第19話:魔王の哄笑
回廊を埋め尽くしたソル・ガルド公国の太陽騎士団は、逃げ場のない「火の檻」の中にいた。 左右の丘から放たれる魔導銃の十字火網は、かつての栄光を象徴する黄金の鎧を、紙細工のように無慈悲に穿っていく。
「怯むな! 盾を、障壁を張り直せッ!」
大将ガルバが怒号を上げるが、すでに指揮系統は崩壊していた。混乱の極致にある敵陣を切り裂き、黒い一閃が奔る。 先頭に立つのは、返り血を浴びてなお、一片の感情も乱さぬアルトリアスだ。
「……終わりだ、ガルバ」
アルトリアスの放った剣が、ガルバが必死に展開した魔導障壁の「節」を正確に貫く。概念視で捉えた最小の力による、最大の破壊。 絶叫を上げる間もなく、漆黒の刃がガルバの首を凪いだ。
その瞬間、戦場から音が消えた。
アルトリアスは馬上で、討ち取った大将の首を高く掲げた。 そして、彼は天を仰ぎ――笑った。
「はは……ははははは! 見ろ、ソル・ガルドの誇りが、泥に塗れて転がっているぞ!」
それは、今まで誰も聞いたことのない、狂気に満ちた哄笑だった。 低く、しかし戦場全体に響き渡る不気味な声。勝利を喜ぶ声ではない。敵を呪い、己の魂を削るような、呪詛に近い響き。 兵たちは息を呑んだ。かつての寡黙な覇王ではない。そこにいるのは、殺戮を愛し、死を弄ぶ「魔王」そのものだった。
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2. 鋼鉄の進撃
「……次だ。ダナ、合流する」
笑い声が止んだ途端、アルトリアスは再び無機質な無表情に戻り、馬を駆った。 返り血で黒いマントが重く濡れている。彼はそのまま、弟ジュリアンとダナ・ガランが対峙する丘陵地へと、一陣の風となって現れた。
「閣下……! そのお姿、まさかガルト軍を……!」
「追撃禁止」を律儀に守り、小競り合いを続けていたダナは、現れた主君の凄惨な姿に絶望的な戦慄を覚えた。敵将の首を鞍にぶら下げ、目だけが爛々と輝いている。
アルトリアスはダナの返答を待たず、単騎で旧フェリデ騎士団の陣へと突っ込んだ。
「……邪魔だ。消えろ」
それは、弟の軍に対する情けなど微塵も感じさせぬ、苛烈な突撃だった。 アルトリアスの剣は、ジュリアンの旗本たちを次々と薙ぎ倒していく。実際には、致命傷を避け、剣の腹で叩き伏せる精密な立ち回りだ。だが、それを見守る者たちの目には、実の弟の軍を慈悲なく蹂躙する怪物の姿にしか見えなかった。
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3. 兄弟の決別
「兄上……。兄上なのか……!?」
黄金の旗印の下で、ジュリアンは震えていた。 目の前にいる男は、かつて自分に剣の手解きをしてくれた優しい兄ではない。 血の臭いを漂わせ、狂ったように笑い、敵の首を掲げたという「魔王」だ。
「……ジュリアン。……お前の『正義』は、この程度か。……退け。さもなくば、母上共々この地に埋める」
アルトリアスの声は、どこまでも冷たく、無機質だった。 その瞳の奥に宿る「絶望的なまでの合理性」を、ジュリアンは「人間性の喪失」と受け取った。
「……化け物だ。兄上は、本当に魔王に魂を売ってしまったんだ!」
「ジュリアン様、お逃げなさい! これ以上は無意味です!」家臣の悲鳴に近い促しに、ジュリアンの心は完全に折れた。 主力を失い、兄の変貌に当てられたジュリアン軍は、戦う前に敗北を悟った。彼らは屈辱と恐怖にまみれ、南方の要塞へと敗走を開始した。
アルトリアスは、逃げていく弟の背中を、ただ黙って見つめていた。 それは、一人の死者も出すことなく、弟の戦力を温存させ、戦場から排除するという「最も困難な方程式」の解だった。
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4. 翻訳者の叫び
勝利の勝ち鬨が、カストール平原に響き渡る。 兵たちが「魔王」の武勇に酔いしれる中、アルトリアスは独り、物陰で馬から降りた。
「……ぅ、……がはっ!」
彼は膝をつき、激しく嘔吐した。 震える手が、自分の顔についた他人の血を拭おうとして、余計に赤く染めていく。 高笑いなどしたくはなかった。首など掲げたくはなかった。 だが、そうしなければ弟を救えなかった。自分自身が「最低の怪物」になることでしか、この国の未来を守れなかった。
「……あ、…………」
声にならない呻きが、彼の唇から漏れる。 その背中は、あまりに小さく、脆かった。
戦場で刃を振るい指揮を執るのは初めてだった。
これまで何万回もシュミレーションしてきて、側近たちと演習はしてきた。
その甲斐もあり、自軍は機能的に動いてくれた。だが――。
人を殺すのは初めてだった。その感触が手に残っている。
人を切り裂き、突き殺した生々しい感触。こればかりはどれほど計算し、シュミレーションしても及ばないものだった。
脳裏によみがえる真っ赤な血飛沫と断末魔の悲鳴。
憎悪をむき出しに迫る敵、それを激しい怒りと憎悪でねじふせる。
「これは……地獄だ……。今日、私は地獄を見た……」
血みどろの我が手を見て震える。
「……この、大馬鹿アルト!!」
背後から、一陣の魔力の奔流が押し寄せた。 馬車を飛び出し、戦場を駆けてきたフェリシテだ。 彼女の喉には、今も黄金の呪印が脈動し、激痛を与えている。だが、目の前でボロボロになって震えている夫の姿が、彼女の理性を焼き切った。
「独りで……っ、独りで全部背負って、勝手に傷ついて……! アンタのどこが、覇王なのよ……!」
「フェリシテ……。私は……私は人殺しだ」
フェリシテは無言で、渾身の力を込めて孤独な魔王を抱きしめた。
自分の内から抑えようもない、熱く激しい奔流が湧き上がる。
『そうよアルト!これが戦なの!戦なの!でもね、でもね、 ―――あなたを一人にはしない!!』
フェリシテの激情が、喉の呪いを力でねじ伏せた。 黄金の紋章が砕け散り、彼女の喉から鮮血が舞う。だが、彼女は止まらなかった。
「……聞こえなさい! この男の、アルトリアスの本当の言葉をッ!!」
フェリシテの叫びが、戦場全体に波紋のように広がった。 それは言葉ではなく、精神の共有。 アルトリアスの冷徹な計算の裏側にあった、血を吐くような悲哀と、夫への歪なまでの愛が、全軍の脳裏に直接流れ込んでいく。
「……フェリ……?」
アルトリアスが、呆然と振り返る。 フェリシテは、血の滲む唇を歪め、いつものように傲慢で、しかし最高に優しい笑みを浮かべた。
「……泣きそうな顔しないで。……私が、全部バラしてあげたから」
彼女はアルトリアスの震える体を、力いっぱい抱きしめた。 それは、契約でも共犯でもない。 ただ、孤独な魔王を、再び一人の人間に引き戻すための抱擁だった。




