第6話:鉄の規律、黒の統一
雪が止んだフェリデ城の正門を、眩いばかりの光が通り抜けた。 隣国の大国――ソル・ガルド公国からの特使、カスティール伯爵率いる騎馬隊である。彼らの鎧は洗練された黄金の装飾が施され、マントは最高級の深紅の絹で作られている。
「……趣味が悪いな。戦場では、格好の的だ」
城壁の銃眼からその様子を見下ろしていたアルトリアスが、吐き捨てるように呟いた。傍らに立つフェリシテは、扇で口元を隠しながら優雅に微笑む。
「あら、あれが『文明国』の誇りというものよ。自分たちが太陽に近い存在だと信じている、おめでたい方々。……お義母様、なりふり構わずあんな派手な飼い主を呼び込むなんて」
謁見の間。 母イザベラは、玉座の隣でソル・ガルドの特使を最高の礼遇で迎えていた。特使カスティールは、アルトリアスの前に立っても頭を下げようとはせず、値踏みするような視線を向けた。
「フェリデ公、突然の弔問と調停の申し入れ、失礼いたす。……だが、先代オズワルド殿の急逝に続き、重臣バルカス卿への不当な拘束。この地の動乱は、我がソル・ガルドの安寧をも脅かしかねん」
カスティールが仰々しく羊皮紙を広げる。
「我が公国の主、ソル・ガルド大公の意向である。バルカス卿の即時解放、および国境付近の緩衝地帯を、我が公国の管理下に置くこと。さすれば、貴公の公爵位継承を我が国が公式に支持しよう」
それは「調停」という名の、明白な属国化の要求だった。 イザベラが満足げに頷く。ソル・ガルドの威光を借りれば、息子アルトリアスを「自分たちの言いなりになる傀儡」へと戻せると信じているのだ。
沈黙。 アルトリアスは、カスティールが差し出した書簡に目を通すことすらせず、ただ冷徹に、その男の喉元にある魔力の脈動を凝視していた。
「……条件は、それだけか」
「左様。寛大な処置だと……」
「……帰れ」
短い、氷のような拒絶だった。カスティールの顔が、屈辱で朱に染まる。
「な、何だと……!? 我が公国の好意を、無礼にも撥ね付けるというのか!」
「……他国の介入を『好意』とは呼ばない。……それ以上喋るなら、その舌を黄金で固めて門に吊るすことになる。……失せろ」
アルトリアスが立ち上がると、広間の空気が物理的な圧力を伴って凍りついた。カスティールは、目の前の青年が「愚者」などではなく、自分たちの理解を超えた「何か」であることを本能で察し、震えながら後退した。
特使を追い出した後、アルトリアスは城の中庭に、領内の主要な騎士たちを集めていた。
そこには、バルカスの襲撃を静観していた、保身に走る古参の騎士たちも含まれている。彼らは自分たちの「家柄」と「騎士道」を誇り、新参のフェリシテを蔑んでいた。
アルトリアスは、中庭の中央に積まれた山を指差した。 そこには、騎士たちが命よりも大事にしている、色鮮やかな家紋入りの盾や、装飾の施されたマントが山積みにされていた。
「これらは、すべて捨てろ」
騎士たちに、戦慄が走った。
「若殿! それはどういう意味だ! この盾の紋章は、我が家が三代にわたって……!」
「……三代かけて、負け方を学んできたのか」
アルトリアスの冷たい声が、騎士の叫びを遮った。
「家柄が戦うのではない。機能が戦うのだ。お前たちのその華美な飾りは、戦場では『ここを突け』という目印に過ぎない。……私の戦場に、個人の誇りなど不要だ。必要なのは、一個の巨大な機械としての『絶対服従』のみ」
アルトリアスが合図を送ると、レオたち若手小姓が、新しい軍装を運び込んできた。 それは、一切の装飾を排し、艶消しの黒一色で塗装された機能的な鉄甲冑だった。
「これより、我が軍は黒一色に統一する。……家紋も、名前も、過去も。すべてをこの黒で塗りつぶせ。……従えぬ者は、今すぐこの城を去れ。ただし、その後に待つのはソル・ガルドの奴隷としての生活だ」
騎士たちは、アルトリアスの背後に立つフェリシテの視線に気づいた。
彼女の手には、シオンたちが持ち帰ったバルカスとの「内通の証拠」が握られている。従わねば、死。従えば、家名を捨てた影となる。
屈辱に震えながらも、一人の騎士が盾を投げ捨てた。続いて、もう一人。 ガシャン、という金属音と共に、フェリデ公領の「古い騎士道」が崩れ落ちていく。
その夜。城の地下広場には、黒一色の甲冑に身を包んだ、異様な集団が整列していた。
個人の個性を消し去り、影のように沈黙するその軍勢は、月明かりの下では実体のない亡霊のようにも見えた。
「……アルト。アンタ、本当に徹底しているわね」
フェリシテが、その黒い波を眺めながら、アルトリアスの隣に立った。
「あの方々の顔から『誇り』が消えて、代わりに『恐怖』と『規律』が宿ったわ。これこそ、アンタが求めていた色かしら」
「……色など、どうでもいい」
アルトリアスは、初めて黒い重装甲に身を包んだレオを見つめた。
「……ただ、この黒が、ソル・ガルドの黄金を飲み込むのに最も適しているだけだ」
「ふふ、いいわ。表の軍勢が黒く染まるなら、私は裏をさらに深く、真っ暗に染めてあげる」
フェリシテは、マルタから受け取った報告書をアルトリアスに見せた。
「ソル・ガルドの使者カスティール、城内の反アルト派と接触して、今夜にもアンタを強襲するつもよ。……自分たちが正義の調停者だと、本気で信じているようね」
「……標的が、自ら動き出す。……手間が省けた」
アルトリアスは腰の剣の鯉口を、親指で静かに切った。
「……レオ。……準備は?」 「はい、公爵閣下。……黒の第一小隊、いつでも」
レオの返答は、以前のような震えを含んでいなかった。それは、感情を排した一つのパーツとしての、冷徹な響きだった。
城外、ソル・ガルドの宿営地。 「あの小僧……! 黄金の盾に、泥を塗りおって!」 カスティール伯爵が、怒りに震えながら剣を磨いていた。
「公爵夫人との約束だ。今夜、城内の内通者が門を開ける。そのまま『愚者』の首を獲り、この地を大公閣下へ捧げるのだ!」
黄金の鎧を纏ったソル・ガルドの騎士たちが、夜の帳を突いて動き出す。彼らの放つ魔力光は、暗闇の中で松明のように明るい。 だが、彼らが門を潜った瞬間、そこには異様な静寂が待ち受けていた。
「……何だ? 誰もいないのか?」
カスティールの問いに答えたのは、風の音ではなかった。 カツン、という、冷たい金属が石床を叩く音。 周囲の影から、音もなく現れたのは、背景の闇に溶け込んでいた「黒い壁」だった。
「……これ、は……」
ソル・ガルドの騎士たちが慌てて抜剣する。しかし、黄金の鎧が放つ反射光は、黒い鉄の壁にすべて吸い込まれてしまう。 どこから攻撃が来るのか、敵が何人いるのかすら分からない。
「……殲滅だ。……殺戦開始」
アルトリアスの低い声が、どこからともなく響いた。 次の瞬間、黒い影が一斉に動き出した。それは、一対一の決闘ではない。数人の「黒」が、一人の「金」を機能的に包囲し、死角から、もっとも効率的な角度で刃を突き立てる、残酷なまでの「作業」だった。
「ひ、卑怯な……! 騎士の戦いではない……!」
カスティールの悲鳴に、屋根の上からフェリシテの冷笑が降り注ぐ。
「ええ、そうよ。これは騎士の戦いじゃないわ。……覇王が、邪魔なゴミを片付けているだけ。……アンタたちの黄金、この闇の中でよく映えるわね」
一晩の内に、ソル・ガルドの精鋭騎馬隊は全滅した。
翌朝、フェリデ城の門には、黄金の鎧をすべて剥ぎ取られ、黒い布を被せられた遺体が、整然と並べられていた。
それは、アルトリアスからソル・ガルド本国へ向けた、言葉を超えた宣戦布告であった。
「沈黙の覇王」と「黒き軍勢」。その名が大陸に知れ渡るまで、あとわずかであった。




