第17話:砂塵を超えて
カストール平原へと続く軍道の後方で、一台の魔導馬車が猛烈な勢いで砂煙を上げていた。
「お嬢様、これ以上は馬が持ちません!」
御者台で叫ぶマルタの声を無視し、フェリシテは窓から身を乗り出して前方の黒い軍勢を睨みつける。
昨夜、アルトリアスはフェリシテに言い放った。
「お前は城に残れ」と。
声を封じられ、翻訳者としての機能を失った自分は、戦場では足手まといでしかない。
彼の計算は正しい。
だが、正しいからといって、はいそうですかと引き下がるほど、フェリシテ・ガレリアは安価な女ではない。
(……あの大馬鹿アルト。私がいなきゃ、アンタの言葉はただの石つぶてなのよ。私を置いてけぼりにして、格好つけて死にに行くなんて、一兆年早いのよ!)
行軍が平原の手前で一時停止したその隙に、馬車は本陣へと滑り込んだ。
驚愕の表情で迎えるレオやバドを突き放し、フェリシテは馬車を飛び降りる。
そこには、黒い軍服を纏い、出陣を待つアルトリアスがいた。
「……なぜ来た」
アルトリアスの短い問い。
フェリシテは声の出ない喉を指差し、次に彼の胸を強く突いた。そして、いつものように傲慢で、しかし潤んだ瞳で彼を射抜く。
(……アンタを独りにさせないって、言ったでしょう。アルト)
言葉は伝わらずとも、その意志の強さにアルトリアスは一瞬だけ目を見開き、やがて小さく、溜息のように息を吐いた。
「……好きにしろ。だが、私の視界から消えるな」
本陣の軍幕内。重苦しい沈黙の中、地図を囲んでダナ・ガランが低い声を響かせた。
「閣下、状況は最悪です」
ダナ・ガランの指が、二つの地点を指す。
「平原中央に鎮座するのはソル・ガルドの主力、太陽騎士団。重装騎兵三千、さらに大型の魔導障壁を展開しています。まともにぶつかれば、こちらの被害は甚大です」
ダナ・ガランの指が次に北東の丘陵地へ動く。
「そしてこちら。ジュリアン様が率いる旧フェリデ騎士団です。彼らは伝統を重んじる古参兵ばかり。ソル・ガルド軍と呼応し、我らの右翼を挟撃する構えを見せています」
盤面を見つめるアルトリアスの瞳は、一切の感情を排していた。 彼は一言も発せず、ただ地図上の駒の配置を数式へと置き換え、最適解を算出していく。
横で見守るフェリシテには分かっていた。彼が今、どれほど絶望的な孤独の中で、この国の未来を計算しているかを。
「……ダナ」
アルトリアスが顔を上げた。
「ジュリアンの軍には、お前を当てる。押されたら引き、引いたら押せ。……だが、過剰な追撃は一切禁ずる。敵の数を削るな」
「閣下、正気ですか!」
ダナが声を荒らげる。
「敵を目前にして剣を引けと? それでは我らが挟撃の餌食になります! ジュリアン様の兵を叩き潰さねば、我らに勝機はありません!」
「……ジュリアンの兵は、いずれ来る外敵からこの国を守る大切な戦力だ。……私の差配に従え。血を被るのは、私の役目だ」
アルトリアスの視線は、冷徹でありながら、どこか悲痛な熱を帯びていた。 それは、言葉を奪われた覇王が、たった独りで背負おうとしている「未来」の重みだった。
隣に立つフェリシテは、喉を抑えて唇を噛み締めた。
(アルト、アンタ……。誰も理解してくれないって分かっていて、そんな損な役回りを……。私がフォローしてあげたいのに、この喉、本当に腹が立つ……!)
フェリシテは無言のまま、アルトリアスのマントを強く握りしめた。アルトリアスはその手に一瞬だけ自分の手を重ね、すぐに離した。
「レオ。魔導銃の全権をお前に預ける。合図があるまで、一発も撃つな。私の背中を信じて待て……以前教えた、あれだ……最も効率がいいやつを、覚えているか」
「は、はい!」
怜央の返事を聞いたアルトリアスは「軍議を終える」と、短く発した。




