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政略結婚からはじまる、覇王と刺客姫の共犯関係  作者: 秦江湖


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第16話:覇王の孤独、沈黙の軍

嵐のような祝宴が終わり、深い静寂が城を包んでいた。


深夜の執務室。灯された数本のキャンドルの下で、アルトリアスは軍服を脱ぎ、乳母マルタによる事後の検診を受けていた。


傍らではフェリシテが、彼が服用した薬の残滓と、体内に残る魔力の波形をガレリアの魔導具で解析している。


「……アルトリアス。これ、どういうこと?」


解析結果を表示する魔導盤を見つめるフェリシテの手が、微かに震えていた。


「どういうこと?……何がだ?計画通り、心拍を停止させ、母上を欺いた。それだけだろう」


アルトリアスが淡々と答える。だが、フェリシテは魔導盤を机に叩きつけた。


「ふざけないで! アンタ、これ……ただの仮死薬じゃないわ。心臓を止めるだけじゃなく、脳の魔導回路を一度完全に『遮断』しているじゃない。一歩間違えれば、意識が戻らない確率が10%もあったのよ!?」


アルトリアスは黙って視線を逸らした。その反応が、フェリシテの怒りに火をつけた。


「アンタ、馬鹿じゃないの!? 私が言っておいてあげるけど、自分の命を数式の変数にするなんて、最低の戦略よ! もしアンタが本当に死んだら、私のプロデュースはどうなるの? 私はどうすればよかったのよ!」


「……お前がいたから、その10%は起こらないと踏んでいた」


「そういう問題じゃないわよ! この……、この大馬鹿!!」


フェリシテはアルトリアスの胸ぐらを掴み、そのまま勢いよく抱きついた。怒号はいつの間にか、震える涙声に変わっていた。


「二度と、二度とこんな無茶しないで。わかったわね……アルト」


初めて呼ばれた愛称。 アルトリアスは目を見開き、戸惑いながらも、彼女の背にそっと手を回した。


「……ああ。悪かった、フェリシテ」


不器用な二人の距離が、死の淵を越えてようやく重なった瞬間だった。




だが、安らぎは長くは続かなかった。


フェリシテがアルトリアスの胸から顔を上げようとした瞬間、彼女の喉元に黄金の文様が浮かび上がり、火傷のような熱が走った。


「う……あ……っ」


「フェリシテ!?」


フェリシテが喉を抑えて崩れ落ちる。アルトリアスが瞬時に概念視を起動すると、彼女の喉に「ソル・ガルド式」の高度な沈黙呪文が刻まれているのが見えた。


(……母上か。逃げ際に仕掛けたな)


「姫様! 大丈夫ですか!?」


駆け寄るマルタ。フェリシテは必死に口を動かそうとするが、声は一切漏れない。それどころか、アルトリアスと意識を共有していた「精神感応テレパス」の回路まで、分厚い壁に遮られたように沈黙していた。


フェリシテは絶望に顔を歪めた。声が出ないのではない。


アルトリアスのあまりに高度で複雑な「思考の断片」を、他人にわかる言葉へと紡ぎ直す――彼女の「翻訳者」としての機能が、物理的に封印されたのだ。


「……心配するな。解呪の数式を解析する」


アルトは彼女の額に手を置く。しかし、解析の結果は非情だった。


「……これは、術者である母上を直接叩くか、ソル・ガルドの本国にある触媒を破壊しない限り解けない」


フェリシテはアルトの袖を強く握りしめた。


(ダメよ、アルト。私がいなきゃ、アンタの言葉は誰にも届かない……!)




翌朝。


南方の要塞へと逃れたイザベラとジュリアンを追撃するため、軍事会議が開かれた。 演習を乗り越えた「黒の部隊」の将兵たちが集まる中、アルトリアスは地図の前に立った。


だが、彼の隣には、いつもいた「翻訳者」がいない。 フェリシテは声を出せず、ただ彼の傍らに立ち、焦燥に駆られながら彼を見つめている。


「……全軍、南下。……三、左、包囲。……一、貫通」


アルトリアスの口から漏れるのは、削ぎ落とされすぎた、論理の欠片。 将兵たちは顔を見合わせた。猛将ダナ・ガランですら、困惑を隠せない。


「……閣下。三とは、第三大隊のことでしょうか? それとも、三時の方角にある森を指しているのでしょうか?」


「……座標、314。……熱量、最大火力の集中。……行け」


レオが必死に解釈しようとするが、言葉の裏にある膨大な戦略意図が伝わらない。軍の中に、目に見える動揺が広がり始めた。 「救世主」と讃えられた若き公爵が、急に「何を考えているかわからない不気味な男」に戻ってしまったかのような不安。


「……これでは、戦にならん」


ダナが小さく吐き捨てた。その言葉は、フェリシテの心に鋭い棘となって刺さった。


(私が……私がアンタの言葉を伝えなきゃいけないのに……!)




広がる不信感。そして、フェリシテの苦しげな表情。 アルトリアスはそれらを全て、無機質な瞳で観測していた。


彼は、ふっと息を吐くと、フェリシテの手を優しく、だが拒絶するように解いた。


「フェリシテ。お前は後方に下がれ。……マルタ、彼女を頼む」


フェリシテは目を見開いて首を振った。だが、アルトの瞳からは、先ほどまでの温もりが完全に消え失せていた。


彼は全軍の前に出ると、腰の剣を抜き、その鋭利な魔力を爆発させた。 広間に、立っているのも困難なほどの圧倒的な「恐怖」が満ちる。


「……これ以上の説明は、不要だ」


アルトの声は、冷たく、低く響いた。


「……理解する必要はない。……私の視る通りに動き、私の望む通りに殺せ。……従えぬ者は、今ここで言え」


それは、かつての「言葉を持たない青年」への回領ではない。 理解されることを諦め、恐怖と規律だけで世界を塗りつぶす決意をした「魔王」の覚醒だった。


将兵たちは、そのあまりの覇気に圧され、吸い込まれるように膝をついた。そこにあるのは、絆でも信頼でもない。ただ、絶対的な力への服従だった。




進軍の準備が進む城の中庭。 声を失ったフェリシテは、バルコニーから、黒い軍勢を率いて出発しようとするアルトの背中を見つめていた。


(アルト、待って……!)


心の中では、何度も彼の愛称を叫んでいる。 だが、馬に跨るアルトリアスが彼女を振り返ることはなかった。 彼の視界は、もはや目の前の敵陣をいかに効率よく殲滅するかという、冷徹な数式だけで埋め尽くされている。


「お嬢様……」


マルタがそっと肩を抱く。フェリシテは、ただ溢れ出す涙を拭うこともできず、黒いマントを翻す「孤独な魔王」を見送るしかなかった。



南方の空には、ジュリアンが掲げた黄金の旗印が翻っている。 フェリデを二分する、骨肉の争いがいよいよ幕を開けようとしていた。



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