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引っ越した先で高校生が家に逃げ込んできたけど、嘘はつけない  作者: 白川


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9/9

“無事です”の一言

「帰るとき……海斗くん、玄関まででいい」

「うん」


 俺は玄関の方を一瞬見て、すぐ視線を戻す。それは、さくらの中の怖さの形なんだと思った。俺の部屋から出ることじゃなくて、“見られる”とかそういうやつ。

 俺はさくらの気持ちを大事にしたくて、変に肯定もしないで、ただ頷いた。


「でも……もし、外にママが居たら」


 さくらがペン先で、メモの端を指す。


「うん」


 さくらは一拍、迷ってから書いた。


『海斗くんは出ない』


 俺はそれを見て、胸の奥がきゅっと縮んだ。嬉しいじゃなくて、痛いほう。

 俺はその下に、少しだけ足す。


『でも近くにいる』


 さくらが、初めて小さく頷いた。


「……メッセ、どうするの?」

「うん」


 さくらの声は小さい。

 俺はノートの余白に、先に四つだけ書いた。箇条書きみたいに、短く。


『①心配かけた、ごめん』

『②いま落ち着いてる』

『③これから帰る(時間)』

『④着いたら話す』


 書いてから、ペン先を浮かせたまま止まる。これ以上は、勝手に決める感じになる。


「この四つ。……どれが一番言いにくい?」

「……③と、②」


 さくらが言って、すぐ自分で眉を寄せた。


「②は、嘘っぽいよね……少し」

「うん。だから、言い方を変えてみよう。……“落ち着いた”じゃなくて、“大丈夫”とか、“安全”とか」


 さくらはノートを見たまま、口の中で何かを並べ直してるみたいだった。ペンを握った手が、ちょっとだけ震えてる。


「でも……“今どこ”って絶対来るよね」

「来ると思う」


 俺が言った瞬間、さくらの目が上がって、すぐ落ちた。


「……じゃあ、どう言うの?」

「場所は書かない。……書かないで、帰るって言う」


 さくらが口を開きかけて、閉じた。飲み込んだのが見えた。

 俺はペンを持ち替えて、③の横に小さく足した。


『③これから帰る(○時くらい)』


「時間は入れた方がマシ。……“いつ帰る”が無いとずっと心配する」

「……帰ったら、怒られる」

「うん。怒られると思う」


 それを言ってから、俺は自分の言い方が雑だったと気づいた。

 これじゃ慰めにもなってない。

 だから、言い直す代わりに、ノートの一番上にもう一行だけ書いた。


『送るのは、短く』


「長いと、言い訳っぽくなる」

「……うん」


 さくらが頷いた。頷いたのに、指が止まらない。ペンが紙の上を、触れないまま漂ってる。


「……書いてみる」


 さくらがそう言って、自分のスマホを取り出した。画面がついて、ロックを解く指が一瞬もたつく。

 メッセージアプリを開いたところで、さくらが止まった。


「……怖い」

「じゃあ、まず下書きしよ。ノートに」


 俺はノートに視線を戻した。


「……最初は……謝る」

「うん」


 さくらが、ノートに書いた。


『心配かけてごめん』


 その文字が出ただけで、肩が少し落ちた。さくらは自分の字を見て、唇を噛んだ。


「……次、②の“いま落ち着いてる”ことを伝える」

「“いま大丈夫”……と」


 さくらが書きかけて、止めた。ペン先が浮いたまま、迷ってる。


「……大丈夫って――何が大丈夫なの?って言われそう」

「じゃあ……」


 俺はノートの②の横に、小さく書き足した。

『② 無事です』


「これなら短い。で、すぐ③につなげる。……“これから帰る”」

「……無事」


 さくらが小さく繰り返して、もう一回だけ頷いた。


「それなら……言える、かな」


 さくらが小さく書いた。


『無事です』


 字が薄い。力が入ってない。


「次は、帰る」

「うん」


『これから帰る』


 そこまで書いて、さくらはペンを置いた。置いたのに、指が離れない。


「……時間」

「大体でいいから」


 俺は壁の時計を見る。

 さくらもつられるみたいに時計を見上げた。


「えっと……今、8時だから」

「……8時」


 さくらがそう言って、ノートの③を指で押さえた。


「……今から出たら、8時半くらい?」

「……たぶん、それくらい」

「じゃあ、10時……かな。遅れる方がやばいし」


 俺は③の横に小さく足した。


『10時くらい』


 さくらが追記した。


『10時くらいに帰る』


「最後、“着いたら話す”」

「……“帰ったら話す”でいい?」

「うん」


 さくらが書いた。


『帰ったら話す』


 一息ついたみたいに見えた。見えたけど、まだ終わってない。

 俺はノートの文を指で軽く叩いた。トン、と一回。


「これを、そのまま送る。……短いし、嘘は入ってない」

「……でも」


 さくらが顔を上げた。目が潤んでる。泣く前のやつ。


「“どこにいたの”って来たら」

「……帰ったら、ちゃんと話す。そこは逃げれない。だから今は、“帰る”だけ先に送ろ。……帰ってからは、俺も一緒に考える」


 さくらはしばらく黙った。唇が、また噛まれる。ほどかれる。噛まれる。


「……“友だちの家”って書けば、楽なのに」

「楽なのは分かる。でも、俺が何て呼ばれるかは置いといて……“友だちの家”って書いたら、あとでさくらが苦しくなる」


 言ったあとで、俺は自分の声が強くなりかけたのを感じた。

 さくらの目が揺れた。怒りじゃなくて、焦りの方。


 でも、さくらは何も言わなかった。

 ノートの文字をもう一回見て、息を吸って、吐いて。

 それから、スマホを開いた。

 画面に指が走る。打つのが早い。早いのに、途中で一回止まる。消して、また打つ。

 最後に、さくらの親指が送信の上で止まって、もう一回だけ俺を見る。


「……これで、いい?」

「……うん。最後は、さくらが押して」


 さくらは小さく頷いた。

 送信ボタンの上で、親指が止まる。止まって、震えて、押し込まれる。

 ピロン、と短い音。

 送った。

 その瞬間、さくらの肩がふっと下がった。崩れる前の、ぎりぎりのとこで持ち直したみたいに。


 俺はペンを置きかけて、また握り直す。置いたら、ここで終わりみたいで。


「……帰ったら、聞かれるよね」

「うん。絶対。“どこにいたの”って」


 さくらの声は小さいのに、はっきりしてた。さっきまでの“怖い”とは違う種類の固さ。


 俺はノートの余白に、三つだけ書いた。囲った。


『①謝る』

『②これから帰る』

『③帰ったら話す』


「これ、もう送った。……だから、次はここ」

 俺は『③』を指で叩いて、それから、空白を指さした。

「帰ってから、聞かれたときの返し。……一個だけ決めとこ」


 さくらがノートを見る。見るけど、ペン先は動かない。


「……“どこにいたの”って言われたら」

「うん」


 さくらが口を開きかけて、閉じた。飲み込むのが見えた。


「……言いたくない」

 それだけ言って、さくらは視線を落とす。

 机の木目を見てるのに、たぶん別のとこを見てる。


 俺は息を吸って、吐いて、ノートに短く書いた。


『どこ:言い方』


「言いたくない、は分かる。……でも、聞かれたら、黙るのもしんどい」

「……うん」

「だから、嘘じゃなくて。言い方で、まず一回だけ止める」


 さくらの眉が少し動く。納得じゃなくて、戸惑いのほう。


「言い方って……どうやるの」

「……たとえば」


 俺はペン先で、空白に二つ、候補みたいに書いた。


『知り合いのところで休ませてもらった』

『落ち着くまで、少し居させてもらった』


 書いてから、自分の字を見て、俺はちょっとだけ顔をしかめる。硬い。硬いけど、いまはそれでいい気もした。


 さくらが、ゆっくり口を開く。


「……“知り合い”って言ったら、誰って聞かれる」

「聞かれる。……そこは、さくらが決めるしかない」


 さくらの指先が、ノートの端を押した。押して、離して、また押す。


「……海斗くんって言うの、こわい」

「うん」


 俺は否定しなかった。否定したら、軽くなる気がした。


「……でも、濁すのも、こわい」

 さくらが続けて言う。声が少し弱くなる。

「なんか、変に見える」


 俺は一拍だけ迷ってから、ノートの端に小さく足した。


『聞かれたら:名前は言う』


 さくらの目が、その行で止まる。止まって、息を吐いた。


「……場所は?」

「場所は……家、って言うしかないと思う」

 俺が言うと、さくらの肩が小さく跳ねた。

 俺はすぐ言い直す。

「でも、“友だちの家”じゃなくて。……“知り合いの家”。それなら、嘘じゃない」


 さくらの口元が、ほんの少しだけ歪む。笑いじゃない。嫌そうでもない。困ってる顔。


「……“知り合いの家”って言ったら、余計に突っ込まれる」

「突っ込まれる。……でも、突っ込まれたら、そこで初めて答える」


 俺はノートに線を引いて、順番を短く書いた。


『謝る』

『帰ってきた』

『聞かれたら:知り合いの家』

『さらに聞かれたら:海斗くん』


 さくらが、唇を噛んで、ほどいた。

 それから、ペンを持ち上げて、俺の字の横に小さく書いた。


『いきなり全部言わない』


「うん」

 俺は頷いて、さくらの字の下にもう一行だけ足す。


『でも、嘘は書かない』


 さくらがノートを見たまま、短く息を吐いた。


「……これなら、いける?」

「いけるかどうかは……分かんない」

 正直に言ったら、さくらが一瞬固まる。

 俺はすぐ続けた。強くならないように、でも止まらないように。

「でも、“いま帰る”は送った。……帰ったら、ちゃんと話すって言った。……だから、ここから逃げるほうが、もっときつい」


 さくらが小さく頷いた。

 頷いた勢いで、涙が落ちることはない。でも、目の縁が危ない。


「……じゃあ」

 やっと出た声は小さかった。

「……帰る」


 その言葉が、ノートの上で一回、形になった気がした。


 俺はペンケースを開けて、もう一本ペンを出した。

 ノートの上に置く。今度は俺のほうにも一本。

 それから、さくらがさっき書いた行の下に、二人で追記できる余白を残す。


「玄関で、また詰まったら。ここに足していい」

「……うん」


 さくらがノートを両手で押さえた。大事なものっていうより、落としたら崩れそうなものを押さえるみたいに。


「帰るとき……海斗くん、玄関まででいい」

「うん」


「……もし、ママが居たら」

「うん」


 俺はノートの下に短く書く。短くしないと、またズレる気がした。


『玄関:さくらだけ』

『俺:中(近く)』


 ノートを見ていたさくらが、指先でその行をなぞって止まった。


「……でもさ」

「ん」

「ママが……“海斗くんと話したい”って言ったら……」


 その言い方だけで、胃のあたりがひゅっと縮む。

 俺は一回だけ息を吸って、ノートの下に短く書いた。


『連絡先:出す』

『話す:電話なら』


 さくらが目を丸くする。


「……いいの?」

「うん」


 言ってから、俺は自分の言い方が少し硬かったかなと思い、視線を落とした。


「番号、書くから。……必要になったら、さくらが見せて」

「……私が?」

「うん。……もし、“話したい”って言われたら、渡していい」


 さくらが小さく頷いた。頷いたのに、まだ不安そうに眉が寄ってる。


「……怒られたら……」

「怒られる、と思う」


 俺は正直に言って、続けた。


「でも、それを全部さくらに押しつけるのは嫌だ。……俺も一緒にいたから」


 さくらの目が揺れて、泣きそうな顔になる。

 俺は慌てて優しい言葉を足す代わりに、ノートの端にもう一行だけ書いた。


『困ったら:俺に連絡』


 ペンを置いたあと、さくらのほうへもう一本転がす。


「……出る前に、これも足しとこ。さくらの言葉で」


 さくらがその字を見て、少しだけ肩の力を抜いた。


 俺は最後に、さくらのほうへ破りやすいメモ帳を引き寄せた。

 一枚、ビリッと破る。

 音が思ったより大きい。


 破いたメモを、さくらの前に滑らせる。ペンを二本並べて、一本を“さくら側”に寄せて置く。

 さくらがそれを見て、ほんの一瞬だけ目を上げた。


「……出る前に、これも」

 俺はそう言って、メモの一番上に小さく書いた。


『忘れたら:メモを見る』


 さくらが、メモの下に小さく足した。


『ひとりにならない』


 俺はそれを見て、胸の奥が熱くなった。

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