『いま』から書く
「……」
さくらの口が開いたまま止まった。言葉じゃなくて、息だけが出る。
俺の言った「それはできない」が、二人の間に落ちたまま転がってるみたいだった。さくらはテーブルを見ている……見ているのに、焦点が合ってない感じがした。
「……待って」
やっと出た俺の声は小さかった。
俺は何か、続きを言わなきゃと思って、でも、軽い言葉を足したら余計こじれる気がして、喉の奥で詰まる。
そうだ。
口にすると、たぶんズレる。だから書いて並べよう。
レポートみたいに、順番だけでも外に出せば、まとまるかもしれない。
俺は棚のいちばん上を開けた。ノートの背が何冊か並んでる。その中から、まだ白いページが残ってるやつを引っこ抜いた。
テーブルに置く。紙が開く音が、やけに静かな部屋に響く。
ペンケースから二本出して、一本は自分の手元に。もう一本は、さくらのほうへ滑らせる。
「書こう」
短すぎるのは分かってた。でも、他の言い方が出ない。
さくらの視線がノートに落ちて、また俺に戻ってくる。
「……何を?」
「今から、どうするか。……嘘じゃなくて」
言った瞬間、自分の声がちょっと硬いって分かった。
だから、誤魔化すみたいに俺は先にペンを持って、いちばん上に小さく書いた。
『いま』
一文字だけ書いたら、少しだけ呼吸が戻る。
「まずはこれだけでいい。……思いついた順で。俺も書くから」
さくらは唇を噛んだ。噛んで、ほどいて、ペンを握る。
でも、まだ書かない。ペン先が紙の上で迷っている。
俺は何も言わずに、次の行にもう一個だけ書いた。
『連絡』
さくらの指が、ほんの少し動いた。
「……ママ、絶対、聞く。“どこにいたの”って」
「うん」
俺はノートの『連絡』の横に、少し離して『どこにいたの』と書いた。
そのまま線で結ぶ。
俺はペン先を止めたまま、さっき書いた一文字――『いま』のところに戻る。
そこに、小さく付け足した。
『いま:落ち着く』
字が汚い。急いだせいで、線がガタついてる。
「……それ、意味ある?」
さくらの声にちょっとだけ棘が混じった。
でも、語尾が少し弱くなった。
「俺には、ある」
言い切ってから、俺は自分のペンを握り直した。強く握ってたのに気づく。
さくらは笑わない。
ペン先をノートの端で迷わせてから、俺の下に小さく書いた。
『帰る』
一文字だけ。短いのに、胸が少しだけ詰まった。
「帰る、のは……今日?」
「うん」
そう言い切って、さくらは目を伏せた。伏せたまま、続ける。
「でも、今すぐ帰ったら……怒られる」
その『怒られる』が、軽い話じゃないのは伝わった。喉がきゅっとした。……でも、俺が決めるのは違う気がした。
「じゃあ……“いつ”帰るか、決めよ。あと、“先に何をするか”」
さくらが小さく息を吸って、吐いた。
「……連絡、して帰る」
俺は頷き、線を引く。
『連絡→帰る』
さくらが、その横に小さく『いっしょ』と足した。見た瞬間、喉の奥が熱くなった。
「次は……連絡はどうやって――電話?」
「……電話は、こわい」
さくらの指先が、ペンの軸をきつく握った。指先が白い。
「じゃあ、メッセだ。まずは……短いやつ」
俺は自分のスマホをポケットから出して、メモの横にそっと置いた。
「文章、考えるのは手伝うから。送るのは……さくらがやる」
さくらの目が、俺のスマホに落ちた。すぐに自分の膝へ逃げる。
「わかった。けど……“どこにいたの”って来たら……答え、どうするの?」
さくらの話を聞きながらメモに追記する。
『連絡→帰る』
『メッセ:どこにいる、いつ帰る』
そこでやっと、さくらが俺を見た。泣いてはいない。でも、目の縁が危ない。俺はメモの余白を指で叩いた。カン、じゃなくて、トン、って鳴る程度に。
「どこにいたの、は聞かれると思う。……けど、場所は言わない」
さくらの眉が動く。
「え」
「“いま落ち着いてる”だけ言う。あと、“これから帰る”」
それを言った瞬間、さくらの顔が少しだけ歪んだ。納得じゃなくて、焦り。
「……それで、信じる、かな?」
「信じる……とは思う。たぶん。でも、すぐに納得は……しないかも」
正直に言ったら、さくらが一瞬固まった。
俺は慌てて続ける。声が強くならないように、でも途切れないように。
「待って。でも、ここで嘘ついたら……あとで、もっとやばい。……次、何言っても信じてもらえなくなる」
言いながら、自分の手が汗ばんでるのに気づいた。俺もビビってる。
さくらはメモを見て、言葉を並べ直した。
『いま:落ち着く、
『連絡→帰る』
『いっしょ』
三つ並ぶと、少しだけ“道”に見えた。




