「弓兵、攻撃開始!」
塹壕に埋まる同族の死骸を踏み越え、胸壁をよじ登る”平鎧”たちに今度は無慈悲な矢の雨が降り注ぐ。
いかに鎧人が矢を弾く甲を持っていようと、数百、数千と重なる矢のいずれかは、その隙間を射止める。
塹壕は死骸で埋まり、胸壁もまた死骸が積み重なっていく。
死骸で溢れたキャンベラ第一の関門はすでにその体を成してなかった。だがしかし、その奥にはより強固な第二、第三の関門が待ち受けている。
「報告!敵軍勢、北方まで溢れています!北方防壁接敵間も無く!」
それでも”平鎧”の数はまだまだ減っていなかった。
「第八大隊を向かわせろ」
「了解であります!」
この程度のことは想定内。
”平鎧”がどんなに増えようとキャンベラの防壁は万全だ。
ジャイグは鎧人の軍勢全てを見てはいない。彼は戦場全体を見ていた。その戦場に点在する”横ツノ”を。
「さてどう動く?”横ツノ”」
重厚な声が静かに戦場へ溶ける。
まだ”横ツノ”は動いていない。
蠢く黒い影の中で、不動の姿勢で佇んでいる。
やはり総司令は机に肘をついて口元で手を組む姿勢が最適ですね。




