第20話:女王の敗北
「……ふぅ。まだ少し、喉の奥がチリチリするわね」
南方要塞を望む本陣。
フェリシテはマルタが淹れた薬湯を一口飲み、銀の髪をかき上げた。
彼女の喉元には、自ら呪いを引きちぎった際の生々しい傷跡が残っている。
だが、その瞳にはかつてないほどの覇気と、隣に座るアルトリアスへの隠しきれない「所有権」が宿っていた。
「フェリ。無理はするな。……まだ、声が掠れている」
「誰のせいでこうなったと思ってるのよ、この分からず屋。いい、アルト? 私の声は、アンタの言葉を世界に届けるための唯一の楽器なの。少しくらいの傷、気合で治るわ」
フェリシテはアルトリアスの頬をツンと突き、不敵に微笑む。その背後では、影のように控えていたシオンが銀髪をなびかせ、静かに剣の柄に手をかけた。
「姫様。準備は整っております。……閣下、ガレリアの影が道を切り拓きましょう。貴方はただ、あの女に引導を渡すことだけをお考えください」
シオンの冷徹な言葉に、アルトリアスは短く頷いた。
「……ああ。……行くぞ」
南方要塞。
イザベラが最後に頼ったその城壁は、ソル・ガルド製の幾重にも重なる魔導障壁に守られていた。
だが、攻め寄せる「黒の部隊」の士気は、これまでの戦いとは一線を画していた。
「全軍、聞きなさいッ!!」
戦場に、凛としたフェリシテの声が響き渡る。魔導具で増幅されたその声は、単なる命令ではない。
アルトリアスの冷徹な戦術に「大義」と「熱」を吹き込む、魔法の旋律だった。
「公爵閣下の数式は、誰一人として無駄死にさせないための慈悲よ! 臆することなく突き進みなさい! その一歩が、腐った旧時代を焼き払う光になるわ!」
兵たちは咆哮を上げ、盾を掲げた。 アルトリアスの「概念視」が障壁の継ぎ目を見抜き、それをフェリシテが即座に「言葉」として兵たちに最適化して伝える。
「今よ! 右翼第三隊、座標四四一へ突撃! 壁はすでに、紙細工も同然よ!」
シオンが影を駆けるように先陣を切り、障壁の基部を斬り裂く。
「……邪魔だ」
シオンの双剣が閃くたび、守備兵たちは成すすべなく崩れ落ちた。
最強の「演算機」と「翻訳者」、そして「執行者」。
三位一体となったアルトリアス軍の前に、難攻不落の要塞は瞬く間にその門を開いた。
要塞の最深部、静まり返った謁見の間。
そこには、黄金の鎧を血と泥で汚し、必死に剣を構えるジュリアンの姿があった。
その背後、玉座に深く腰掛けたイザベラは、もはや正気とは思えぬ虚ろな笑みを湛えている。
「兄上……! 戻ってください! そのガレリアの女が、貴方を狂わせたんだ!」
ジュリアンの叫びが、虚しく響く。アルトリアスは無言で歩み寄り、抜剣した。
「ジュリアン。……お前の視ている兄は、母上が見せている幻影だ。……母上は、この国を、自分の人形にするための呪いをかけたんだ」
「黙りなさいッ!!」
イザベラが立ち上がり、絶叫した。
「私の愛が、見立てが間違っているはずがないわ! アルトリアス、貴方は欠陥品だったのよ! 感情も持たず、私の言葉に従うだけの道具であれば良かったのに……!」
イザベラの手が、玉座に隠されていた「自爆石」へと伸びる。 ソル・ガルド製の禁忌。発動すれば、周囲が魔力の灰に消える。
「させないわよ。お義母様」
フェリシテが一歩前へ出る。
彼女の手から放たれたガレリアの魔導鎖が、イザベラの腕を縛り上げ、魔力の供給を断った。
「アンタの書いたシナリオは、もう期限切れ。……アルト、やりなさい」
アルトリアスは、ゆっくりと母に歩み寄った。
「……母上。……もうお終いです。このままではあなたもジュリアンも殺すことになる」
「あ……あぁ……っ!」
イザベラは崩れ落ちた。彼女はただの、老いた、孤独な女へと戻る。
「兄……上……」
剣を落としたジュリアンが、呆然とアルトリアスを見つめる。
アルトリアスは弟の肩を、一度だけ強く叩いた。
「……ジュリアン。……お前は、お前の正義で立て。……私は、魔王としてこの国を再建する」
要塞の外では、朝日が昇り始めていた。
骨肉の争いは終わった。だが、その代償としてアルトリアスは実の家族を、そして「優しい人間」としての平穏を完全に失った。
フェリシテは、勝利に沸く兵たちの喧騒から離れ、独りバルコニーで風に吹かれるアルトリアスの隣に立った。
「……終わったわね。アルト」
「……ああ。……フェリ。……ありがとう」
アルトリアスが、掠れた声で呟く。
フェリシテは、彼の手をそっと握った。その手は、冷たい。だが、もう震えてはいなかった。
「お礼なんていらないわよ。言ったでしょう? アンタの隣には、私がいなきゃダメなんだから。……さあ、帰りましょう。私たちの『本当の城』へ」
二人の前には、ソル・ガルド公国へと続く広大な国境線が広がっている。
内戦は終わった。だが、真の覇道、そして「外敵」との戦いは、ここから始まるのだ。




