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政略結婚からはじまる、覇王と刺客姫の共犯関係  作者: 秦江湖


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12/22

第12話: 自由貿易の果実

数週間前まで、フェリデの城下は重苦しい沈黙と、停滞した澱みの中にあった。


だが、アルトリアスが領内の関所をすべて灰にし、フェリシテが商隊を呼び込んだことで、街は劇的な変貌を遂げた。


「……五千。……七千。……一万」


アルトリアスはバルコニーから、街の目抜き通りを埋め尽くす人波を眺めていた。彼の瞳は、人々の「熱気」をエネルギーの流動として解析している。


「何を計算しているの?」


フェリシテが、ガレリア産の極上な香りを漂わせる茶を手に現れた。彼女の采配により、ガレリア最大の商会『銀の天秤』がこの地に拠点を置いたのだ。


「……一日の、流入人口。……このままの推移なら、三ヶ月で領内の蓄えは先代の全盛期を超える」


「数字だけじゃなくて、あの声を聞きなさいよ。アンタ、今や『救世主様』なんですって」


階下からは、街のあちこちでアルトリアスの名を讃える唱和が聞こえてくる。


重い税から解放された商人、安い小麦を手に入れた農民、そして仕事を得た若者たち。


彼らにとって、冷徹なはずのアルトリアスは、自分たちの生活を救った生身の神に等しかった。


「……救世主。大層な呼び名だ。……私はただ、誰が見ても明らかに不要な摩擦を取り除いただけだ」


「その『摩擦の除去』が、彼らにとっては奇跡なのよ」


フェリシテは、楽しげに街を見下ろした。彼女にとっても、自分の手腕がこれほど鮮やかに国を塗り替えていく様は、最高の快楽であった。



だが、繁栄の光が強まるほど、城の奥底に溜まる「影」はより暗く、濃くなっていた。


「お聞きなさい、ジュリアン。あの熱狂を。……あの子は、我々の誇りをパンの一切れで買い叩き、平民共に分け与えているのよ」


母イザベラは、暗い自室で忌々しそうにカーテンを閉めた。


彼女の背後には、関所を失い、財産を差し押さえられた数人の領主たちが、縋るような目を向け立ち尽くしている。


「母上……兄上のやり方は、確かに民を救っています。ですが、これではフェリデの秩序が……」


ジュリアンの声は弱々しい。彼は、自分が信じていた「高貴な者が民を導く」という伝統的な美学が、兄の思想により切り裂かれていく光景に耐えられなかった。


「秩序ですって? ああ、そうね。だからこそ、私たちは取り戻さなければならないの。……幸い、あの子の『弱点』は分かっているわ」


イザベラの瞳が、不気味な光を湛えて細められた。


「アルトリアスが唯一、心を許し、その翻訳を頼っている女。フェリシテ……。あの娘の足元を崩せば、あの子の数式とやらも狂うはずよ」



繁栄に沸く市場の片隅で、バド・バルカスは一人、警戒の眼光を周囲に走らせていた。


「……バド様、そんなに眉間に皺を寄せては、せっかくの美味しいお酒が台無しですよ」


マルタが、新しく開店したガレリア風の屋台から、湯気を立てるミートパイを運んできた。


「マルタ殿。街が明るくなればなるほど、私の首筋が冷えるのです。……閣下は関所を壊し、民を味方につけられた。だが、それは同時に、追い詰められた鼠を凶暴な獣に変えることでもある」


「……ええ。姫様も仰っていました。『一番怖いのは、失うものがなくなった臆病者』だと。……特にお義母様。あの方の、あの冷え切った瞳……」


マルタがふと、城の西棟の窓を見上げた。 その瞬間、彼女は背後に気配を感じた。振り返る間もなく、白い煙のような魔法の霧が彼女の視界を覆う。


「マルタ殿!?」


バドが叫び、剣の柄に手をかけたが、人混みの中に潜んでいた数人の「影」が、瞬く間にマルタを路地裏へと引きずり込んでいった。


「……手出しは無用だ、老いぼれ。これはイザベラ様のご意向だ」 闇の中から聞こえたのは、かつてダナ・ガランに仕えていた、古参の暗殺兵の声だった。




その夜、アルトリアスとフェリシテのもとに、一通の無記名の書状が届いた。


書状には、マルタが身につけていたガレリアの家紋入りのブローチが添えられていた。



「……マ、マルタを、さらった?」


フェリシテの声から、すべての温度が消えた。


彼女の周囲の空気が、ガレリアの凍てつく魔力で結晶化し、パキパキと音を立てる。



アルトリアスは、そのブローチを手に取り、静かに目を閉じた。


(……計算外。……いや。……想定できたはずだ……)


「アルト。お義母さまったら、本当に底意地が悪いわね」


軽口なふうに言いながらも、フェリシテの瞳がは毒蛇のそれへと変わる。


「私の家族を駒に使ったこと、地獄の底で後悔させてあげるわ」


「……フェリ。……落ち着け。これこそが彼女の狙いだ」


アルトリアスは彼女の肩に手を置いた。


その手は、かつてないほど力強く、そして微かに震えていた。


「……おおよその見当はつく。が、相手の出方を見る」



祝祭の夜は終わり、城下を包む歓声は、血の匂いを孕んだ不穏な静寂へと塗り替えられていった。




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