第二十二話:殻付きの戦士
日が落ちたキャンベラ要塞。周囲の山々には月影が差し、大河の水面には月が揺らいでいた。
しかし、その訓練広場は未だ明かりに包まれている。何十本もの松明が立ち並び、兵士たちが巨大な焚き火を囲って思うままに宴を楽しむ。
大鍋では戦慄鳥の肉が煮込まれたシチューがグツグツと煮立ち、さらにその隣ではもも肉が豪快に焼かれ、椀を持った兵士たちが立ち並ぶ。
オルスタが酒樽を運び込み、一人一杯の制限付きではあるが酒も出た。
戦時下の最前線とは思えないほど賑やかな夜。
ただし全員が知っている。そう遠くないうちに戦いが訪れることを。
だからこその宴。今だけは現実を忘れ、仲間と笑い合う。笑い声が煙と共に夜空へ上っていた。
「お前はいつまでたってもチビのままだな!」
「本当に歳とってんのかね?」
「やめてくださいよ」
ダルミンは古参兵と卓を囲んでいた。どこに行ってもいじられるのはもはや彼の宿命なのだろうか。
「これ俺の酒です!連隊長に差し上げます!」
「ささっ!自分のもどうぞ姐さん!」
「いや〜なんだか悪いね〜!」
ミラリは酒を勧められ上機嫌だ。既に相当数飲んでいるはずだがけろりとしている。
「おい!お前さっきも並んでただろう!」
「さぁ?人違いじゃねぇのか?」
「そんなわけあるか!もう三度は見たぞ!」
バルドは肉を配る列で何やら揉めている。ちなみにバルドが列に並ぶのは四度目だ。
「これも食べる?」
「うん」
「これも食べなよ」
ルナリは女性兵士たちに囲まれてひたすらに食事を堪能していた。返事はしているものの全て空返事だ。しかし周囲はそんなルナリを見つめて満足げだ。
「大隊長!どうぞ飲んでください!」
「ぜひ自分のも召し上がってください!」
「あ、私はもう…いや、いただこう…」
ヤラミラは部下たちに捕まり、杯を渡され続けている。ミラリとは対照的にかなり出来上がっているのか顔が赤く上気している。あれは放っておいて大丈夫なのだろうか。
焚き火の灯りが届くか届かないか、そんな境目でカランは一人丸太に腰掛け戦慄鳥の肉を齧っていた。酒の杯はまだ減っていない。
賑やかな声は遠く聞こえる。宴の喧騒を眺める瞳には小さく映った焚き火の炎がゆらめいていた。
「隣、いいか?」
そんなカランの元へ一人。
「どうぞ」
いや一体と言うべきか、左隣に腰掛けた大男が座り込むと甲が擦れ合う音が鳴った。黒い複眼、細長い触角、太い額角、鋏状の腕、背中は深く青い甲殻に覆われていた。
「オレはダーバル」
青い大男は脇腹から伸びる細い副腕を上げて短く自己紹介した。
「カランだ」
カランもまた短く返す。
「あんたがあのカランか」
ダーバルと名乗った大男は関心を示す。
「どのカランか知らないが、おそらくそのカランだ」
「想像より細いな」
「あんたが太すぎるんだろう」
カランの返しにダーバルは噛み締めるように笑い、肩を揺らすと甲がカチカチと鳴った。
「まぁな、オレは確かに普通じゃない。これ見ろよ」
ダーバルは左の鋏腕を上げる。右の鋏腕と比べて明らかに太く、巨大だった。
「デカポダは見た目で大抵の種族が分かる」
デカポダ、甲殻類の特徴を併せ持ち水棲に適性を示す異形種。
青い大男は異形の民だった。
「だがオレは普通じゃなかった。オレはカリデア種の出身だが一族はみんな赤い、鋏はこんなにデカくねぇし、そもそも体型自体もっと小柄だ。それに額の角も小さい」
「何もかも違うな」
「だろ?」
デカポダのカリデア種は特に川エビに似る。体色は赤い個体が多く、ダーバルのように青い個体は稀だ。そして鋏腕や体が細長いのが特徴だ。
「見た目で種族を判断してるせいか完全に余所者扱いだ。もう住みにくいったら仕方ない」
自分達とはまるで違う見た目の存在。デカポダにとってそれは同族と呼ぶには無理があったのだろう。
「それでキャンベラ要塞に?」
「ああ」
ダーバルは深く頷いた。
「別にここだってオレは余所者だ。だが変によそよそしくしたりしない。オレが居たケルナムよりよっぽどマシだ。あぁケルナムってのは…」
「知っている」
ケルナム、デカポダにとって住居を示し”住まう場所”というような意味がある。
「博識だな」
「大したことじゃない」
カランは静かに杯をダーバルに向けた。
「苦労したんだな」
ダーバルは一瞬動きを止めたが、特に迷うこともなく自らの杯を合わせた。
「まあな」
二人の杯はゴツ、と小さな音を立てた。静かに口に運ぶ。酒は少しぬるくなってしまっていた。
「それで?英雄様が一人飯かい、宴は嫌いか?」
「別に宴が嫌いなわけじゃない、騒ぐのが苦手なだけだ」
ダーバルは肩をすくめる。
「オレもだ」
「あと英雄様はやめろ」
「そうか、悪い」
「ああ」
「英雄扱いは不服か?」
「疲れるな」
カランの正直な返答にダーバルはクツクツと噛み締めるように笑った。この笑い方は種族的なものか、個体的なものなのか。
「わからんでもない」
ダーバルは訓練広場の方を見遣った。
「オレが居たケルナムだがな、ずっと余所者扱いだった訳じゃないんだ」
「ではなぜ?」
受け入れられたなら、別に住処を離れる必要もなかっただろう。
「ある日のことだ。ケルナムの最寄りの水場に鎧人の軍勢が現れた。”ツノ持ち”に率いられてな」
「ほう?」
「オレの一族の奴らは戦ったが、負けてばっかだった」
ダーバルは続ける。
「だからオレが出向いて”ツノ持ち”ともどもぶっ飛ばしてやった。そしたらどんなもんだ」
その先の話はさすがに想像が付く。
「手のひらを返したと」
「ああ、今まで散々余所者扱いだったのに最高の戦士だとか祭り上げ始めやがった」
ダーバルは杯を呷る。
「最初は認められた気がして嬉しかったんだがな、その内に別にオレの力が有用なだけでオレ自身が認められた訳じゃないって気がついてな」
「なるほど」
「余所者扱いよりもそれがなんだか気持ち悪くてケルナムを出た」
「ケルナムはどうなったんだ?」
強力な戦士を失ったケルナム。鎧人に目をつけられたケルナム。
「さあな、オレにはもう関係ない」
出生の地であろうにダーバルは清々しいほど気にしていなかった。
「軽蔑したか?」
だとしても構わない。そんな問いだった。
「自分にとって必要な選択をしただけだろう、別に軽蔑されるようなことじゃない」
ダーバルはまたクツクツと笑う。
「カランは冷めてるんだな」
「お前もな」
「違いない」
二人は揃って杯を呷った。
「カランには故郷はあるのか?」
「いや…そうだな、俺にも故郷はあったらしい」
「らしい?」
「ああ、今はどうなったか知らん」
「お前もか」
「そんなことろだ。そもそも幼少の頃の話だ、覚えてもいないし興味もない」
そんなものだろう。この大地では珍しい話でもない。焚き火の周りではまだヤラミラが部下たちに飲まされていた。
「大隊長!こういうのは勢いです!」
「そうだろうか…」
「そうです!目標を打倒するには攻勢あるのみ!」
「本当か…?」
「もちろんです!今こそ最大の好機!」
「……よしっ!」
ズダァァン!!と豪快に卓に杯を打ち付けるヤラミラ。さらに隣の部下の杯をひったくり勢いよく呷る。杯は一瞬で空になった。
「お、おぉ…」
杯を奪われた部下はその勢いに少しひいている。
「カラン殿…」
「大隊長…?」
「カラァァァン殿ぉぉ!!」
訓練広場にヤラミラの声が響いた。
「どこですかぁっ!」
完全に酔っている。
「大隊長!目標はあちらです!」
完全にカランの方を指差していた。あちらです、ではない。
「よおし!」
ヤラミラの視線がこちらを向くが、焦点があっていない。
「迎えか?」
ダーバルはつぶやいた。
「そう見えるか?」
「見えないな」
ヤラミラは軍靴の踵の音を響かせながらズンズンとこちらへ歩を進めてくる。
「いっけぇ大隊長!」
「第九大隊長が行ったぞぉ!」
ヤラミラが大声を上げたせいで注目の的になっていた。周囲からは野次が次々に飛んでいる。
「逃げるか?」
「無駄だな」
カランは深く息を吸った。ヤラミラはもう目の前だ。
「カラン殿!……ぅぁっ!!」
ヤラミラは盛大に石畳につまずいた。
「「「ああっ!!!」」」
部下たちの悲惨な声が響く。
「「「おぉぉ」」」
しかしその声はすぐに感嘆の声に変わった。
「ないすきゃっち?って言うのか?こういうのを」
「不可抗力だ」
ヤラミラは見事にカランの胸元へ飛び込み、カランもまたヤラミラを受け止めた。ヤラミラを避けることは簡単だったが、つまずいた酔っ払いをそのままにすれば大怪我していたかもしれない。カランに避けるという選択肢は、はなから封じられていた。ヤラミラが顔を上げる。
「…きゃらん殿」
「カランです」
「きゃらん殿には謝らないといけないことがあって…」
「今ではないですね」
ヤラミラは聞いていなかった。
「先日はおじいさまが申し訳なくぅ…」
「……はぁ…」
カランは深くため息をついた。ヤラミラの背中に左手を添え、右手で両膝を裏から持ち上げる。
「へぁ?」
「「「おおおぉぉぉっ!!!」」」
にわかに歓声が上がる。カランはヤラミラを抱きかかえたまま部下の面々の元まで向かった。
「第九大隊第一中隊の方々」
カランの瞳は鋭い。
「「「はい…」」」
面々の顔からは血の気が引いていく。
「飲ませるなとは言いません」
「「「…はい」」」
カランの声はあくまでも平静だ。
「別に大隊長で遊ぶなとも言いません」
「「「は、はい」」」
「あそぶぅ?」
バレている。ヤラミラをからかって遊んでいることがバレている。わかっていないのは生真面目なヤラミラだけだった。
「ですが。俺を巻き込むのはこれきりにしてください」
「「「申し訳ありませんでした」」」
第九大隊第一中隊の面々は縮こまってしまった。
「ヤラミラ殿はもう休まれた方がいい、このまま宿舎に運びます。副官殿、案内を」
「は、はい!」
副官が素早く立ち上がった。彼はヤラミラに一番酒を勧めていた人物だった。
副官に先導され訓練広場を去るカランの背中を見送りながら、ダーバルはまたもクツクツと笑った。
「面白いやつだな」
そう言って残り少なくなった杯を呷った。




