第十七話:異形種・毒尾
行軍は十三日目に入っていた。
その間、何もなかったわけではない。街道へ倒れ込んだ大木を工兵が切り分け、崩れた路肩に土を盛り、荷車の車輪がくぼみに落ちれば兵士総出で引き上げた。
夜には遠くでオオコウモリが鳴き、草原オオカミらしき影が野営地の外から窺っていたこともある。
だが戦闘と呼べるほどの出来事はなかった。多少の障害こそあれど行軍は順調に進んでいた。
「今日も良い天気ですね」
「そうですね」
「風も穏やかです」
「今のところは」
そしてヤラミラは相変わらずカランの隣を歩いていた。
初日は偶然だった。二日目も、偶然だったのかもしれない。三日目以降は、少なくともカランには判断がつかなかった。
ヤラミラは何かと理由を見つけてはこちらへ来た。術士兵団の隊列について、効果的な術士の戦術について、独立遊兵の運用について、カランがどの流派にも属していないことについて。どれも軍務や術士に関係する、至極真面目な話だった。邪険にする理由もないが、話を切り上げることは難しかった。
「昨日の火床の配置ですが」
「第二連隊が風上を取っていた件ですか」
「はい。煙が他隊全体へ流れないようにしたのだと思いますが、あれは戦団長の判断ですか?」
「いえ、おそらくは第二連隊長の独断でしょう。第二は索敵や周辺警戒を担いますから煙や匂いの流れには敏感です」
「なるほど、各々の裁量が広いのですね。少人数の術士兵団だからこそでしょうか」
「そういう面はあるでしょう」
ヤラミラは素直に頷いた。
学ぶ姿勢は悪くない。質問も的確で聞いた内容をすぐ自身の部隊へ反映している。それ自体は有益だった。
ただやはり、すぐに声が届く距離とはいえ隊長が自身の隊の元にいなくて良いのかとはカランは思う。それにわざわざカランに聞く必要もないだろう。他に質問に答えられる者は少なくない。隊の長同士、ダルミンに聞いてもいいし、先ほどの件だって第二連隊長のミラリ本人に聞けばいい。女性同士でしかできない話もあることだろう。
カランは視線を前へ向ける。街道の両脇には乾いた大地が広がっていた。背の低い草木がまばらに生え、赤茶けた土がところどころ露出している。その先には広大な平地がある。白く乾き、随所に細かいひび割れが走っていた。遠目には平原にも見えるが周囲よりわずかに低く、緑を描くように草木が生えていた。
「これが話に聞く幻の湖ですか」
ヤラミラが感慨深そうに言った。
「今は違います」
「今は?」
「今は乾いていますから。地面が窪んでいるのは見ればわかると思いますが、雨季になれば水が溜まり湖になります」
乾いた湖。乾季には水が失われ、広い湖底だけが残る。雨季になれば再び水を湛えるが、それまでは平坦な白い大地となる。
地図には湖として記されている。しかし実際に水があるかどうかは季節によって変わる。ゆえに幻の湖。
「ここまで来れば、キャンベラまでは二日ほどですね」
ヤラミラが地図を思い浮かべるように言った。
「順調に進めばそうですね」
カランはそう返す。
「順調に進んでいます」
それに対してヤラミラはそう返す。
「今のところはですが」
ヤラミラは少し顔をムスッとさせた。
「カラン殿はいつも最後に不穏な言葉を足しますね」
「何が起きるか分からない場所ですから」
「おっしゃる通りですが、さすがにもう少し楽観…というの違いますが、気を楽にしても良いのでは?」
「常に最悪の想定は必要です」
ヤラミラは困ったように笑った。が、その笑みが途中で消えた。
先頭を進んでいた斥候を務める術士が戻ってくる。身体強化を施して走る術士の足取りは速い。速すぎる。
「止まれ!」
斥候が叫んだ。
「前方異常あり!」
隊列の空気が変わった。ダルミンが片手を上げる。
「全隊停止!」
直後、ヤラミラも声を張った。
「全隊停止!荷車の間隔を詰めろ!」
兵士たちは即座に動き、荷車を街道の中央に寄せた。ダンゴムシ魔獣が棒で小突かれ鈍重に向きを変える。
カランは斥候へ目を向けた。
「何があった」
ダルミンが問う。
「先行した二名が戻りません。乾いた湖底に足跡があります。人のものではありません」
「鎧人か?」
「違います。細かい足跡が複数」
斥候は一度息を整え、声を張った。
「毒尾の可能性あり!足跡の密度から数は百を超える模様!」
ヤラミラの表情が固くなる。
「第一中隊、対異形種第二陣形!」
号令が響く。
兵士たちが荷車を中心に半円状に広がり、盾を持つ兵が前へ、長槍を持つ兵がその脇を固める。弓兵はその後ろで矢をつがえた。術士官たちは部隊の隙間に入り、術を練り始める。
第一戦団も同時に動いていた。第一連隊が前方へ。第二連隊は左右に散開し、乾いた湖底と街道脇の低木を警戒する。第三連隊は中央へ集まり、火力を集中できるように間隔を取る。第四連隊は補給隊の周囲をがっちりと囲んだ。
「カラン」
ダルミンが呼ぶ。
「いつも通りだ。だが温存はしとけよ」
「承知しました」
ここはキャンベラではない。本番はまだ先だ。
白い湖底を乾いた風が撫で、細かな砂塵が流れていく。何も見えない。だが何もいないわけではない。
「来るぞ!」
第二連隊の術士が叫んだ。
湖底の縁、低い土手の向こうから茶褐色の影が跳び出した。
一体、二体、五体、十体、さらに増える。
続いて左右の枯れた低木からも影が溢れる。
人に似た上半身。節状の二本腕。背から展開された鋏のような巨大な腕。人の脚に似た二本脚の他に、腰部分から伸びる二対四脚の節脚。そして、尾骶骨の辺りから反り上がる長い尾。その先端には黒く鋭い鉤爪がある。
「毒尾!」
兵士が叫ぶ。通称、尻尾持ち。軍用呼称、毒尾。
人類がそう呼ぶ異形の民。乾燥地帯や岩場を放浪し、定住地を持たず、群れ単位で移動する。その姿がサソリを思わせることから蠍人と呼ぶ者もいる。正面から押しつぶす鎧人とは違う。毒尾は早い。通常時は人に似た二本脚で歩くが、戦闘時には腰部分から二対四脚を展開する。
毒尾の群れは六本の脚で地面を蹴り、低い姿勢のまま一気に距離を詰めてきた。
「前列構えろ!弓兵構え!術士も合わせろ!」
ヤラミラの号令。槍の穂先が揃い、弦が引き絞られる。
毒尾たちは止まらなかった。乾いた湖底を走り、白い砂を巻き上げながら迫る。
「放て!」
弓が飛ぶ、火術が飛ぶ。矢が巨大な鋏に突き刺さり、火球が湖底へ落ち茶褐色の体を吹き飛ばす。土術によって地面から石の杭が突き出し、一体が腹部を貫かれ別の一体が寸前で横へ飛んだ。
速い。
人類の兵士が追える速度ではない。毒尾の一体が槍列の手前で急停止し、直後、横へ滑るように移動した。
「右だ!」
兵士が振り向くより早く巨大な鋏が盾を上から挟み込んだ。木と金属の盾が軋み、そのまま兵士ごと引き倒す。反り上がった尾が落ち、黒い鉤爪が肩口へ突き刺さった。
「ぐああああっ!」
悲鳴。
「このっ!」
周囲の兵士が槍を突き出したが、毒尾は刺した尾を引き抜き槍の合間を縫うように後退した。
「負傷者を下げろ!傷口を縛れ!毒を回すな!」
ヤラミラが指示を飛ばす。刺された兵士は数人に抱えられ後方へ引きずられていった。毒尾の毒で即死はしない。だが、激痛と筋硬直を伴う猛毒だ。処置を誤れば生存率にかかわる。
「多い!百どころじゃねぇな!」
バルドが叫ぶ。湖底の向こうにはさらなる影が見て取れる。
百五十。いやそれ以上か。群れは横へ広がり、人類側の側面へ回り込もうとしていた。
「第二連隊!左を止めろ!」
ミラリが手を振り、風が唸った。砂塵が舞い上がり側面へ走っていた毒尾たちの視界を奪う。直後、第二連隊の火術士が術を放った。砂塵の中で火が爆ぜ、悲鳴とも甲殻の軋む音とも判別つかない音が響いた。
「第三連隊、中央を焼け!」
タルガンの号令。複数の火術が重なり、街道正面に炎の壁が生まれる。毒尾たちは突っ込まない。炎を見るなり右へ左へと散り、火の薄い場所を探して走る。
「鎧人とは全然違うな!」
バルドが一体の鋏を土の壁で受け止めながら叫ぶ。
「見ればわかります」
カランは右手を構える。正面から一体、六本脚で地面を蹴り低い姿勢のまま迫っていた。背部の鋏が開き、尾が高く持ち上がる。カランは動かない。
毒尾が飛び跳ねる。
「KISYAAAA !!!!!」
顔立ちは人とそう変わらない毒尾の口部が割れ、頬から大顎が開き、異形の相貌をあらわにする。そして耳障りな威嚇を撒き散らした。風が乗り過ぎた高い跳躍だった。
それに対し、カランは一歩踏み込む。それだけで毒尾の鋏は空をはさみ、尾の鉤爪は地面をえぐった。
カランの指先に小さな火が灯る。毒尾が着地する寸前に指を弾くようにして火を飛ばした。指先の火は火花を散らしながら連なるようにして毒尾の元へ殺到し、異形の身体を包み込むように焼いた。
紅蓮の閃光。
断末魔はない。異形の身体が地面に転がった。毒尾は死後反射により脚を痙攣させ、そのまま動かなくなった。
毒尾の群れはまだその数を増やしている。カラン次なる標的を見据えた。




