第7話:翻訳者の恫喝
ソル・ガルド公国の黄金騎士たちが「黒の軍勢」の鉄錆と消えた翌朝。
フェリデ城の謁見の間は、耳が痛くなるほどの沈黙に支配されていた。 窓から差し込む冬の陽光が、玉座に深く腰掛けたアルトリアスの横顔を白く照らしている。彼の足元には、ソル・ガルドの特使が持参し、踏みにじられた「調停案」の残骸が散らばっていた。
「……フェリデ公よ。これは、あまりに、あまりに無謀ではないか!」
沈黙を破ったのは、軍事評議会の最長老、ボリス卿の震える声だった。
「大国の使者を斬り捨て、その遺体を門に晒すなど、狂気の沙汰だ! これでは全土がソル・ガルドの業火に焼かれる! 今すぐバルカス卿を解放し、謝罪の使者を送らねば、我が国の伝統も、誇り高き騎士の家系も途絶えてしまう!」
老臣たちが次々と同調し、喧噪が広間を埋めていく。彼らはアルトリアスの沈黙を、事の重大さを理解していない「愚者」の硬直だと決めつけていた。
アルトリアスはゆっくりと目を開けた。彼の「概念視」は、老臣たちの血管を流れる焦燥と、袖の中に隠された不当な財の「歪み」を捉えていた。
「……バルカスの、金庫。……三番目の、仕切り」
アルトリアスが発した断片的な言葉。その瞬間、彼の隣に立つフェリシテが、まるで冷たい風が吹き抜けるような美しき笑みを浮かべて一歩前へ出た。
「皆様、閣下はこう仰っているのよ。――『伝統だの誇りだのと言う前に、他国にこの地を売り飛ばして得た、その懐の金貨を吐き出せ』とね」
フェリシテが合図を送ると、シオンが音もなく現れ、老臣たちの目の前に重い革袋を叩きつけた。中から溢れ出したのは、フェリデの刻印ではなく、ソル・ガルド公国の太陽の紋章が刻まれた金貨だった。
「ひっ……!」
「ボリス卿、アンタの言う『伝統』とは、自国の領民をソル・ガルドの奴隷市場に売る許可証のことかしら?」
フェリシテの氷のような声が、広間を凍りつかせる。彼女は老臣たちの背後を歩きながら、その首筋に冷たい指先を這わせた。
「この証拠が広まれば、アンタたちの一族は『家系が途絶える』どころか、反逆者として歴史から抹殺されるわ。……どちらが賢明かしら? 今すぐこの場で閣下の新制度を全面的に支持するか。それとも、あそこの門にソル・ガルドの連中と一緒に並ぶか。……三秒で答えなさい」
老臣たちは、フェリシテの瞳に宿る「毒蛇」の冷酷さに気圧され、崩れるようにその場に跪いた。
その時、広間の扉が地響きのような音を立てて開け放たれた。 重厚な鉄の長靴が石床を叩く。現れたのは、フェリデ公領最強の猛将にして、弟ジュリアンの後見人、ダナ・ガランであった。 その体躯は熊のように巨大で、背負った大斧は幾千の敵の血を吸ってきた重みを放っている。
「――そこまでだ、ガレリアの毒婦!」
ダナの声は、広間の空気を震わせるほどに重厚だった。彼はアルトリアスの前に立ち、その大斧を床に叩きつけた。
「アルトリアス殿。貴公のやり方は、武人の道に外れている。名誉あるソル・ガルドの騎士を闇討ち同然に葬り、さらには先代より仕える臣下を恫喝するなど、正気の沙汰とは思えん! 貴公はフェリデの魂を汚したのだ!」
アルトリアスは、ダナの怒りを、感情ではなく「質量と熱量」として冷徹に観測した。
(……高い純度。……旧い、力)「……強いな。ダナ。……だが、遅い」
「何だと……!?」
「……お前の斧は、一人を殺すには十分だ。……だが、海を拓くには、あまりに重すぎる」
アルトリアスはそれ以上何も語らず、ダナに反論の機会すら与えずに席を立った。フェリシテに政務の全権を預けるような無言の頷きを残し、彼は広間を去る。
ダナ・ガランの拳が、みしりと音を立てて握りしめられた。
「……愚者と侮っていたが。あれは、もはや人の目ではない。……ジュリアン様、あの方は、我らの知るフェリデを焼き尽くすおつもりだ」
その後、アルトリアスとフェリシテは城の地下深く、厳重に閉ざされた極秘工房にいた。 そこには、アルトリアスが描いた精密な図面と、細長い鉄の筒が置かれている。
「……アルト。アンタが言っていたこれ、本気で作らせるつもり?」
フェリシテがその鉄の筒を手に取った。
「魔法は、血筋と天賦の才を持つ者だけが扱える神聖な力。それがこの世界の、一千年の絶対的な理よ。魔法を持たぬ平民を兵士にしても、騎士の一撃で塵になるわ」
「……魔法を、個人の素養から切り離す」
アルトリアスは、図面の中央に描かれた複雑な魔法回路を指差した。
「……引き金を引けば、回路に蓄えられた魔石のエネルギーが、『爆縮』の数式に沿って解放される。……弾丸を、高速で撃ち出すだけの、単純な機械だ。……そこに、射手の魔力量は関係ない」
フェリシテは、背筋に走る戦慄を覚えた。 これまでの戦争は、強力な魔導を持つ貴族が、持たざる者を蹂躙する一方的な虐殺だった。だが、この「筒」があれば、十年の修行を積んだ騎士が、昨日まで鍬を握っていた農民の指先一つで射殺されることになる。
「……才能の、民主化。……修練も、血統も、不要になる。……数さえ揃えば、一人の天才騎士を、百人の凡人が屠る。……それが、私の望む『効率』だ」
「……恐ろしい男ね、本当に」
フェリシテは、その鉄の筒を愛おしそうになぞった。
「魔法をそんな風に道具に成り下げ、階級そのものを破壊するなんて。……でも、面白いわ。ガレリアの回路技術を注ぎ込めば、この『魔導銃』の量産化は可能よ」
フェリシテは、アルトリアスの隣に立ち、その瞳を見つめた。
「でもね、アルト。これは禁忌よ。騎士たちは、自分たちの存在価値を奪うこの兵器を、決して認めないわ。世界中の貴族を敵に回すことになる」
「……だから、お前が必要だ。……反対する声を、すべて黙らせろ」
「……ふふ。悪役(魔王の妃)の仕事、ますますやり甲斐が出てきたわね」
二人は薄暗い工房の中で、言葉を超えた「共犯」の笑みを交わした。
一方、城の西棟では、ダナ・ガランがジュリアンを前に、固い決意を口にしていた。
「ジュリアン様。私は、あの『魔王』を討ちます。古き良きフェリデの誇りを取り戻すために」
新旧の時代の激突が、静かに、しかし確実に牙を剥き始めていた。




