第3話:銀鱗、城を駆ける
朝食会での「祝杯」という名の暗殺未遂を切り抜け、自室へと戻ったアルトリアスとフェリシテは、即座に重い扉を閉ざした。
フェリシテが慣れた手つきで指先を空中に躍らせると、部屋の四隅に細い魔力の糸が張り巡らされる。外部からの盗聴と探知を遮断する、ガレリア家秘伝の防音結界だ。
「……助かったわ、アルト。まさかお義母様があれほど露骨な手を打ってくるとはね」
フェリシテは椅子に身を沈め、深紅のドレスの裾に付着したワインの染みを忌々しげに見つめた。アルトリアスは窓辺に立ち、中庭を警戒するように見下ろしながら応える。
「……あれは、お前を殺すためだけの毒ではない」
「え?」
「あのワインに含まれていた魔力反応の波長……。父上が亡くなった直後に私が視た残渣と、完全に一致している」
アルトリアスの言葉に、フェリシテの瞳が鋭く細められた。
「……つまり、お義母様は先代公爵を殺したのと『同じ毒』を私に盛ったというわけ? それが事実なら、あまりに不用心ではないかしら」
「いや、逆だ。母上は確信しているのだ。お前がその毒で死ねば、世間は『ガレリアから来た毒蛇の娘が、先代を殺したのと同じ毒を用いて現公爵をも害そうとした』と信じる。父上の死すらも、後付けでお前の、ひいてはガレリアのせいにできるという寸法だ」
アルトリアスの声は、どこまでも冷徹だった。母イザベラは、かつての夫を殺した凶器を、今度はその息子の嫁を陥れるための「証拠」として再利用しようとしたのだ。
「なるほど、お生憎様ね。そんな台本、最後まで読ませるつもりはないわ」
フェリシテは立ち上がり、アルトリアスの背中に歩み寄った。
「アルト、アンタのその『目』があれば真実は視える。けれど、この城の壁の裏に隠された物証を掴むには、アンタの公的な騎士たちを動かすわけにはいかない」
「わかっている。私には、影が必要だ」
「ええ。だから紹介するわ。私の――いいえ、今日からは『私たち』の手足となる者たちを」
フェリテが短く指を鳴らした。 すると、部屋の隅の影が不自然に揺らぎ、二つの人影が霧の中から染み出すように姿を現した。
一人は、中性的な顔立ちに鋭い眼光を宿し、銀の髪を短く切り揃えた女戦士。もう一人は、まだ幼さの残る風貌ながら、猫のようなしなやかさで無音の着地を決めた少年だ。
「私の右腕、シオン。そして情報の猟犬、カイよ」
二人は音もなくアルトリアスの前に跪いた。その所作には、フェリデの騎士たちが誇る重厚な武勲ではなく、標的を確実に仕留めるためだけに磨き上げられた「機能美」があった。
「……ガレリアの影、銀鱗衆か。良い動きだ」
アルトリアスの瞳が、二人の重心の置き方や魔力の流れを瞬時に解析する。
「シオン、カイ。今夜から、アンタたちの主は二人よ。アルトリアス様が望む『真実』を、地獄の底からでも掘り起こしてきなさい。乳母のマルタも後方で支えるわ」
フェリシテの言葉に、シオンが静かに頭を垂れた。
「御意。……姫様、そしてアルトリアス様。我ら、これより貴方様の欠けた『手足』となります」
アルトリアスは一歩前へ出ると、二人を見下ろして低い声で命じた。
「……母上の懐刀、重臣バルカスの隠し書庫だ。父上が亡くなる直前に、奴と母上の間で交わされた書簡があるはずだ。毒の調達経路と、その罪をガレリアになすりつける算段を記した……『死の台本』を奪ってこい」
「承知いたしました」
シオンの声が消えるのと同時に、二人の影は再び闇に溶けるように消失した。
城の回廊を、二つの影が風よりも速く駆け抜ける。鎧の擦れる音も、足音もない。フェリシテの糸魔法による「遮音」の加護を受けた彼らにとって、厳重な警備も網目の粗いザルに過ぎなかった。
保守派の筆頭、重臣バルカスの私室。 イザベラの軍師役とも言われるこの男の書庫で、シオンは微かな「甘い香り」を嗅ぎ取った。それは、北のガレリア領でのみ産出される、神経を麻痺させる毒草の残り香。
「……あったよ、シオン姉。これだ」
カイが隠し壁の裏、巧妙に偽装された引き出しから、琥珀色の小さな瓶と、数枚の書簡を取り出した。
シオンが書簡の内容を素早く改める。そこにはイザベラの署名と共に、戦慄すべき指示が記されていた。
『毒はガレリアの商人を経由して手配した。この毒を保管しておけ。将来、ガレリアから来る娘を始末する際、この毒が彼女の持ち物から発見されるように仕向けるのだ』
「……吐き気がするね。主君を殺して、その罪を他国に売るなんて」 カイの呟きが、夜の静寂に沈む。
「感傷は捨てなさい。これがアルトリアス様の求めていた『証拠』よ。――引くわよ」
証拠を懐に収め、脱出しようとした瞬間。
「――そこまでだ、ネズミ共」
回廊の闇から、黒い装束に身を包んだ集団が立ちふさがった。イザベラが密かに飼っている私兵暗殺団『鴉』。
月明かりが差し込む石造りの回廊で、音のない死闘が始まった。
『鴉』の放つ投げナイフを、シオンは紙一重でかわし、逆手に持った短剣で敵の喉を裂く。
「カイ、先に行け。ここは私が止める」 「わかった。……死ぬなよ!」
シオンの指先が、空中に残されたフェリシテの「魔法の糸」を掴んだ。 糸がピンと張り詰め、敵の四肢を絡め取る。自由を奪われた暗殺者たちに、シオンの銀の刃が冷酷に閃いた。
一人、また一人と物言わぬ屍に変えていくその姿は、まさに柳生一族が誇る裏の執行者のようであった。
夜明け前。アルトリアスの私室。 カイが持ち帰った密書と毒の瓶を前に、アルトリアスとフェリシテは向き合っていた。
「……揃ったな。母上と重臣たちが、父上を殺し、さらにその罪をガレリアに着せようとした動かぬ証拠だ」
アルトリアスが、密書を指先でなぞりながら冷たく笑った。
「お義母様も、なかなかドラマチックな台本を書くじゃない。自分たちの主を殺した凶器を、私への『歓迎の品』にするなんて」
フェリシテは、毒の瓶を光に透かし、愛おしそうに眺めた。
「でも、これで駒は揃ったわ。アルト、この『証拠』をどう使う?」
アルトリアスは、まだ誰もいない中庭の向こう、かつて父が愛した政務室を指差した。
「……バルカスを潰す。奴の領地と財産を没収し、それを第一の軍資金とする。伝統に固執する重臣の屍の上に、新しい時代への礎を築く」
「素敵。……アンタの冷徹さ、嫌いじゃないわよ」
二人の視線が重なり、沈黙の中で熱い火花が散った。 「愚者」の仮面を脱ぎ捨てる日は近い。その時、この城は血と黒い鉄の匂いに包まれることになる。
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